西川のりお  それは高3の夏休み、同級生からの1本の電話で始まった。

西川のりお それは高3の夏休み、同級生からの1本の電話で始まった。

西川のりおの師匠は、なんと西川きよし。超マジメで超厳しいが一生ついていきたいきよし師と超メチャクチャで超面白い、でもついていけないやすし師。強烈な師匠に挟まれ、育まれた過激な弟子時代。


西川のりおの本名は、北村紀夫。
父親は、大阪の商店街で自転車を営んでいて、西川のりおいわく
「客にダマされてばかりのお人好し」
片や母親は、
「銭がないのは命がないのと一緒や」
という経済主義。
結婚したときの持参金(嫁から婿に払うお金。婿から嫁に払うお金は「結納金」]を自転車屋の客に貸しつけて、西川のりおは
「ボンのオカンは取り立てがキツい」
といわれたことがあった。
顧客の1人、運送屋が倒産し、債権者会議で1番多く貸していた母親が代表となって会社の建て直しを行うことになった。
つまり運送屋もやっていた。
「ガメツいオカンで、中元でもらったカルピスも1年経ってから飲むんです。
色も白から黄色にニゴってましたよ。
おまけにそれを6倍じゃなしに10倍以上に薄めるんですよ」
兄2人、姉2人がいる末っ子で、長女は13歳上。
同じ部屋の4歳上の次女は、小4で芸能プロの入り、テレビドラマのエキストラなどをしたが、18歳から観光バスのバスガイドになった。

小学校の成績は5段階中、オール3。
字も絵もうまくなく、水泳のクロールと走るのが少し速い以外は、フツーだった。
ハナ肇、植木等、谷敬らが所属するお笑いジャズバンド、クレイジー・キャッツが大好きで、父親のステテコと腹巻を着て、鏡の前でモノマネをしていた。
クレイジー・キャッツは、毎年5月、大阪、梅田コマ劇場で1ヵ月間行っていたため、小3のとき、お年玉を無駄使いしないように温存し、友人と観にいった。
その友人は、近所に住む、人見知りで小声でボソボソとしゃべる荒物屋の次男坊で幼稚園からのつきあいだった。
大卒の初任給が10000円、高卒が8000円、中卒が5000円くらいの時代に、B席、550円を買った。
公演は1日2回あったが、観たのは16時開始の2回目。
芝居の後、歌謡ショーがあって、終わるのは20時くらいだった。
B席から舞台袖がみえ、暗いところで出演者が見え隠れし
「あの木下藤吉郎が植木等や」
「あれはハナ肇やろ」
とハシャギまくった。
女性出演者は化粧が濃く、イイ匂いにしてきて
「オカンや姉や近所の人と違って、出てくる人がすべてキレイにみえ、そっちの方のトキメキも多かった」
小3、小4と一緒に観にいった友人が、小5になると
「俺、今年からクレージー、もう行けへん」
といったため、1人でコマ劇場へ。
梅田の阪神百貨店の地下で1枚20円のイカ焼きを3枚購入。
「卵が入ってるのが20円、入ってないのが10円。
なんかハリこんだみたいな気分になった」
がB席に座ると、周囲はガランとしていて、大きな2階席もまばら。
全体的に空席が多く、全盛期に比べて観客数は減っていた。

公演後、コマ劇場の周りをウロついていると出演者が出てきて
「お疲れさんでした」
と声をかけ合うのを目撃。
そのうち取り巻きに囲まれながらクレイジーキャッツが出てくると
「お疲れ様でした」
に変化。
その中に大好きな植木等を発見。
テレビや舞台以外で初めてみたナマ植木等は、数人に囲まれながら、停めてあった黒塗りの車に乗り込んだ。
とても近づけないようなコワい空気があった。
小6の5月も1人でコマ劇場にいき、公演後、昨年覚えた楽屋口に行くと前年同様、舞台に出ていた出演者が次々と出てきた。
そして植木等が現れ、
「どれくらいかかる?」
スペアタイヤを取り付けていた付き人は
「10分もかからないです」
と返事。
1分、2分とタイヤ交換作業が進んでいくうちに
「何がそうさせたのか自分でもわからない」
という西川のりおは、進み出て、
「弟子にしてください。
毎年コマ観に来てるんです。
僕オモロいから弟子にしてください」
植木等は、学校指定の半ソデ半ズボンを着用した西川のりおをみて
「まだ小学校か中学校だろう」
「小学校です」
声を裏返しながら答えると、植木等はその緊張で固まる肩に手を乗せ、低い声で
「坊主、そんなことよりも勉強しろ」
そして
「直りました」
と付き人がいうと車に乗って去っていった。
西川のりおは
(植木等がオレにしゃべってくれた)
と心の中で叫んだ。
断られたことなど、どうでもよかった。
数年後、テレビを観ていて
「この人、どっかで見た顔や」
と気づいた。
タイヤ交換をしていた付き人が小松政夫という名前で笑いをとっていた。

中学校に入ると、剣道部や水泳部に入ったが長続きせず帰宅部に。
勉強もスポーツもせず、夜ゴハンを食べてから荒物屋の友人と自転車に2人乗りで、6㎞離れたナンバへ。
そしてビル3階にある映画館の男子トイレの窓から忍び込み、ガラ空きの2階の指定席でタダ観した。
もちろん最初から観ることはできず、映画館の人間のガードが甘くなる時間帯、
「2時間の映画なら1時間か1時間半以上は過ぎた頃」
に入った。
それでも
「ガラガラの座席にコソッと座ると小さい山に登ったような満足感があった」
映画館でタダで入るスリルと快感に酔いしれながら、ジョン・フォード監督の『駅馬車』で襲われた駅馬車が救い出されるシーンに1週間連続で興奮した。
そして一緒に詐欺罪、建造物心有罪を犯していた友人と、
「嫌いな人間ベスト10」
を作成した。
あるときの1位は、本屋のオッサン。
立ち読みしているとハタキでパタパタと呼んでいる本をはたかれて
「いつまで読む気や」
とイヤミをいったのが選出理由。
他にも学校の担任の先生を
「習字の時間にクラスで1番可愛い女の子の後ろに回って2人羽織りみたいにして筆を持ってやり、きっと胸をさわるか、もんでいた」
と理由で選んだ。

クラスに好きな女の子がいてラブレターを書いたが、返事はなかった。
時間が過ぎ、忘れた頃、学校から帰ると自転車の店先にエプロン姿で立つ母親に
「お前、あんまり格好悪いことするなよ」
といわれた。
「なんやの?」
母親は
「女の子が嫌がってるのに手紙出して・・・・」
といってから紙を取り出して読み始めた。
「私のこと好きて周りの人にいわないでください。
迷惑しています。
私はあなたに対してまったく好意がありません。
ハッキリいって好きではないので、今後このような手紙も出さないで下さい」
そばで自転車を修理していた父親は聞こえないフリ。
西川のりおは、カバンをその場に落としそうになるほどショックを受けた。
「ホレッ」
と渡された手紙には、まったく気がないどころか、大嫌いですとハッキリ書いてあった。
「まして俺が1番嫌いな男と付き合っているとまで書かれてあった」
西川のりおは、
「お前が俺に対して嫌いていったことを後悔させてやる」
と誓い、
「俺が有名になって、どっかでバッタリ出くわしたとき『私のこと覚えてる?手紙くれたやろ』と話しかけてきたら、「アー覚えてるよ。大嫌いやて断られたがな」と笑って返したる。
『なんでこんな人嫌いいうたんやろう』って後悔させたる」
と自作自演の妄想劇場を繰り広げた。
しかし何になって見返せばいいのかは、まったくわからなかった。

中学校の成績は中の下だった西川のりおは、私立の工業高校、大阪工業大学高等学校(現:常翔学園高等学校)を専願で受験して合格。
入学まで時間があったので荒物屋の友人を
「1泊泊りで東京行こか」
と誘った。
「エエなあ。
行こか。
俺も東京で行きたいトコあんねん」
「行きたいとこてどこや?」
「新選組の土方歳三の墓が板橋にあんねん。
近藤勇が処刑されたところやったかなあ?
まあ行くまでにどっちが正しいか調べとくわ」
西川のりおは、彼がクレイジーキャッツに来なくなった理由が新選組だったことを初めて知った。
そして自分の東京行きの目的を
「渡辺プロって東京にあるんや。
俺、自分のいろんな写真を持って事務所行きたいんや」
と話した。
クレイジーキャッツは渡辺プロ所属で、その事務所が有楽町にあるのをパンフレットで知り、ステテコ腹巻姿で植木等のモノマネをした写真と履歴書を持っていくつもりだった。
友人は
「ああ、そうかあ」
といい、その後、2人は旅の日程を

・朝一番の新幹線で行くこと
・泊まる場所は向こうで適当に見つける
・帰りは夕方の電車に乗る

と決めた。
こうして西川のりおは、残していたお年玉を、初めてコマ劇場のためではなく、東京行きのために使った。
「もし渡辺プロが俺のことを気にとめ、使ってやるといい出したらどうしよう」
「オカンに『高校行けない』といったらどんな顔されるだろう」
そんな妄想や想像をしただけで胸がキュンとなった。
出発前日、友人が泊まりに来て、2人でコタツに入りながら久しぶりに
「嫌いな人間ベスト10」
で盛り上がり、ほぼ一睡もしないまま、6時発の新幹線に乗った。

雑誌で
「夢の超特急」
「近い将来、日本にこんなロケット型の電車が走る」
と紹介されていた新幹線に初めて乗った2人は、そのスピード感を感じながら、東京まで3時間30分をズーっと外の景色を観続け、9時30分に東京駅に着いたとき、頭はボーっとし足元はフラついていた。
「どっかに行けるだろう」
と山手線に乗り込み、神田、秋葉原、上野と知っている駅名がアナウンスされる度に興奮。
しかし
「新宿~」
という声を聞いた後、溶けるように寝てしまった。
強い尿意で起きると友人は後頭部を窓につけて寝ていて、
「東京~」
とアナウンスにホームの時計をみると14時50分。
「オイッ起きろ。
エラい時間経ってる」
と昼過ぎの山手線で大阪弁で友人をゆり起こし、ホームに降りた。

2日間しかいられないのに半日以上を山手線で寝てしまい、胸をふくらせて乗り込んできたのに一気に不安に。
「今晩どこ泊まる?
安いトコでないと金足りひんで」
「どっかあるか?」
「板橋に行って旅館探さへんか?」
友人が土方歳三の墓みたさにいっているのはミエミエだったが
「ああ、エエよ」
板橋に着いたときは、すでに暗かった。
商店街を抜け、人通りが少なくなったところに普通の民家のような旅館を発見。
入り口をガラガラと開けて、大きな声で
「すいません。
今日泊めてもらいたいんですが・・」
するとおばあちゃんが出てきて
「今晩泊まるの?」
「はい」
「学生さん、まだ子供だねえ。
食事はいる?」
「食事があるのとないのでは値段は違いますか?」
「そうねえ。
2食ついて2200円。
素泊まりだったら800円でいいよ」
中学卒業したての2人は顔を見合わせ
「800円の方でお願いします」
通された部屋は4畳半で、おばあちゃんが布団を敷いてくれた。
西川のりおは、なんだかわびしい気持ちになって、蛍光灯のヒモの先をみながら
「明日、渡辺プロに行くねん」
と独り言。
隣で寝ている友人とは一言も話さずに寝た。

翌朝早く、友人に
「旅館の近くに土方歳三の墓がある」
といわれ、仕方なく旅館を出てついていくと
「ここや、ここや」
と墓地の墓の1つを指した。
そして満足そうな顔で眺め、カメラを取り出して撮り出した。
全く興味がない西川のりおは
「小便したいから、どっかさせてもらえるところ探してくるわ。
カバン置いていくから待っといてな」
といって、商店街の方へ。
小さいパチンコ屋を見つけたが開店まで15分待った。
あわててトイレをすまし、汗をかきながら走って墓まで戻ったが、友人がいない。
「戻ってきたでえ」
何度も大声を出したが、応答はない。
西川のりおは
「ものすごい嫌な予感が全身に走りまくり、息使いが無茶苦茶荒くなった」
財布と切符は持っていたが、カバンの中には渡辺プロに持っていくものが入っていた。
友人はお墓をみれて満足かもしれないが、自分は来た目的を果たせない。
その後は、夕方の新幹線の時間まで、意味もなく山手線に乗って何周も回った。
「俺はどうなるんだ」
「自分勝手なヤツや」
「最低の男や、アイツは」
「もうこれが最後でつき合うことないわ」
「一緒に来たのは失敗やった」
心の中や周りに聞こえるくらいの独り言で罵っていると、極度の怒りとムカツキで東京の景色さえ腹立たしく思えた。

大阪へ帰る新幹線の発車時間の少し前、
「ここや」
と悪びれずに手を振る友人とホームで再会。
「お前何考えとんじゃ!
人のカバン持っていきやがって!
お前のせいで渡辺プロに行かれへんかったやろ。
どないしてくれるんじゃ!
お前はエエやろ、土方の墓みて。
興味もないのについていってやったんやぞ。
それをお前はなんや!」
「俺も探したんやで」
しどろもどろにいう友人に
「もうエエ。
お前とは今日限り。
もうつき合わんから」
そういってカバンを引ったくるように取り返し、別の号車の空席に座って大阪に帰った。
その友人は現在何をしているのかもしれない
「東京でカバンを持って急にいなくなったアイツは、やっぱり今でも許せない」
今に至るまで怒りは西川のりおの原動力である。

高校に入り、異性の肉体への興味と欲求が高まった西川のりおは、、エロ本を読み漁った。
入学してしばらくした頃、授業が終わって昼休みになり、校内食堂に行こうと立ち上がった瞬間、
「北村おるか、北村」
とかなりスゴんだ声が教室に響き渡り、振り返るのは怖かったので、とりあえず着席した。
後ろから近づいてくる気配がして
「お前、北村やろ」
ガラの声でいわれ、みてみるとガラの悪そうな男がいた。
「ハイッ」
裏返った声で答えると
「呼ばれたらすぐ返事せんかい。
応援団入ったのはわかってんねんやろ」
「僕そんなん入ってませんけど・・・」
相手が勘違いしていると思い答えたが
「入っとるやないか。
ちゃんとここに書いてあるやないか。
みてみい」
といって出された用紙をみてみると自分の名前が書いてあった。
慌てて思い出すと、入学式のとき、
『これからの学校生活について』
というアンケートに答えて、名前を書かされたことがあった。
(アレか!)
と思いつつ、
「名前を書いたときはアンケートだといわれ、応援団とは一切言われなかったのですが・・・」
と抗弁。
しかし
「もう入ったことになってんねん。
ごちゃごちゃいわんと早う屋上に上がらんかい」
といわれ、半ば強制的に屋上へ連れていかれた。

そこには肩幅くらいのスタンスで立って、太鼓に合わせて
「押忍!、押忍!」
と手を広げ、肘を曲げずにピンと伸ばしたまま手を叩く練習をしていている人や、大股に四股を踏んで立ち、先輩から腹に突きを入れられる度に
「ごっつあんです」
といっている人がいた。
西川のりおは、なんで殴られて礼をいっているのか理解できなかったが、結局、応援団に入ることになった。
1年生のときはツラく大変だった。
しかし2年生になって自分の舞(演舞)」に合わせて1年生が手を叩くのはかなり気持ちがよかった。
いつも1時間目の授業が終わると、すぐに校内食堂にいってコロッケ2個入りのコロッケ定食60円を食べるのがお決まりだったが、ロングの学生服、ダボダボの太いズボン、先のとがったクツをはいて、ガニ股で歩いていくと、席がいっぱいでも目が合えば譲ってもらえた。
4時間目が終わり、昼休みになると他の生徒がビクビクしながらみる中、応援団の練習。
「それがたまらなく気持ちよく、カッコイイと思いながら、意識しまくって演舞していた」
夏は、甲子園出場を目指す野球部の応援があった。
「かっとばせ、かっとばせ」
とツメ襟の学ランを着ての応援は、地獄の暑さだった。
西川のりおは、活力を求め、スタンドを見渡したが家族以外の女性は見当たらず、さらに暑苦しくなった。
野球部が負けた翌日から夏休みとなるので
「不謹慎だが正直なところ、早く負けてくれ」
と思いながら、学ランの背中に塩を浮かせながら応援。
大阪地区予選4回戦で負け、スタンドに向かって
「ありがとうございました」
といって泣きじゃくる野球部に拍手を送ったが、目は笑っていた。
そして翌日から夏休みをエンジョイした。


学祭のときは、学校が解放されて女性もやってきたため、かなり意識しながら大講堂やグラウンドで演舞。
「カッコええなあとみられてる」
と思って、何人かに声をかけたが全滅。
「こんな硬派な男よりロングヘアーでナヨナヨした軟派なヤツの方がモテる」
と嘆いた。
イヤイヤ入った応援団だが後悔どころか、かなり良く、高校3年生になると
「団長になってやろう」
と思うほどになっていた。
まず人にみられるという快感を知ったこと。
そして発声練習で腹式呼吸ができるようになったことは、後の仕事に大いに役立った。
何より
「生まれて初めてケツを割らずに3年間全うした」
ということが大きく、そのために被ったダミ声は勲章だった。

高3の夏休み、他の高校に通う中学時代の同級生から電話があった。
その同級生は、田中といい、それほど仲が良かったわけではなかったが、やけに明るい声で
「久しぶりやなあ。
花月の招待券が2枚手に入ってん。
観に行かへん?」
と誘ってきた。
「花月て何やってるねん」
「漫才やろ。
落語やろ。
そうや、テレビで観てるやろ、新喜劇、吉本新喜劇や。
面白いから行こうや」
「そうかあ、ほな行こか」
西川のりおは、勢いに乗せられ応じたが、なぜ田中が自分を誘ってきたんか不思議だった。
「田中というやつは、ケンカは強くないが、ちょっとカッコウをつけて不良っぽい格好をしている男だった。
まさかこれが俺の人生と運命を変える出会いになるとは、このときは知る由もなかった。
同級生の1本の電話が」

当日、大阪環状線、天満駅で待ち合わせ。
一駅乗って大阪駅で降り、夏の暑い昼下がりにうめだ花月に向かった。
大きな看板にペンキで色とりどりに名前がいっぱい書かれてあり、
「大きい字で書いている人と小さい字で書かれてる人があるなあ」
というと
「大きい字は看板芸人で、小さい字は前座の人間やなあ」
と田中が得意顔で教えてくれたので
(コイツ、なんでそんなこと知ってんねん)
と訝しんだ。
「ほな行こうか」
前をいく田中について花月の入口へ。
「これで2人分ですね」
と敬語でチケットを渡した田中に
「あの券、なんの券やねん」
と遠慮気味にたずねると
「株主券や。
オカンが知り合いからもろてきよってん」
「株主券てなんや」
「吉本の株持ってたら何枚かもらえんねん」
ロビーを抜け、扉を開けて劇場の中へ。
「コマからみたらかなり小さい劇場で入り口の女の人も心なしかコマの女(ヒト)の方がキレイだった」
しかし中に入った途端、大きな笑い声が聞こえた。
そこにコマ劇場のような仰々しさはなく、カッコウをつけて気取っている客は1人もいなかった。
「今始まったとこみたいやなあ」
歩いていく田中の後をキョロキョロしながらついていくと、客数は400人か500人くらいで劇場の半分より少し多め。
客層は中年から年配のオバちゃんが大半だった。

田中は舞台上にに男性の若手漫才師がいるのに
「ここ空いてるから、早よ来い」
と大きな声でいい、西川のりおは多くの人の視線を浴びながら前進。
さらに
「何してんねん。
早よ」
と自分を呼ぶ田中の声が場内に響く中、最前列ど真ん中の席に座った。
舞台を見上げると若手漫才師のアゴがみえるほどの至近距離で、田中は
「トップや。
前座やな」
と説明。
西川のりおは、声を出さずにコクリとうなずいた。
「次はやすしきよしや。
これがオモロいねん。
今売り出し中や。
漫画トリオももう居てないから、次はこのコンビや」
パチパチと自分たちで手を叩きながら赤青のアロハに真っ白なラッパズボンをはいた2人の男が出てきて
「横山やすしです」
「西川きよしです」
と自己紹介。
西川のりおは
(メガネかけた方は、エラい神経質な顔した銀行員みたいやな)
と思った。
銀行員がボケたりヘマをやるともう一方は、しゃべる度に目をむいて、
「パッチーン」
と音をさせて頭を叩いた。

やっているのは野球ネタで、キャッチャーのきよしが
「(指が)1本は直球。
2本はカーブ」
とサインを説明。
ピッチャーのやすしが投げようとするが、
「股ぐらボリボリかいたら何のサインか、ようわからへんがな」
再びきよしは
「1本は直球。
2本はカーブ。
わかったやろ?」
とサインを説明。
やすしはサインをみながら
「ハッキリわからんなあ
1本か2本か」
といって投げるときよしは
「カーブやないか!」
と怒る。
「カーブのサイン出したやないか!」
「1本しか出してないやないか」
「もう1本出してるやないか」
やすしに股間を指さされたきよしは激しく目をむいて
「そんなモン、計算に入れるな。
ややこしい」
会場は大爆笑。
笑いすぎて客がせき込むと、やすしは
「客がセキしとるやないか。
なんとかせい」
きよしはその頭を
「パシッ」
とはたくと笑いは頂点に達した。
2人はしゃべくりまくり、舞台の端から端まで動きまくった。
横山やすしのボケと西川きよしはツッコみに客席の西川のりおはハマってしまった。
「人生で本気で本当に面白すぎて笑いすぎて涙が出て腹がよじれたのは、これが最初で最後といっても言い過ぎではない」

「もうエエわ」
といってやすしきよしが舞台から降りた。
笑いすぎて汗だらけの西川のりおは
「短いなあ」
「15分以上やってたで」
同じく笑いすぎて涙が出ている田中はサッと返答。
その後、落語や手品、新喜劇を観たが、その最中もやすきよの漫才が頭をよぎり、
「もう1回最初から観ようや」
田中に頼むと
「もう1回みても同じネタやし、同じことしよるだけやで」
とあまり乗り気ではない様子。
しかし
「みたいねん」
と食い下がり
「ほな、みよか」
と渋々いう田中に
「ありがとう」
「悪いなあ」「ゴメンなあ」
と必死にヨイショ。
とにかくどうしてもやすしきよしがみたかった。

2回目の舞台が始まり、トップバッターの若手漫才師は
「♪街の灯りがとてもきれいねヨコハマー
ブルーライトヨコハマー♪」
といういしだあゆみの歌を
「ヨコハバー」
などと崩していくネタだったが、西川のりおは、
「早よ、終われ」
と独り言。
横の田中は寝ているように目を閉じていた。
舞台の上の1人が
「お前の歌が下手やから1番前のお兄ちゃん2人寝てるがな」
と振ってきたが、無視。
もう1人が
「寝てへんがなあ。
恐い顔して怒ってるがな」
といっても笑えなかった。
「もうこれ以上やっても怒られるわ」
2人が頭を下げて引っ込むと、田中は、
「1回目と一緒やろ」

続いてやすしきよしがセンターマイクに向かって走ってやってきた。
「横山やすしです」
「西川きよしです」
と挨拶。
以後は同じネタが繰り広げられ、西川のりおは大声で笑ったが、田中はあまり笑わなかった。
そしてやすしが
「股ぐらボリボリかいたら何のサインか、ようわからへんがな」
といったとき、西川のりおは思わず
「1本は直球。
2本はカーブ」
といってしまった。
すると西川きよしが目をむいて
「かなんな。
この前に座ってる兄ちゃん、たしか1回目も観とったがな。
やりにくいなあ」
まさか自分の言葉を拾って話しかけてくるとは思ってもみなかった西川のりおは驚愕したが、その後も
「早よ、サインみて投げんかい。
このズボン安いから屈んだらシワが入るんや」
と西川きよしがいうと舞台に向かって
「〇〇〇〇ちゃう?」
と安売りチェーン店の名前をいった。
「そうや、980円や。
ほっといてくれ。
兄ちゃん詳しいなあ」
西川きよしは再び客席の西川のりおに話しかけて
「その代わり、靴はどこで買うた思てんねん」
と白い靴を強調。
西川のりおが
「〇〇〇〇や」
と格安シューズ店の名前を出すと
「そうや。
シューズで980円。
そやからすぐに底抜けんねん。
この兄ちゃん一体誰やねん」
西川きよしがノッて返す度に客は大爆笑。
「もうエエわ」
やすしきよしはアドリブの強さを見せつけて漫才を終わらせた。
「みんな笑っとったなあ」
西川のりおがいうと
田中は冷めた口調で
「あれは客イジリや」
そして
「出よか」
といって立ち上がり、西川のりおは出口に向かって追いかけた。

ロビーに入ると少し離れた場所から
「よっしゃ行こか。
阪神の方が早いやろ」
「よっしゃ」
という声がして、やすしきよしが近づいてくる。
前を通り過ぎるとき、西川のりおは
「さっき観ました」
と声をかけた。
西川きよしは移動を続けながらも
「どうもありがとうございます」
それに対し
「キー坊、こっちや」
という横山やすしは、舞台とは程遠いシカメッ面だった。
「キヨシのこと、ヤスシはキー坊と呼んどったな」
西川のりおはつぶやきながら、出演者が客と同じ出入口を使って楽屋入りするのがわかり、
(ひょっとしたら・・・)
とほくそ笑んだ。
そして田中に
「明日も花月来うへん?」
「明日来て何すんねん」
「やすきよにあって声かけるねん」
「フーン、ホナ来よか」
田中は仕方ないヤツやという顔でOKした。

大阪駅から電車に乗らず、天満駅に向かって歩いた。
時間は19時を過ぎ、暗い中、西川のりおはとりつかれたようにやすきよの漫才についてしゃべった。
話足りず別れるのがイヤだったので天満駅の手前にある公園でしゃべっていると田中が
「サイン、ハッキリ出してくれなわからへんがな」
と横山やすしのセリフをいった。
「・・・・・・・」
西川のりおは言葉が出ない。
「しゃがんでキャッチャーになったらエエねん」
という田中に従い、キャッチャーになり、田中のリードでやすきよ漫才を再現。
ネタを完全に覚えている田中に驚きつつ
「俺もやれるんじゃないか」
と思った。
「18歳の夏の夜、生まれて初めて漫才をした。
晩御飯も食べず空きっ腹だったが、夢でいっぱいだった」

翌日、再び天満駅で集合し、田中と歩いて大阪駅に向かった。
うめだ花月に着くと劇場前にある出演者の出番表を確認。
「12時45分が出番やったら、15分漫才して1時にはここ(正面玄関)に出てくるな」
「多分そうやろ」
しかし13時30分になってもやすしきよしは出てこない。
「なにしてんねんやろ」
「会ってもしゃあないやろ。
会ってどないすんねん」
「昨日あんだけ、俺らやすしきよしとやりとりして笑わせたんや。
憶えてるで」
田中が帰りたそうだが、西川のりおは何時間でも待つつもりだった。
「ハッキリいって熱く燃えてたね」
1回目の公演が終わって客がドバっと出てきた。
時間は16時を回り、田中はしゃがみこんでいたが、西川のりおは、まったく疲れを感じていない。
「2回目は4時45分や」
やすしきよしに会うことだけを考えていた。
新しい客を入れて2回目の公演がスタートした。

「会って声をかけても相手してくれへんし、客とのやり取りなんかイチイチ憶えてへんで」
田中があきらめるよう催促したとき、西川のりおはやすしきよしを発見。
「来たッ!
出てきたで!」
声を上ずらせながら、あわてて出入り口に近づこうとして、しゃがんでいる田中を蹴ってしまった。
「痛っ」
やすきよにどこかに行かれては困るので西川のりおに『ゴメン』をいう余裕は、精神的にも時間的になかった。
そして出て行こうとするやすしきよしに大きな声で
「こんにちは。
昨日花月で1番前に座って声をかけた者ですが」
2人は立ち止まり、横山やすしがメガネの奥で目を細めながら
「なんや」
「昨日客席から安いズボンはいてるなあと声をかけたんですが」
すると西川きよしが
「漫才やってる最中に客席からあんなこというたらツブシや。
漫才がグチャグチャになって他のお客さんに迷惑なんや。
君らだけが客やないんやからな。
しゃべってきたからアドリブでかわしたけど・・・
オチの前に何回かしゃべってきたんやで。
今度からあんなことやったらアカンで」
西川のりおは
『昨日のオモロい子か』
といってホメられると思っていたので、少しビックリしたが、笑顔は崩さず、西川きよしに
「高校生か?」と聞かれて
「ハイッ」
と元気よく返事。
「アルバイトはしてないのか」
「してません」
「花月来る暇あったらアルバイトでもした方がエエんちゃうか」
西川のりおは意を決し、
「弟子になりたいんです。
弟子にしてください」
と気持ちをぶつけたが、西川きよしは
「そんな事、立ち話でする話やない」
と声を凄ませた。

「キー坊、この子なにいうてんねん?」
横山やすしは、西川きよしにそう聞いた後で
「これからは漫才よりボートの方がエエで」
と西川のりおにいい、
「キー坊、急ごか。
向かい側のタクシーに乗った方がエエ。
進行方向やからな」
といって横断歩道へ向かった。
その渡るスピードと動きは忍者のようで、西川きよしは
「そしたら」
といって追った。
西川のりおは、2人が乗ったタクシーがあった場所をしばらく眺めていた。
そして田中に
「やった!
相手にしてもらえたで!」
うめだ花月を去ったのは18時過ぎで6時間以上、滞在していた。
10時に朝食を食べてからで8時間以上、何も食べていなかったが、体に不思議なエネルギーが充満していて、空腹感は全くなかった。
そして別れ際、
「明日も花月行こな」
田中はその勢いに
「そやな」

それから連日、花月に通い、1日に何度も
「弟子にしてください」
といい続けた。
横山やすしは
「本気かいな。
勝負するっちゅうんかい」
と脈ありだったが、西川きよしは
「君らが思っている世界と違うで。
やめとき」
と繰り返した。
しかし西川のりおは弟子にしてもらうまで通うつもりだった。
ある日、
「毎日来とったなあ」
と横山やすしは優しい目でいい
「ハイッ」
と答えると、
「キー坊やったら、もうちょっとしたら出てくるで。
ほなら」
といって手を振って去っていった。
しばらくすると西川きよしが出てきたので
「お疲れさんでした」
と通っている内に覚えたアイサツ。
すると
「ホンマにやろうと思うてんねんな。
今日は楽日楽日(らくび、最終日)やから、来月、うめだ花月に出てるから、またおいで」
「ハイッ、来ます!」
花月は、うめだ、なんば、京都と3館あり、それぞれ1~10日、11~20日、21日~月末で公演していた。
そういう日程の中で西川きよしは、8月21日に来いといったのである。
そして
「お父さんお母さんには花月来てるこというてんのか」
と聞いた。
西川のりおは、本当はいっていなかったが
「ハイッ、いってます」
とウソをついた。

60人いるクラスの中で、成績は常にビリから5人以内。
その5人の顔ぶれはいつも同じで互いに
「アホ5人衆」
と呼び合い、仲が良かった。
西川のりおが花月に通い出した夏休み、母親は学校に呼ばれ、要件がわからずとりあえず夏物の着物を着ていったが
「今の状態やったら卒業も厳しいです」
といわれ、帰宅後、
「このクソ暑いのにわざわざお宅の息子さんアホやていわれにいったようなもんや」
と文句をいった。
西川のりおよりもレベルの低い高校に通う田中も、成績は悪かった。

それからテレビでやすきよをチェックし、
「昨日の前のよりオモロかったな」
「あそこアドリブやろ」
と田中と電話で漫才談義。
西川きよしは23歳で5歳上。
最終学歴中学という苦労人。
横山やすしは、25歳で7歳上。
小学生の頃から天才少年漫才師といわれ、何人か相方を変えて、西川きよしは5人目だった。
西川のりおは、
「きよしの方が、次々と面白いことをいって、やすしの頭を叩いて笑わせる。
だから面白いことをいうのはきよしで、真面目な方がやすしだ」
と分析し、
「どうせ弟子入りするなら面白い方にしよう」
と西川きよしの弟子になろうと思っていた。
田中は西川のりおに
「田中も弟子になるんやろ」
と聞かれ、その勢いにタジタジになりながら
「そうやな、エエで」
と答えた。
「漫才のことは田中の方が詳しかったかもしれないが、今や完全に俺がリーダーになってきていて、ものすごくよい気持ちになっていた」

8月21日、2人は、西川きよしにいわれた通りにうめだ花月へ。
「アッ、来た!」
西川のりおは、昼過ぎなのに
「おはようございます」
と業界風にあいさつ。
「オッ、来てるやないかあ」
西川きよしは目をむいて少し驚いたように返した。
「ハイッ」
西川のりおは道行く人に西川きよしと話す姿をみられるのがたまらなかった。
「コレ終わったら仕事やねん。
そやからすぐ出ていかなアカンねん」
といって西川きよしは消えた。
続いて横山やすしがスピード感のある歩き方でやってきたので
「おはようございます」
やすしは、一瞬、立ち止まり
「来てるなあ。
お主ら」
といってからスピーディーに去っていった。
そして1回目の舞台が終わると、やすきよは駆け足でタクシーに乗って消えた。
2回目の舞台のために戻ってきた2人に、
「お疲れさんでした」
西川きよしは
「ホンマに芸人なりたいんかいな」
西川のりおは、躊躇せず、
「ハイッ」
「やめといたほうがエエけどなあ」
西川きよしは、そういいながらうめだ花月へ入っていった。

西川のりおと田中は、うめだ花月通いと1日2回のあいさつと「弟子にしてください」アピールを再開。
5日後、1回目の舞台が終わった西川きよしが、いつものように通り過ぎていくのかと思いきや、
「一緒に来るか?」
「ハイッ」
「ヨッシャ、行いこか」
横山やすし、西川きよし、西川のりお、田中の4人は、タクシー乗り場へ。
後部座席に、まず西川きよし、西川のりお、田中。
横山やすしは、前のの助手席に乗り込んだ。
そして西川きよしが
「スンマヘン、運転手さん。
朝日放送まで行ってもらえまっか」
いうと横山やすしが
「アイアイサー」
西川のりおと田中は爆笑。
「運転手さん、スンマヘンなあ。
やすし君はなんでもボートに置き換えまんねん」
横山やすしは後部座席の西川のりおと田中をみながら
「この子らの前でぶっちゃけられたらかなんな」
「この子らにウケた思て、この言葉、舞台で使うたらどうすんねん。
この男はやりかねん」
西川のりおと田中は、さらに笑い転げた。
福島の朝日放送に着くと西川きよしの顔は引き締まり
「いつまで乗ってるねん。早よ、降りんかい」
と急かした。
そして
「行くぞ」
といって、テレビ局の中へ入り、会う人会う人に大きな声で
「おはようございます」
それに続いて横山やすしは軽く
「おはよございます」

西川きよしに
「ついといでや
俺のそばからあんまり離れんようにしいや」
といわれている西川のりおは2人についていきながらテレビ局の中に入れたことに
(これはすごい!)
と興奮したが、テレビ局のスタジオは想像していたよりはるかに小さく
「近所の集会場所程度」
だった。
西川きよしは、
「周りの芸人さんの邪魔にならんようにせなアカンで」
といって出演者が集まる控室に。
中は芸人だらけ。
漫才オールスター的な番組で、吉本の芸人だけでなく他社の芸人が勢ぞろいし、テレビで何回もみて名前を知っている有名な人もいて、西川のりおはカチンカチンで直立不動。
「こっちやぞ」
西川きよしに呼ばれ、あわてていくと
「今日は軽くやっときますね」
といって若い女性が、西川きよしの顔にスポンジでなにかを塗り始め、男が化粧するのを初めてみた西川のりおは
「ゲッ」
と驚いた。

「忙しいやろ。
あんまり儲けたらアカンで」
と話しかけられた西川きよしは、
「そんなん、ギャラが安いですから・・・
やっぱり師匠みたいにならんことには」
と返事。
「ホンマかいな」
といって相手が去ると西川のりおに
「ホメてくれてもその気になったらアカンねん」
その横では
「スコーンといかな」
といって横山やすしが女芸人を笑わせていた。
西川のりおはトイレへ。
途中、ギターを練習している人に
「あとどれくらいしたら始まりますか?」
と聞かれ、
「あと5分くらいです」
と適当に答えた。
トイレから帰ってきた後、ギターを練習していた人がメンバーに
「もう本番だから用意せなアカンで」
に声をかけ、
「本番まで20分以上あるがな」
「さっきそこで聞いたんや」
「誰がそんなエエかげんなこと」
「トイレの前でや」
と話すのをみて首をすぼめた。

テレビ収録が始まり、やすきよは前半の最後に出番が来た。
うめだ花月でやった野球ネタを
「ピッチャーできるんかい?」
「アイアイサー」
「さっきタクシー乗って、アイアイサーいうたら一緒の乗ってる者が笑いましたんや。
ほんだら早速使いやがって」
横山やすしは、スタジオの端でみている西川のりおをっみながら笑い転げ、スタジオもそれをみて大爆笑。
出番が終わり、帰りのタクシーで西川きよしは
「恐い男やろ。
言うた通り使いおった」
そしてうめだ花月に着くと、西川のりおたちは入り口で待とうとしたが
「入っといで。
この子ら入れたって」
初めて花月の中に入った田中は
「ホンマに弟子になるん?」
と聞いたが、西川のりおは
「やるでえ」
と明るく答えた。
田中は悩んでいる表情をみせたが、そんなのことはおかまいなしだった。
家に帰り
「今日、きよし師匠にテレビ局に連れて行ってもらって有名な芸能人もいっぱいみたんや。
タクシーに一緒に乗せてもらったんやで」
と一生懸命話したが、兄も姉も
『コイツ、ナニいうてるねん』
という表情をするだけで無反応。
母親は
「ホンマかいな。
よかったな」
と気持ちをまったくこめずにいった。

それからも毎日、うめだ花月に通った。
ただ待機場所は入り口ではなく、切符切りの横の扉を
「おはようございます」
といって関係者のように通って、ノレンのかかった楽屋口の前に変わった。
8月31日の日曜日、この日はうめだ花月の楽日(らくび、最終日)
その1回目の舞台が終わった後、西川きよしに
「オッシャ、君らも一緒にコーヒー飲みに行こか」
といわれ、うめだ花月の向かいにある喫茶店「アメリカン」へ。
西川きよしは、アロハシャツに白いパンツ、白い靴という舞台衣装で2階の席へ。
「あの人、テレビ出てる人違う?」
周りがザワつき、視線が集中したとき、西川のりおは
「俺をみているわけではないが、なんという気持ちよさ」
と快感を感じた。
立ったままの西川のりおと田中を、西川きよしは
「立っとかんと座り。
コーヒーでエエか?」
と聞かれ、西川のりおは背筋を伸ばして
(ホンマは冷コー(アイスコーヒー)が良かったなあ)
と思いながら
「ハイッ」
返事。
西川きよしは
「今仕事中ちゃうから楽にしいや」
と優しくいった。
コーヒーが来ても猫をかぶって飲まない西川のりおたちに
「冷めるから早よ飲み」
西川のりおは、喫茶店に入れば必ず冷コー(アイスコーヒー)で熱いコーヒーは初めてだったが、ミルクと砂糖を入れて初めて飲むと
(うまいな!)
そして猛烈にタバコが吸いたくなった。
高校に入って間もなく吸い出し、このときもセブンスターを忍ばせていた。

そのとき唐突に西川きよしが
「ひょっとしたら、もうタバコ吸うてねんやろ」
といったためにオドオドしてしまい、西川きよしは、、その様子を笑った。
「学校、9月になったら始まるやろ。
せっかく行かせてもろてんねやから、学校はちゃんといっときや」
マジメな顔でいう西川きよしに、西川のりおは
「そしたら僕らはこれから師匠のところに行くのにどうしたらよいでしょうか」
と使い慣れない言葉で質問。
「日曜とか祝日みたいな休みの日においで。
もし実際にやるとしても卒業してからやからな。
まだまだ考える時間もあるから、あせらんでもエエし。
ほんでよーう考えてみ」
それは西川きよしの真心だったが、西川のりおは心の中で
(ひょっとしたら弟子にせえへんつもりちゃうか)
と不安になった。

うめだ花月からの帰り、初めて漫才をした天満の公園を歩いていると田中がハンドルを持った運転手のフリをして
「不細工な女やな」
西川のりおは1度後ろをみてから顔を前に戻し、
「お前んとこの姉さんや」
「誰がやねん!
オッ、次はエライきれいな女の子や」
「俺んとこの姉さんや」
「ええかげんにせえ」
と2時間ほどやすきよの漫才をした。
そして天満駅まで来ると
「茶しよか」
と行きつけの喫茶店へ。
昼間、ガマンしたタバコを吸いながら、1曲50円のジュークボックスで大好きないしだあゆみの「喧嘩の後で口づけ」をリクエストし、足でリズムをとりながら
「♪けんかのあとでくちづけをぉ~」
と口ずさんだ。
そして西川のりおが
「休みの日は全部行こな」
と明るくいうと田中は煙を吐きながら
「行こ行こ」
と軽く応じた。

夏休みが終わり学校が始まっても、休みの日と応援団の活動がない日は欠かさずうめだ花月へ通って
「弟子まがいの用事」
をするようになった。
ある日、西川きよしは
「楽屋へ入れてあげるけど師匠とかいうなよ。
俺より先輩の人がまだ弟子とってないねんから」
といってから、少し悩み、
「そうや。
呼ぶときは兄さんというように。
エエか、くれぐれも師匠というなよ」
と念押しした後、
「よし、入り」
夢にまでみた楽屋に入れることになり
「俺はコーフンの息はすでに超えて、ボワァ~~。
田中は目をむけるだけむいて、きよしより大きかった」
西川きよしに続き、ノレンをくぐって入り通路を歩くと、公衆電話と出演者の名前と出番の時間が黒板が置いてある場所があって、紺色の事務服を着た60歳くらいの女性と50歳くらいの女性が立ち話をしていた。
「この子ら知り合いの子で漫才を勉強したいのでよろしくお願いします」
「まだ学生やな。
子供の顔してるがな」
「ハイッ高校3年生です」
西川のりおは、他では決してみせないブリブリブリッ子で返事。
西川きよしに
「お茶子さんいうて楽屋のいろいろな用事をしてくれてはんねん」
と教えてもらい、後をついていくと階段があり
(狭いし汚いしボロいし手すりはサビてるし)
と心の中で毒づきながら降りていった。

「おはようございます」
楽屋に入った西川きよしはすでに楽屋にいた芸人たちに挨拶。
「この子ら知り合いの子で・・・」
と紹介された2人が
「借りてきたネコ以上の異常な状態」
でいると、真っ赤なTシャツ、白のエナメル靴、白のスラックスの横山やすしが入ってきて、
「コイツら、ついに楽屋いれてもろたんかい」
やすしの登場で楽屋の空気は一気ににぎやかになり、きよしが
「かなんな。
もう出番ギリギリの時間やがな。
ボート乗ってたか、船券でも買うてたんと違うか」
とチャかすと
「ボートには乗っとらんかったけど、コッチのほうに乗っとった」
といって小指を立て、楽屋に大きな笑いが起こると西川のりおたちをみながら
「かなんな。
この子ら、兄ちゃんの秘密知ってしまったのね」
「君ら、ようウケるから、やすし君、舞台で何いうかわからへん」

「ハンガーに吊ってるズボンとって」
鏡の前で準備している西川きよしにいわれ、初めて用事を頼まれた西川のりおは、ドギマギしながらステージ衣装をハンガーから外して渡した。
「サンキュー」
「やすし師匠もとりましょか?」
「アイアイサー」
そういった横山やすしは、女物のガードルをはいていた。
「ワシなあ。
男のイチモツがモッコリしてふくらみがバレるのイヤなんや。
そやからブリーフはいた上にガードルをはいてんねん」
それからステージ衣装のズボンをサッとはき、ベルトをキュッとしめ、カッターシャツのボタンを留め、ネクタイをギュッと締め、靴を履くまで動作が
(無呼吸でやってるん違うか)
と思うほど異様に速く
(こんな人間いない)
と思った。
反対に西川きよしは、何度も七三分けのヘアスタイルを斜めから、正面からと10回以上チェックし、衣装もゆっくりと1つ1つ確認しながら着ていた。
「ヨッシャ」
西川きよしは、自分に気合を入れるようにいい、やすきよは楽屋の細い階段をかけ上がって舞台袖へ。
これまで客席から観ていた西川のりおは、舞台袖の小ささ、狭苦しさに驚いた。
舞台で行われていた夫婦漫才が終わって、出囃子が鳴ると
「行こか」
「ヨッシャッ行こ」
西川きよしと横山やすしは声をかけ合った後、すぐに舞台のマイクめがけて走っていった。
西川のりおは、初めて横からやすきよ漫才を観た。
舞台上では横山やすしがメガネを外されて投げられ、それを探す仕草で爆笑をとっていた。

西川のりおは学校では
「エエかげんにせえよ」
と目をむいて西川きよしのマネをやって
「やすしきよしは最高にオモロいでや」
と熱く語っていたが、高3の冬のある日、田中が電話で
「友達がヤンタンの桂三枝のやってる土曜日の素人演芸コーナーにハガキ出しよってん。
俺らの名前で
どないしたらエエねん」
といってきた。
「行ったらんとしゃあないのとちゃうの」
「その予選が来週の土曜日の昼からやてハガキまで来てるらしいわ」
西川のりおは、予選に出る不安と、その一面識もない友達への不満が入り混じる中、練習を続けた。
ドライブネタをやることにし
「不細工やなあ」
「お前んとこの姉ちゃんや」
「かわいい女の子やなあ」
「俺んとこの姉ちゃんや」
のやりとりを練習。
予選前日、
「明日やるだけやってアカンかっても別にエエから気にすることないやん」
「そやな」


当日は大阪、千里の毎日放送まで田中の友人の車で送ってもらった。
西川のりおは、この友人とは以前に1回会ったことがあった。
20㎞くらい距離があるので、ドライブネタを練習しようとしたが、実際に歩いている女性をみて
「ホンマ不細工やな。
猪八戒みたいな顔しとる」
というと車内は大爆笑。
いつの間にかドライブ気分でワイワイとハイテンションになりまくり、予選前の緊張感は消滅。
「笑いすぎて道間違えてるんちゃうか」
「大丈夫や。
まかせてといて」
「大丈夫て、お前が1番信用でけへんのじゃ。
田中の友達いうから辛抱しとるだけや」
「お願いやから、もうなんもいわんといてくれ」
笑いすぎて運転している友人は懇願した。
(この2回目にあった男と、こんなに打ち解け、しゃべれ、ウケまくっている)
西川のりおは自分に実力に酔いしれた。
こんなときいつもなら
「北村は、ウケたら勘違いして、オモロないこというてもウケてると思い込むタイプやから、あんまり図に乗せたらアカンねん」
という田中は黙っていた。

夕方、車は、毎日放送に到着し、友人と共にヤンタンの予選会場へ。
漫才、モノマネ、漫談、落語、それなりにできる連中が集まっていると想像していたが、同い年らし男やき年上らしき男が20人ほどいた。
みんな壁に向かってネタの練習をしていて、雑談しているのは西川のりおたちだけ。
やがてスタッフが現れ
「予選に出られる方の名前尾を呼びますので手を上げて大きな声で返事してください」
といって点呼を行い
「続いて予選を受ける順番をいいますから、よく聞いて自分の順番を覚えておいてください」
と指示。
西川のりおと田中は8番目だった。
毎日放送のアナウンサーの進行で予選が始まり、80人くらいの客の前で落語やモノマネ、漫才が行われた。
しかし前の7組は、すべて
「ブーッ」
とブザーが鳴って不合格。
しかし西川のりおと田中はドライブネタは大爆笑となり、ネタの途中で
「ピンポンパンポン」
と連続で鳴り、
「合格です。
おめでとうございます」
と告げられ、友人にも
「お前らオモロいなあ」
といわれ、完全に有頂天。
帰りの車は来るときよりもハシャいだ。
番組は公開録音だったため、
「ヤングタウン土曜、桂三枝がやってるヤツ知ってるやろ」
「ヤンタン土曜に出るんや」
と学校中で宣伝。
うれしくて、すでに顔はコワモテではなかった。


3週間後の土曜日の昼過ぎ、同じメンバー、同じ交通手段で大阪、千里の毎日放送へ。
ヤンタンの収録はすでに始まっていて、桂三枝が200人くらいの観客を笑わせているのを横目にみながら控室へ。
「どや、緊張してるか?」
田中にを聞かれ、いたって平常心だった西川のりおは
「いーや」
やがてスタッフに
「そろそろスタンバイしてください」
といわれ、舞台袖へ。
「それではヤンタン演芸コーナー、今日は漫才で、〇〇工業高校の北村君と〇〇商業高校の田中君。
それではどうぞ」
桂三枝に紹介され、小走りでスタンドマイクの前へ。
「こんにちは。
北村です」
とアイサツしてから
「かわいい女の子やな」
と漫才を開始。
ドライブネタは確実に笑いをとり、しかも話が進むにつれてスタジオの笑いが大きくなっていき、桂三枝がゲラゲラ笑うのもみえた。
「もうエエわ」
田中がツッコみで終了。
桂三枝がやってきて、
「オモロいな。
しかし君、オッサンみたいな声してるな」
と西川のりおをイジって、笑いをとった後、
「しかしオモロい。
来週も呼びたいな」
というと会場から拍手が起こった。
西川のりおはテレながら
(エエ気持ちや。
今まで色んなことでそう思ったけど、間違いなく今日が1番エエ気持ちや)
田中はうれしいのを通り越して顔を真っ赤にして涙をボロボロ流していた。

素人名人会の予選の日、マネージャーの車に乗って毎日放送へ。
ヤンタンに比べて予選を受ける人の平均年齢が高く、出し物も踊りやマジック、民謡といったものが多かった。
出番が来て
「かわいい女の子やなあ」
といつものようにドライブネタ。
「カンカンカン」
と鐘が連打されて
「合格です」
得意になって控室でハシャいでいるとスタッフが現れ
「出演は、正月1月3日の生放送で、うめだ花月からやりますのでよろしくお願いします」
西川のりおは嬉しさをこらえきれずに叫んだ。
「いつも名人会は録画でやってるやん。
そやのになんで俺らは生放送なんや。
おまけに正月やて。
ましてうめだ花月や」
田中も
「正月で生放送や」
と呼応し、その後はお互い何をいっているのかわからない会話が続き、友人のマネージャーは、
「やったな」
を繰り返していた。


その後、ヤンタンに5週間連続で出演し、学校で
「聞いたで、ヤンタン」
「桂三枝もオモロいいうたてな」
と知っている者だけでなく知らない者まで話しかけられるなど、ちょっとした有名人。
授業中、物理の先生に
「応援団でスゴミきかせてるだけや思うとったが、人を笑わせることもできるやな」
といわれると
「はあ」
と髪の毛をかいてみせ、応援団でも後輩に
「面白いし演舞をするのもカッコイイ」
といわれてもと無表情でいたが
「本当はもうめちゃくちゃエエ気分やった」
このときすでに2ヵ月以上、西川きよしのところにいっていないことには、まったく気づいていなかった。
「というより完全に忘れてしまっていたね」

名人会の出演が近づいてきた年末のある日、いつもの天満の喫茶店で
「素人名人会にうめだ花月から生放送で出ますってきよし師匠に報告に行かなアカンな」
とタバコを吸いながっら田中にいうと
「今どこに出てはんのかなあ」
うめだ花月に電話して確認するとお茶子さんが
「なんば花月ですわ」
と教えてくれたので
「12月23日に行こか。
冬休みやし日曜違うてもエエやろ」
「エエよ。
23日行こ」
そして当日、電話も入れずに花月の前で待っていると西川きよしがやってきたので
「おはようございます」
と大きな声であいさつ。
「オオッお前らか。
何や今日は?」
西川きよしはそういいながらサッと前を通り過ぎて入っていった。
「この子ら入れたって」
とはいってくれなかった。
続いて横山やすしが来て、
「オッ君らか。
久しぶりやな。
今までどないしとったんや。
長い間連絡ないからキー坊心配しとったで。
連絡は入れなアカン。
絶えずな。
それがスキンシップちゅうもんや」
と早口でいいながら1歩も足を止めずに中へ入っていった。
1回目の公演が終わり、2人はテレビ局に行くためにタクシー乗り場でタクシーに乗ったが、ずっと知らん顔。
発車するとき、横山やすしは車内で手を上げてくれたが、西川きよしは、まったくこちらをみようともしない。
タクシーが走り去った後、
「きよし師匠なんであんなに怒ってはるんや」
「そんなん、わかるわけないがな」
「とりあえず2回目の舞台前まで待とう」

待っている間、看板芸人が何人も通っていった。
以前なら気を引こうと
「おはようございます」
と大声であいさつしていた西川のりおだが、
「俺はヤンタンに出て、名人会にも出るんや」
という気持ちがジャマしてできない。
ましてや名前が売れていない芸人にあいさつするなどバカらしく思えた。
西川きよしに対しても、ヤンタンや素人名人会のことを話して
「ようやったなあ」
とホメてもらおうと思っていたので、
「あのつれない態度はなんだ」
と怒りを感じていた。
3時間以上、待って田中が
「遅いなあ、腹減ったなあ」
とグチり出したとき、
「オーッ、待っとったんか。
石の上にも3時間45分やな」
といって横山やすしが登場。
西川きよしが後ろにいたので、
「お疲れさまでした」
と思い切り大声であいさつしたが目もくれず行ってしまった。
(なんや知らん顔しやがって)
怒る西川のりおは、田中に
「終わるまで待とう!」

出番が終わって出てきた横山やすしは
「オオッまだいてるのか」
といった後、商店街へ消えていった。
30分後、西川きよしが出てきて
「お疲れさまでした」
とヤケクソ気味の大声を張り上げると
「ちょっとおいで」
と手招きされ、ロビーへ。
舞台では新喜劇が始まっていた。
「君ら、長い間、顔も出さんと何しとたんや」
「・・・・・・」
しゃべり方は優しかったが、西川のりおは西川きよしがコワく何いえなかった。
「弟子にしてくれとあれだけしょっちゅうとったのになあ。
来れるときは行かせていただきますっていうとったやないか」
「・・・・・・」
「なんかラジオに何回か出たんやろ?
会社の人から聞いたよ。
そやから来んかったか。
もう弟子にしてくれと頼む必要がないて思たんか。
それやったらそれでやれや。
そやけどな、そんなやり方や考え方では、この世界で一瞬は通用しても、いずれはアカンようになって誰も相手してくれんようになるで。
芸能界おちょっくたらアカンぞ。
ナメたらアカンで」
「・・・・・・」
西川のりおは西川きよしの目を見る勇気がなく、ずっとうなだれていた。

「何回も俺に会いに花月に来てなんか縁があるんやろと思って楽屋にも入れて、俺は君らのために先輩に気も遣たんや。
弟子にしてやろと本気で考えとったんや。
それやのに気持ち踏みにじるようなマネしたらアカンやろ。
嫁はん(西川ヘレン)にも弟子とるかもしれんぞというとったんや」
西川のりおと田中は目からロビーの床にポタポタと涙が落ちた。
「泣いたらアカンやないか」
そういう西川きよしの声も涙ぐんでいた。
「今日来たらホメられる思てたんやろ。
ほんまホメたろ思ってたんや。
素人名人会も出るんやろ。
正月に。
お客さんいっぱい来てるし、ヤンタンの客層と違うて年配の人が多いで。
同じやり方やったら笑えへんぞ。
プロの芸人が出てるところやからな。
俺もその日、みれるんならみとくわ」
西川のりおと田中は、素人名人会に出ることを知っていたことに驚きながら、胸がいっぱいで大きな声が出ず、小さな声で
「ありがとうございました」
「ホナもう遅いし気をつけて帰りや。
お父さんお母さんにヨロソク伝えといて」
そういって西川きよしはロビーを出ていった。
しかし西川のりおは親が西川きよしのところへいっていることを信用していないので伝えようがなかった。

西川のりおがと田中は、西川きよしが自分たちのことを思っていてくれたことがうれしくて、再び花月に通うようになった。
花月の正月興行は、12月31日の大晦日が初日。
素人名人会を3日後に控えた西川のりおと田中は花月に行って、初日の出番を待つ西川のりおと横山やすしに挨拶。
そして西川きよしにカッターシャツを着せ、ズボンにベルトを通し、はきやすいようにズボンの前を持って渡し、靴と靴ベラを用意し、最後に後ろから上着を着せた。
「師匠、出番1本前です」
といわれると西川きよしは早めに舞台袖へ向かった。
横山やすしは、
「横山が8時45分に行くから、即飲めるように。
即やで」
「大晦日?
関係ない。
スタンバイOK」
「何が年末や。
帰って狭い家掃除するだけやろ」
と電話をしまくり、仕事後の段取りをしていた。
「デンデン」
と囃子が鳴って、落語家が舞台を降りたのがわかり、西川のりおは
「やすし師匠、出番です」
「ナンギやなあ。
小便でけへんかったがな。
もう満タンやねん」
西川のりおと田中は、袖から舞台を見学した
終わると舞台を降りてきた師匠におしぼりを渡し、楽屋に戻ると師匠の舞台衣装をハンガーにかけ、クツを片付け、私服を着せる準備。
「エラい年末やった、来年もよろしく」
横山やすしは足早に楽屋を出た。
「今年はありがとうございました。
来年もよろしくお願いします」
西川のりおと田中があいさつすると、西川きよしは
「こちらこそよろしく。
来年はいよいよ高校卒業やなあ」
と優しい言葉を残して去っていき、西川のりおは
(明日も新年のあいさつで花月に来んとアカンな)

その夜は寝つけないまま、元旦を迎え、田中と待ち合わせしているうめだ花月前へ向かい、西川きよしがやってくると
「明けましておめでとうございます。
昨年はいろいろお世話になりました。
今年もよろしくお願いします」
「今年もガンバロ」
正月興行の花月は、琴の音が流れ、門松や羽子板、タコ、獅子舞などが飾られていた。
楽屋に入ると明らかに酒臭く、西川きよしも先輩芸人にすすめられ、湯呑茶碗で日本酒を飲み干した。
すると横山やすしが入ってきて
「明けましておめでとうございます。
昨年は・・・・」
「長い長い。
アイサツはショートに」
すでにどこかで飲んでいるようで
「やすし君には酒すすめんといてな。
これ以上飲んだら舞台で暴れ出すか寝てまうかどっちかや」
「かなんやろ、この男。
じきブレーキかけんねん。
人がアクセル踏もうとしてんのに」
この日の舞台衣装は羽織袴だったので手伝いはできなかった。

漫才が終わり
「お疲れさまでした」
というと
西川きよしは
「オーッ、お疲れさん」
といってポチ袋を差し出し、ためらう西川のりおに
「お年玉や」
といい、目で
『もらっとけ』
と促した。
「ありがとうございます」
西川のりおは表彰状をもらうように深々と頭を下げて受け取った。
「俺はお年玉はやらん主義やねん。
その代わり大人になったら酒飲ましたる」
「君らも、今日は正月やし早よ帰ったり」
花月の帰り、西川のりおと田中は喫茶店へ。
コーヒーを頼んで、きよし師匠の前ではご法度のタバコを吸った。
「お年玉もらえるとは思わんかったな」
丁寧に
「きよし」
と書かれたポチ袋を開けると5千円も入っていた。
昭和45年当時、大卒の初任給が平均5~6万円。
西川のりおは、金額の大きさも、西川きよしの気持ちもたまらなくうれしく
(この金は貯金しよう)
と決めた。
「今もこの金は貯金通帳に残っている」

家に帰り、コタツでミカンを食べながらテレビを観ている母親に
「きよし師匠にお年玉もろてん」
といったが、
「そうか。
それはよかったな」
と振り返りもせずにいわれた。
翌日、花月にいって、西川きよしにお年玉のお礼をいうと
「お父さんとお母さんは、弟子入りするのになんといってはるんや」
西川のりおはバツが悪そうな顔で
「オトンとオカンは師匠のところに来てるの本気にしてません」
「正式に決まったら両方にお家にあいさつに行くから今はもうこれ以上いわんとき」
「ありがとうございます」
「君ら、明日ここから生で名人会やろ。
俺もできる限りみたいと思てたんやけど、ちょうどその時間、他局の生放送にいかなアカンねん。
お客さんはいっぱい入ってるけど雰囲気にのまれんようにしいや。
ヤンタンとは客層がちゃうから、同じネタでもゆっくりしゃべりや」
「はい、ありがとうございます」


1月3日、西川のりおは、金ボタンの黒いジャケットにグレーのスラックスを着て、花月へ。
お揃いの服を着た田中と合流し、中に入ると、売店のオバちゃんに
「ちょっとアンタら何やのん」
「名人会に出るんです」
「へえ、きよっさん知ってはるの?」
「ちゃんといってます」
そのやりとりを不思議そうな顔でみているテレビ局の担当者に
「出演者の皆さん、こちらへお集まりください」
といわれ、ロビーへ移動。
そこにベテラン漫才師がやってきて
「今日出るらしいな。
キー坊から聞いたで」
といわれた。
テレビ局の担当者は、西川のりおと田中が親しげに話す様子をみて、
「君ら、プロやないんやろな。
西川きよしさんのお弟子さんか?」
西川のりおと田中は
「プロでも弟子でもないんです。
いつも優しくしていただいているだけです」
「ファンやいうたら大事にして相手にしてくれてはるんです」

素人名人会の出場者は、幼稚園くらいの女の子の日舞や大学生の落語、70歳を過ぎた男性の民謡、OLの歌などの面々。
ほとんどの出場者に身内や友人がついていたが、西川のりおと田中は、運転手をしてくれていた友人を呼ばなかった。
西川きよしに注意され、
「浮かれている場合ではない」
と改心した結果、自然と声をかけなかったのである。
しかし
「名人会出るからみとってや」
と周囲の宣伝は盛大に行っていた。
収録が始まると、西川のりおの精神状態はナチュラルでノリノリだったヤンタンのときと違い、ドキドキ動機を感じるほど緊張。
田中も落ち着かずに同じところをグルグル歩き回っていた。
「次ですから来てください」
スタッフに促され、舞台袖へ。
西川のりおは
「いつも通りいこう。
大丈夫や」
といったが、その声は裏返り、全然大丈夫ではなかった。

「さあ、次は高校生で漫才。
それではお願いします」
司会者のコールの後、舞台中央へ走った。
「ドライブいこか」
「かわいい女の子が歩いてくるな」
いつものドライブネタだが、満員の客席から笑いがまったく起こらない。
誰1人笑っていない状況に焦り、早口になってどんどんネタを進めていき、
「もうエエわ」
という田中のセリフで漫才が終わったが、客席は
「シーン」
と張り詰めたような静けさだった。
司会者が出てきて
「友達同士なんでっか?」
審査員をしていた落語家は
「テンポが早いのと間がないのを取り違えて、お客さんがどこで笑ったらええかわからんようになってしまい、演っている自分らだけが何回も練習してはるんでわかってネタをやってるつもりが、お客さんは意味が解らんかったんちゃいまっか」
西川のりおは、恥ずかしくて背中を丸めながら袖へ引き上げた。
人前でネタをして初めてイヤな気分になった。
「君らプロかと疑っていた人間が、ザマアミロといわんばかりに口元に薄ら笑いを浮かべていた」

西川のりおは何時間も一言もしゃべらず、西川きよしが花月にくるのを待った。
18時過ぎ、やってくると
「お疲れ様でした」
「お疲れさん。
名人会どやった?
ガツンといかれたか」
西川きよしに観ていたかのようにいわれ、西川きよしと田中は顔を見合わせた。
そして自分たちと同じ舞台に上がったやすしきよしは、同じ客を大爆笑させた。
「さあボート仲間の新年会や」
横山やすしはサッサと楽屋を出ていった。
「どうやってん」
座布団に座った西川きよしに聞かれ
「まったくダメでした」
「いうた通りになったやろ。
金払ったお客さんのところで、そんなかんたんにウケへんよ。
プロのもんでも前座のときはウケへんねんから。
アガったやろ?
雰囲気の飲まれて早口になってしまって、なにいうてるか客がわからんかったんやろ。
素人と玄人はそこが根本的に違うんや。
まあ素人でいろいろ出たりするんは今日で卒業や。
いよいよこの世界に入る心の準備をしとかなアカンで。
君らが想像したり思てる世界とは違うから。
それだけはくれぐれもいうとくで」
西川のりおが家に帰ると家族がコタツに入ってテレビを観ていて
「ただいま」
というと
「お帰り」
と返してくれたが誰もこちらをみない。
しばらくして母親が
「あんまり大きいこといわんほうがエエで。
お前がテレビ出るいうから、あっちこっちに電話したのにエラいカッコ悪いわ」
というと父親が
「アホ、テレビ出れただけでも大したもんや」

正月が終わって3学期が始まると、学年末テストが西川のりおの頭痛の種となった。
1年生、2年生と多くの科目で追試を受けて、
「絶対に点数は足りていないが、おそらくオマケかお情け」
でかろうじて進級してきた。
進路指導の面接で
「これからどうするつもりや」
と聞かれ
「僕大学はやめときますわ」
と答え
「誰がいつ大学いくの勧めた。
それより卒業できるかどうか心配したほうがエエぞ」
「はい」
「もし卒業できたらどうすんねん」
「家の運送屋、手伝います」
「それがエエ。
そのためにも学年末テストは死ぬ気でがんばらんと」
高校に行っていない西川きよしにも
「なんかチラッと聞いたけど、成績悪いモンばっかり集めて、もう1回試験受けなアカンのがあるらしいな。
まさか君ら、そんなんはないやろ。
そんなん受けなアカンかったら弟子はいらんで」
と笑いながらいわれ、西川のりおは
「もう捕まる寸前の犯人のようにハラハラを越えた状態だった」

そして西川のりおは思った。
「やるべきことは1つ。
カンニングしかない」
今さら勉強しても点数が取れないのは明白だった。
左右斜め前の席の2人がクラスでトップクラスの成績を誇っていたのが幸いだった。
学年末テストの1週間前、2人に
「俺、実は弟子入りすんねん。
そやけど追試ウケるんやったらアカンいわれてるねん。
テストのとき、答案チラッとみせてくれへんか。
お前には他にも工業製図書いてもろたりしてホンマ世話になったけど、コレが最後の頼みや。
俺もできる限り試験勉強はする。
なあ助けて。
お願いや」
「しゃあないな。
バレへんようにやってくれよ。
バレたら全科目0点になった上、停学やからな」
西川のりおが家で試験勉強を始めると母親に
「時季外れの台風来るんちがうか」
「なんか悪いことでもしたんか」
と本気で心配された。

試験の日、答案用紙が配られたとき、成績トップクラスとアイコンタクト。
西川のりおの席は、教壇からみて右から3番目の列の前から4番目。
まず自分で解るところを埋めた後、
「ハア~」
と息を吐いて合図を送った。
成績トップクラスは答案用紙をみえるようにズラしてくれ、西川のりおは監視している教師に注意しながら、少しずつ書き写していった。
試験が終わり、担任教師から恒例の追試組の発表があったが、そこに西川のりおの名前がなく、みんなに
「え~」
と驚かれた。
特にアホ5人衆は
「先生なんか間違ってませんか?」
「北村、なんかやったやろ」
と口々に叫んだが、
「俺はがんばってん」
と言い切った。
その後、
「俺もホッとしたわ」
というトップクラスと肩を組んで校内食堂へ行き、キツネうどんとコロッケ定食をオゴった。
アホ5人衆とは、それからほとんど付き合っていない。

2月、師匠が出演しているなんば花月にいき
「今日からつかせていただきます。
卒業式だけ休ませてほしいのですが」
「もちろん卒業式は出たらエエ。
最後のケジメやからな。
もう前と違うて、しっかりやらなアカンからな。
おいおい楽屋や仕事場で君ら紹介していくから、まあガンバレ。
最初はとりあえず弟子見習いやかなら。
ほんで様子みて正式な弟子にする。
実際、弟子になってしばらくしたら、俺が注意したり怒ることが多なるで。
想像してたんと違うと、きっと思うときがくるから。
ほんで俺のこと大嫌いになるわ。
まあそこからがホンマの修業や」
西川きよしは、これまででイチバン熱く語った。

舞台に上がる少し前に衣装を着せ、降りたらおしぼりを渡し、衣装を片付ける。
この繰り返しは基本だったが、きよし師匠に靴を履かせるタイミングが遅れ、
「お前、クツ出すのん、いっつもリズム悪いな」
と目をむきながら怒られ、凹んでいるとやすし師匠に
「展開読みや。
ボートと一緒や」
とアドバイスをもらった。
「いくらなんでもクツはくのとボートレースは違うやろ。
なんでも例えたらエエちゅうもんちゃうで」
きよし師匠がいうと、楽屋にいた芸人が
「舞台に上がる前から、そんな絶妙な呼吸で漫才やれたらかなんな」
とチャカすと
「みてみい。
お前のためにいらんツッコミ入れられたやろ」
と怒られた西川のりおは
(マジかシャレかわからん。
クソー)

やすしきよしは、テレビ局に行くことが多く、先にタクシーを待たせておくなどやるべきことはたくさんあったが、最初はついていくだけで必死だった。
「当時、やすしきよしは朝日放送の番組でレギュラー司会をやっていたが、緊張しすぎて記憶がない」
西川きよしは自分が紹介するより先に
「この子ら、なに?」
と相手に聞かれると
「お前ら、キチッと自己紹介せんかい」
とすごい剣幕で怒った。
Gパンにセーター姿の西川のりおが
「あいさつが遅れて申し訳ございませんでした。
きよし師匠の弟子になりました、北村と申します」
というと
「自己紹介するときは師匠つけたらアカン。
呼び捨てでエエ」
と注意し
「君ら楽屋ではとりあえず1番下やねんから誰にでも頭下げとき」
まるで俺に恥をかかすなよといわんばかりの指示され、西川のりおは会う人すべてに大きな声でハッキリ
「おはようございます。
この度、西川きよしの弟子になりました北村と申します。
よろしくお願いします」
出前を持って来た店員にまでアイサツし
「毎度おおきに」
と返された

西川きよしの出前は、いつも同じメニュー。
「俺はキツネうどんと中飯。
君らもそれでエエか」
とパンツ一丁で座布団に座る西川きよしからをいわれ、
「はい、いただかせてもらいます」
と答え、お茶子さんがいる場所にいって公衆電話で
「なんば花月の楽屋ですが、キツネうどん3つと中飯1つ、大飯2つお願いします」
と注文。
15分くらいして届くと、師匠にお茶を入れた後、自分たちは楽屋の端の下駄箱で食べた。
朝から晩まで超多忙な師匠について、夜家に戻ると着替えもせずにバタンキュー。
朝は始発の電車に乗り、JR、地下鉄と乗り継ぎ、1時間10分かけて師匠の住む大阪、住吉の公団住宅までいった。
そんな生活が、ほぼ毎日続き、まともに睡眠がとれることはなく、常に
「眠い」
「寝たい」
と思っていたが、師匠と一緒になると緊張感が優って仕事をこなした。

眠気と疲れを気合で抑えて乗り切っていたが、ストレスがたまるとどうしても情緒不安定になってしまい、そんなときは
「すいません。
トイレに行かせてもらっていいですか」
といって脱けて、ロビーの端でタバコを吸った。
しかしあるとき新喜劇の女優にみつかり、
「アッ、あんたらキー坊とこのお弟子さんやね」
といわれ、笑顔でゴマかし何もないことを祈ったが、すぐに西川きよしに
「チョット来い」
と呼び出され、
「1日の用事が終わって、お疲れさんいうてから、どっかわからんとこで吸え」
と完全禁煙は免れたが仕事中は吸えなくなってしまった。

なんば花月で1回目の舞台が終わり、衣装から楽屋着のパジャマに着替えた西川きよしは
「楽屋にずっとおらんでエエから、他人(ひと)の舞台を観て勉強し。
客席の1番後ろで空いてる席あったら座らせてもろてもエエから」
といって新喜劇の楽屋へ。
西川きよしは、元々、新喜劇出身なので、よく昔の仲間とおしゃべりしにいっていた。
新喜劇で全く売れていなかった西川きよしは、看板女優、ヘレンが熱を出したとき、休養させるためといって自分の家に連れて帰り、そのまま返さず、会社に
「身の程を知れ」
ヘレンの家族に
「略奪された」
と罵られ、そして大反対されながら結婚。
その後、横山やすしに見出され、漫才に転向した。
「ありがとうございます」
頭を下げて客席の1番後ろに座った西川のりおは、舞台を観て勉強していたが、いつの間にか寝てしまった。
すごく気持ちよく寝ていたが、いきなり
「ゴツン」
と頭を殴られ、振り返るとこれまでみたことのないような表情をした西川きよしがいて、これまで聞いたことのないような声で
「お前らナメてんのか。
もう舞台終わったんや。
そんなに寝たかったら弟子やめて家でゆっくり寝え」
そしてロビーに引っ張り出された。
西川のりおは、師匠の2回目の舞台も気づかずに寝ていたという事の重大さに気づき、
「すいませんでした」
「すいませんでした」
と何度も謝り倒し、西川きよしに唇をかみしめながら許してもらった後、
「師匠は普通のときは君らと呼ぶが、怒るとお前らに変わる」
と学んだ。

その後も眠気にせいでボーっとしていると
「人の邪魔になるような立ち方するな」
などといわれ、しょっちゅう西川きよしに怒られた。
あまりに怒られているので
「今日1日で俺の知ってるだけで100回チョイ手前くらいキー坊怒らせとるな。
チョット数が多すぎるよ。
ミスをもっとスモールにしなさい。
要領よく、いろんな用事をインプットすること」
と横山やすしにアドバイスされたり、他の芸人も笑わせようと
「今日こそ100回怒らせて新記録つくらな」
といってくれたが、西川のりおにそれを面白く受け止める余裕はなかった。
しかし楽屋で月亭可朝に
「エラいドスの利いた声やな。
声だけやったらヤクザでいけるな。
ほんで殴られんねん。
どないする?
逃げなしゃあないがな。
なんでなんもしてないのに逃亡者にならなアカンねん」
といわれ、それに笑福亭仁鶴が
「リチャード・キンブルも身に覚えのない妻殺しで無実やのに逃げてんねん。
だから君も逃亡者になり」
と軽くいうと長い間笑ってなかった西川のりおは、決壊したダムのように笑った。

ある日、西川きよしに
「君らの両親にご挨拶行かなアカンのやけど、急やけど今日の夜はどうや」
といわれ、西川のりおは、すぐに家に電話。
「オカン、今日、夜、師匠が挨拶に行きたいいうてはるねん」
「師匠て、なんの師匠やねん」
「ホンマにきよし師匠について世話になってんねん」
「ハイハイ、わかったわかった。
来たら来たのときのことや」
自分の話を適当に聞いて信用しない母親に、西川のりおの心は不安でいっぱいになったが、先のことは想像しないようにした。
花月の2回目の舞台が終わり、着替えを手伝っていると、西川きよしはチャックを上げながら
「家に俺が行くて電話してくれたか?」
「ハイッ」
傍らの横山やすしは
「家庭訪問いうやっちゃなあ。
会社でいうたら保証人面接や。
緊張するやろ」
とご機嫌な様子でいった。
「エラい機嫌エエなあ」
俺は今から弟子の家行くいうのに。
ハハーン、女と待ち合わせしとんな」
「かなんな。
俺はただ家庭訪問いうただけやのにコレや。
お口、チャック、チャック」
横山やすしは笑顔で楽屋から出ていった。

「そしたら行こか」
西川きよしは、弟子を愛車、ブルーバードSSSに乗せ、
「道いうてくれよ」
といって街に繰り出した。
「どの辺やねん」
「大阪城の近くなんです。
京橋と天満橋の間にある片町っていうところです」
「大体わかるわ。
近くなったら、もう1回細かい場所教えてくれ」
こうして西川のりおは、いつもなら私鉄と地下鉄を乗り継いでいた帰り道を、スポーツカーで一気に移動。
「この辺か?」
「はい、そこを曲がった左側の、看板に自転車て書いてある店です」
車は家の20~30m手前まで来ていたが
「手ぶらでは失礼やから手土産でも買うわ」
と近くの果物屋に停車。
「すいません。
ちょっと詰め合わせつくってもらえますか?」
「いくらくらいの詰め合わせにしましょう」
「5千円くらいでお願いします」
「北村さんとこの息子さんやね」
と話しかけてきた店主は、「嫌いな人ベスト10」で何週間も1位になった人物。
今までにみたことのないつくり笑いに西川のりおも
「はい、そうです」
とこのオッサンに使ったことのない敬語で返した。
店主の息子が詰め合わせをつくっていたが、途中、西川きよしと気づき、父親に耳打ち。
「北村さんところでなんかあるんですか」
聞く店主に西川きよしは
「はい、ちょっとご挨拶に」
と答えた。

そして再び車に乗って、ついに家の到着。
「ここか、北村の家は」
「はい」
「かなり古いなあ」
西川きよしはしばらく建物を眺め
「ごめんください。
こんばんは。
失礼します」
と何回もいいながら店の奥に進んでいった。
西川のりおが、
「ここです」
といってガラス戸を引くと父親、母親、長男、次男がコタツに足を突っ込んで振り返りもしないでテレビを観ていた。
「ちょっと、師匠が来はってんけど」
無反応だったので、再度
「師匠が来てくれてはんねん」
すると父親が
「オッ、のりお、なんや」
「師匠来てんねん」
息子の後ろに立つ人間に気づいた父親は
「あっ、お宅、きよっさん。
きよっさんでっか。
おい、お前、きよっさんや」
肩をゆすられた母親は
「ええ?きよっさん?
ああ、ホンマや。
のりお、どないしたんや急に。
来るんやったいうてくれんと」
家族全員がコタツから出て立ち上がった。

「どうぞ、入ってください」
といわれ、西川きよしは恐縮しながらミカンの皮や新聞が乗ったコタツへ。
「のりおもチャンと来はるいうて連絡してくれたらエエのに。
もうこの子は」
「ずうっと前からいうとったやないか」
「コラッ親にそんな偉そうな言葉づかいをするな」
「なんか今日は、きよっさんが家に来るいうてましたんやけど、またこの子は自分が芸能界入りたいもんやから、チョット相手してくれはっただけを大げさにいうてるんかと思て、信用してまへんでしたんや。
夢つぶすのもかわいそうやと思いまして、しばらくながめてて、あきらめてから相談に乗っても遅うないやろと思てましてん。
ホンマの話、弟子にしてもろたなんて、してもらえるわけないいうて家で誰も信用してまへんでした」
「お父さん、お母さんが想像してはるよりキツいんは確かです。
ほんで売れるいう保証はどこにもないです。
それでもよかったら息子さんはお預かりします」
西川きよしがいうと父親は
「偉いお世話になりまして色々ご迷惑をおかけしていると思いますが、何とぞひとつよろしくお願いします」
母親も
「お願いします」
2人の兄は顔を引きつらせながら愛想笑いしていた。
「そんな、もう、頭下げんといてください。
上げてください」
西川きよしはそういってから西川のりおに向かって
「家族の気持ち裏切らんようにな」
そして
「田中君のお家にもご挨拶行かんとアカンので、そろそろ失礼いたします」
といって外に停めてあったブルーバードSSSに乗って去っていった。
「ホンマやったやろ」
西川のりおがいうと母親は
「そうやったなあ」

翌日、田中に
「どやった?」
聞くと
「スムーズにいった」
と自慢げに答えた。
師匠と同じ大阪の北の方にある公団住宅に住む田中は、両親だけでなく西川きよしとの関係もスムーズだった。
西川のりおは、気のせいか、自分より師匠と話が合い、師匠も田中には自分より好意的に接しているように思え、ムカッとすることも多かった。
ある日、
「チョットここで2時間くらい待っといて」
といわれ、西川きよしが車を降りたのが23時で
「オッ、待ったか?」
といって帰ってきたのは、朝の6時。
運転席に座ると、そのまま入り時間には早すぎる仕事現場に向かった。
「負けた。
あそこでツモってくるとはな」
麻雀を知らない西川のりおは
「あ、はい」
しかいえないが、田中は
「その手はセコいですね」
「お前もそう思うか」
西川きよしが嬉しそういうのをみて、ジェラシーを感じた。
「田中ときよし師匠だけがわかる会話も多かった」
西川きよしに
「ちょっとやすし君のとこ、読んでくれ」
といわれ漫才の台本を読むと
「そんなたどたどしい読み方しかでけへんのかいな」
と怒られ、田中に交代したが、その読み方は自分とあまり変わらないように思うのに注意されない。
それでいて洗車をさせられる回数は田中より多い西川のりおは、心の中でうなった。

横山やすしとは師弟ではないが、付き人がいないので自然と用事をすることは多く、西川のりおは
(なんでそんなんする必要あるねん)
と思いながら、ガードルで前を押さえてモッコリをなしくしたやすしの着替えを手伝っていた。
ある日、楽屋でパンツ一丁の横山やすしが
「北村君、出前いうてくれるか」
「はい」
「俺、にゅう麺にするけど、北村君に田中君もなんか注文したら」
「はい。
そしたらキツネうどんいただきます」
そして出前が来ると横山やすしは
「サンキュー、そこ置いといて」
といって立ち上がり、お金を渡すとにゅう麺をズルズルじゃなくシュルシュルと普段の行動とま逆に上品な食べ方をした。
「君、運転免許証持ってるんやろ」
「はい」
横山やすしは、ニヤッと眼鏡の奥で目じりを上げ
「君に運転してもらいたいときがあるねん。
そのときは頼むで。
キー坊にはちゃんというとくし」
「はい」
西川のりおは、母親の経営する運送業を手伝えるように高校卒業後すぐに免許を取得していた。
そのとき西川きよしが新喜劇の楽屋から帰ってきたので
「やすし師匠にキツネうどんごちそうになりました」
と報告。
「そうか。
どうせやったらカツ丼か天丼オゴッてもろたらよかったのに。
礼いうのは一緒やからな」
と目をむいていった。

数日後、なんば花月の楽屋で1回目の出番を終えた横山やすしが
「キー坊、北村君を車の運転で借りてもエエか」
「ここの親から預かってんねん。
無茶させんといてや」
大きく目をむいた西川きよしからOKが出て
「北村君、ほんだら今日から頼むで」
西川のりおは
(やけにうれしそうやな)
と思った。
横山やすしは、舞台衣装の緑のスーツを着たまま、足早に吉本モータープールへ。
西川のりおは、その歩く速さに必死についていった。
「この車やねん」
横山やすしが得意げに示したのは、日産ブルーバードSSS。
西川きよしと同型だが、より車高が低いクーぺタイプで1800cc最速といわれる車だった。
「ほんだら頼むで」
「はい」
行動が遅いことを嫌う横山やすしに気を遣いながら、素早く運転席に乗り込み、キーを回した。
そしてエンジンを軽く吹かすと助手席の横山やすしは
「俺はな、ガソリン減るのは気にせんから、思い切り吹かしたらエエねん」
いわれるままアクセルを踏み込んだ。
「俺が道いうから、その通り行ったらエエねん」

西川のりおは、家で2tトラックを運転したことはあるが、こんな高級車を動かすのは初めて。
駐車場を出て、慎重に走らせていると
「そんなスピードで走らんでエエから。
もっと速よ走り。
OK?」
スピードだけでなく
「アウトまくり。
そのまましばらくストレートで行こか」
「ヨッシャ、今度はインや。
アウトかましてイン。
アウトインアウトや」
「そこ、インかましたらエエから」
と頻繁に車線変更を指示。
西川のりおは、一般道を時速80kmで走りながら、前の車をドンドン抜いていった。
「トロトロ走ってるヤツの後ろ追いかけてる場合、違うで。
安モンの女のケツ追いかけ回すようなもんや」
といわれ、西川のりおは
「抜いて抜いて抜きまくり、前へ入りまくった」
横山やすしは
「ナッ、やったらできるやろ。
横山の指示に従いなさい」
と絶好調。

「200m向こうに大きなゲートあるやろ。
おそこにインしなさい」
その大きなゲートは、進行方向左にあったが、急に
「ストップ、ストップ、止まれ」
といわれ、急ブレーキ。
「ガツンッ」
横山やすしはフロントガラスに頭を打ちつけ、舞台上のネタのようにメガネがズレた。
「すいませんでした」
あわてて西川のりおが謝ると
「ドンマイ、ドンマイ」
とメガネをズリ上げながら笑った。
「横山や」
そういわれてゲート前にいたガードマンが誘導を開始し、西川のりおは車を中へ。
「OK、ストップ。
車そこに停めてから、後でこの建物の4階に上がって横山のところに来たいうたら案内してくれるから」
横山やすしは、そういって建物の中へ入っていった。
西川のりおはいわれた通りに駐車。
(一体ここは何なんや?)
と思いながら建物に入って、エレべーターで4階のボタンを押した。
ドアが開くと男性がいて
「スイマセン、横山・・・」
「やっさんやな。
ほんで北村君やな。
こッチコッチ」
男性に案内されたのは、窓が一面に広がる大きな部屋だった。
「やっさん、連れてきたで」
「サンキュー」
横山やすしは、その大きな窓の外を眺めていたまま、男性の方はみずに礼をいった。

そして西川のりおに
「競艇場や。
ボートレースや。
初めてか?
体張って勝負するところや」
西川のりおは、そう話す横山やすしに
「男のツッパリを感じた。
できる限り運転して役に立ちたい」
と思った。
そこは一般の客は入れないVIPルームで、いるのは金持ちそうな人ばかりだったが、
「次のレース何くるやろ」
と聞かれた横山やすしは
「5が頭で流しやろ。
まあ5-6いうとこか」
「ホンマかいな。
前もその通り勝って外したがな」
「アホか。
そやったらおのれのうすらバカ頭で買わんか。
このアホンダラ」
とボロカスにいい、レースが始まると
「インからかませ」
「まくれ、まくれ」
とガラスから飛び出しそうな勢いで観戦。

「1レースだけか。
ちょっとマイナスやな。
後のレースもやりたいんやけど、なんば花月戻らなアカンね。
2回目何時やった?」
といい、聞かれた西川のりおは時計をみてギクッとなりながら
「6時15分です」
「いま5時40分やろ。
ウーン行けるやろ。
北村君、車出して。
すぐ行こ」
車をゲートから出したが競艇が開催されているせいで渋滞。
横山やすしは、さかんにメガネを上げ下げさせながら前後左右を確認し、
「ヨシッ、北村君、右いっぱいにアウトかまそか。
対向車線で信号待ちしてる車のめいいっぱいまでいって、それらか即イン入ろか。
それから反対車線入って、またインや。
要するに道路のすき間すき間を抜けていくねん。
まずは反対車線に向かって、いっぱいいっぱいアクセル吹かせ」
オートマチック車ではないため、西川のりおは、クラッチを踏んで、ギアをローに入れ、アクセルを吹かした。
「よっしゃ、右に出とけよ。
頭2つ出しとけ。
信号が青になったら1番にスタート切れよ」
「ええぞ、吹かしとけよ」
「右に思い切りハンドル切れよ」
指示を黙って聞いていた西川のりおが
(横転するやないか!)
と思ったとき、信号が青に。
「よっしゃ、スタート!」
思い切りアクセルを吹かして、右にハンドルを切って反対車線に停まっている車の1m手前で止まると、相手は車の中で体をのけぞらせた。
「よっしゃ、インや」
左にハンドルを切って、元の車線に入ると
「よっしゃ、アウトいこ」

クラクションが鳴らされると、
「何を安もんのラッパ鳴らしとんねん。
お前らが急いでいる金儲けと俺の急いでんのとは単価が違うちゃうねん。
この前の車、なにモタモタしとんねん。
北村君、次の信号待ちのとき、コイツの前にカブしたれ」
とまったく動じず
「次の信号越えた1本目左入って、すぐ右。
ほんで次をまた右や」
と抜け道を指示。
西川のりおは必死にハンドルを切り、踏切にさしかかり
「カンカンカン」
と音がしたので、ブレーキを踏んで減速させいようとしたが、
「何をしとんねん。
行ったらエエねん。
突破したらんかい」
といわれ、アクセルを踏んだ
広い踏切で線路が何本もあり、それを越えるたびに車はジャンプ。
西川のりおは、ハンドルをカチカチに握って耐えたが、横の横山やすしが歯を食いしばっているのがみえた。
なんとか渡り終えそうになり、西川のりおがホッとした瞬間、
「ガシャン」
と天井が大きく鳴ったが、横山やすしは
「気にせんでもエエ。
ドンマイドンマイ」

踏切を渡った後もインアウト、アウトインを繰り返し、なんとか出番前になんば花月付近に到着。
横山やすしは車を飛び降り、
「駐車場に入れといてくれ」
といって走っていった。
西川のりおが駐車した後、降りてみてみるとブルーバードSSSの天井がVの字に陥没していた。
遮断機が当たったのだと思うと、改めて恐怖を感じた。
花月の中に入ると
「ご苦労様です」
と楽屋の鏡の前で田中に衣装を着せてもらっている西川きよしにアイサツ。
「なんか変わったことなかったか?」
「別に変ったことなんかなかったよな、北村君」
横山やすしにいわれ
「はい」
「正直にいいや」
「なんにもないっちゅうねん。
この男、ホンマ刑事みたいやろ。
舞台終わったら、また運転頼むわな」
「無理なことさせんといてや」
「OK」
横山やすしは軽くいって指で丸をつくった。
西川のりおは、横山やすしとの間に秘密ができたことを悟った。

舞台が終わり、いつも通り、西川きよしよりも早く着替えた横山やすしは、
「キー坊、お疲れさん。
北村君、行こ」
西川のりおは、横山やすしについていきながら、西川きよしが田中と楽し気に話すのをみて嫉妬。
そして天井がVの字型に凹んだブルーバードSSSを夜のネオン街へと走らせた。
「ストップ、ここで止めて。
あの向かいにある駐車場に入れて、君もおいで」
いわれた通り、車を停めてからミナミのラウンジに入ると横山やすしはソファーで女性を口説いていた。
「この女、ナニ値打ちつけとんじゃ。
天下の横山やすしが今晩どうやいうとんねん」
「もう。
酔うていうてるんちゃうの」
女性に肩を叩かれたり押されたりしても、怒りもせずに
「今晩エエやろ」
とニヤついている横山やすしに
(笑とるけど目は完全にマジや)
そして
「そこの隅座って好きなもん注文し」
といわれ、カウンターへ。
するとママらしき女性がやってきて
「お弟子さん、やっさん付いてたら大変やろ。
あの人、無茶苦茶なこといいはるから。
そやけどやっちゃん、突破やけどものすごー気のエエ人やから。
ほんで裏表がない人やから、我慢したってな」
ママがつくってくれたおにぎりを食べていると
「北村君、行こか」
という声が店中に響きわたり
「ハイッ」
と返事し、やすしと一緒に外へ出ようとすると、後ろからママに
「北村君、大変やと思うけどがんばりや」
といわれ一礼。

駐車場に行こうと前をみると、やすしは女性と腕を組んでいて
「北村君、車出して」
後部座席に2人を乗せて、発進。
横山やすしは女性の膝に寝転んで口説き続けていたが、女性に
「ダメ。
まだやっちゃんのこともろくすっぽ知らんのに、そんなん、今日会って今日はダメ。
だからまた今度ね。
焦らんといて。
女ってすぐってわけにはいかへんの。
だから今日は帰る」
とハッキリ断られると
「なんもさせへんくせに何エラそうなことぬかしとんじゃ。
クサレ女。
もうエエ。
ここで降りさらせ」
と豹変。
「北村、そこで停めえ。
この女降りるから」
西川のりおは、初めて『北村君』から『北村』になったこと、そして交差点の真ん中であることに驚愕。
「早よ、降り」
といわれ、女性は
「もうメチャクチャやな、アンタいう人は」
といいながら降車し、クラクションの嵐の中、道路を渡っていった。

「堺に飲みに行くから、早よ阪神高速上がれ」
怒りまくっている横山やすしに、西川のりおは
(サスペンスを通り越してホラーだ)
と思いながら運転。
「まだ上り口はないのか」
イラつく横山やすしに
「ハイッ、阪神高速の入り口は千日前越えんとないです」
と答えたが
「そこにあるやないか」
それは道頓堀出口だった。
「あれは出口ですけど」
「そやったらバックで入らんかい」
「・・・・・・」
「俺が誘導したるから、その通りやれ」
西川のりおは仕方なく高速道路の出口に向かった。
「よっしゃ、アクセル思い切り吹かしながら左寄れ。
それやったら後ろから当てられる可能性低いから」
指示に従いながら、なんとかバックで高速道路に上がり、進行方向に向かって前進。
「みてみい。
タダで高速乗れたやろ」

堺に着くと横山やすしは行きつけのスナック2軒で口説きまくったが空振り。
「北村、帰るぞ」
といわれて再び運転。
5㎞ほど走り、横山やすしの家の到着したのは夜中の1時。
西川のりおは、テレビに出ているスターにして決して大きいとはいえない、住宅地に建つ普通の家だったのでビックリ。
「よう子、帰ったぞ。
キー坊の弟子の北村君に運転してもらって送ってもらったんや」
といわれ、出てきた奥さんが、特別美人ではない、ごくごく普通の女性だったのも意外で、
「エライいすみません。
この人ムリなことばっかりいうて、きっと迷惑かけたと思います。
本当にすみません。アンタ、
ありがとうございました」
と非情に腰が低い人だったことにも驚いた。
横山やすしが
「北村君、今日俺の家に泊まれ」
というと奥さんは、中に招いてくれながら
「この人、急に泊まれいうてもねえ。
帰らんで大丈夫ですか?」
と気遣ってくれた。
通されたのは6畳くらいの応接間で、ボートレースのカップや写真が飾ってあった。
「日本ダービーのビデオはどこあんねん」
ビールの入ったコップを持った横山やすしがいうと奥さんは、
「アンタ、こんな夜中にビデオなんか観たら近所迷惑になるから」
「なにいうてるねん。
俺は名誉市民やぞ。
誰が文句ぬかしよるっちゅうねん」
ビデオがデッキに入れられると、競艇の映像が画面に映ると共に、スピーカーから耳をつんざくようなエンジン音。
「痺れるやろ。
このエンジン音が男の夢や。
ロマンやでえ」
横山やすしは、ビデオに負けない大声を出しながらビールをあおった。
やがてソファーの上で寝てしまうと、奥さんは
「カシャッ」
とすぐにビデオを取り出し、西川のりおに
「本当にごめんなさい」

最初、2人の漫才をみて
「きよしの方が、次々と面白いことをいって、やすしの頭を叩いて笑わせる。
だから面白いことをいうのはきよしで、真面目な方がやすしだ」
と分析し、西川きよしの弟子になった西川のりおだが、
「きよし師より、やすし師のほうが面白い」
と思い出した。
しかし同時に
「ついていけない」
とも思った。
「きよし師は、学生でいえば予習復習をするタイプで仕事に対して万全に備える。
やすし師は宿題すらやらない人間。
だから芸能界でも先輩で歳も上、笑いのセンスも天才的なやすし師が西川きよし師に頭が上がらなかった。
でも頭が上がらない決定的な理由は、仕事の時間をトチることだった。
『ごめんな、キー坊』
こういう仕事に入り方が多かった」

ある日、やすしきよしが初共演する映画の撮影があり、西川のりおは、早朝の名神高速を大阪から京都へ向かって時速80㎞で走っていた。
朝が弱い横山やすしは、白いジャージの上下を着て助手席で寝ていたが、
「オイッ人に抜かれて悔しないんか。
80みたいな速度は、横山は嫌いや。
オンリー100を保って走れ」
とだけいって再び寝始め、いわれた通り、時速100㎞で走り出すと一瞬起きて
「そうや。
やったらできるやないか」
といったあと即眠りについた。
西川のりおは、遅い車を何台も抜いているうちに勢いがついてしまい、降りなくてはいけない京都南インターを時速120㎞で過ぎてしまった。
「やすし師匠、すいません。
京都南行き過ごしてしまいました」
「ストップ。
止まれ」
「京都東までいって引き返しましょう」
「そんなことしとったら撮影時間遅れてまう。
キー坊にまた叱られるやないか。
道路の左側の側道に止め」
西川のりおは恐る恐る側道に停車。
早朝なので交通量は少ないが、大型トラックが多く、すぐ横を時速100㎞くらい通りすぎるとブルーバードSSSは横揺れを起こした。
京都南インターから2㎞は離れていたが
「俺の誘導に従ってバックせえ」
「はい?」
「俺の指示通りにバックしたらエエねん」
横山やすしは車を降り、西川のりおは、白いジャージの上下で高速道路に立つ姿は、とてもこの世の者とは思えなかった。
「オーライ、オーライ」
走りながら誘導する横山やすしに従って、西川のりおはバック。
横山やすしの走るスピードが速いため、何度もトラックとニアミスしながら京都南インターまで戻り切った。
「2㎞もバックしたことはなかったし、したことあるヤツもいないだろう。
まして高速道路でだ」
寒い冬の朝もやの中を走り
「朝から高速でマラソンさせて、怒るでしかし」
といいながら乗り込んできた横山やすしのメガネは曇っていた。
そして少しすると、また眠りについた。
撮影所に所に到着すると起き上がった横山やすしは、口をファスナーをしめる仕草をしながら
「さっきのことはキー坊にはチャック」
すでに現場に入っていた西川きよしは、
「無茶なことさせられてないやろな」
田中も
「やすし師匠にエラい目あってんちゃうんかいな」
と心配してくれたが、2人とも嬉しそうな顔だったので西川のりおの嬉しさは半減。
やけにウマが合って、うまくやっている2人に嫉妬した。

春、共演する月亭可朝とやすしきよしは、なんば花月から豊中市民会館まで一緒に移動することになった。
「俺の車で行こか」
という横山やすしに可朝は
「やっちゃんの運転やったら捕まるがな」
「俺は無法者か。
運転はキー坊の弟子がやんねん」
「さあ行こ」
横山やすしは助手席に乗り込み、後部座席の左右に西川きよしと可朝、真ん中に田中が座った。
西川のりおは、定員5人、満員状態の車を阪神高速を北に走らせていたが、赤いランプが点灯していることに気づいて
「ガソリンが全然ありません」
可朝が
「燃料ないんか。
下り坂のときはスイッチ切ったらエエねん」
「自転車やないんやから・・・
それにしてもウチの弟子、いつもこんな危険な状態に追いやってるんやな。
ウチの弟子を。
これはレンタル料もらわなアカンな」
西川きよしがいうと西川のりお以外は爆笑。
ガソリンメーターはEの文字を下回り、本当にガソリンがなく笑う余裕はなかった。

Eランプが灯いたまま車が高速道路を降りると横山やすしが道を指示し始めた。
「やっちゃん、道わかってんかいな」
(可朝)
「豊中市民会館やろ。
方向からいうとやや北方向にあるから」
(やすし)
「方向からて、大丈夫かい」
(きよし、目をむきながら)
「ということは北北西に進路をとれ」
(やすし)
「ヒッチコックの映画やないんやから」
(きよし)
自分以外が笑っている車内で、西川のりおは
「とりあえず左や
ほんでしばらく走って右に行け」
というおそらくヤマカンでいっている横山やすしの指示に従い、ハンドルを切った。
大きな道路から出て、最終的に行き着いたのは田んぼ。
横山やすしは、あぜ道を歩く犬を見つけ、窓を全開。
「コラッ何トロトロ歩いてんねん。
もっとサッサと行け」
「犬もまさかやっちゃんに注意されるとは想像つかんかったやろな」
可朝の言葉で、西川のりおはついに笑ってしまった。

その後も右へ左へ、指示されるがまま運転すると、鉄板を持った男性に遭遇し、
「なんや、ここ。
鉄工所の中入ったんちゃうか」
(きよし)
「手伝いまひょか」
(やすし)
その後も車は進み、金ダライを持ったオバちゃんに
「アレマッこんなところに車が」
と驚かれた。
こんなどこにいるのかわからない状態から、横山やすしの野性的カンと売れっ子芸人の悪運の強さが相まって、豊中市民会館に時間通りに到着。
西川のりおは1人でガソリンを入れながら
「こんなことがあるのか」
とつぶやいた。
市民会館ではクイズ番組の公開収録が行われたが、始まる前に可朝は、
「やすし君に帰りは適当にするっていうといて」
といった。
収録が終わって
「さあ帰ろか」
と横山やすしにいわれ、車を出していると
「可朝はんは?」
と聞かれ
「適当に帰るからいうとってといいはりました」
それを聞いて西川きよしは
「まああんなことになるんやったら乗りたないやろな。
逃げられたんや。
ホンマ俺も逃げたかったけど後で何されるかわからんから乗せてもらうわ」
横山やすしは
「キツいなあ」

やがて横山やすしは運転手がつき、西川のりおは西川きよしの弟子に返り咲いた。
しかしその数日後、事件は起こった。
同じ絶対服従でも横山やすしとはあまりに違う教育環境に加え、西川きよしは
「今日も泊まるからな」
といって楽屋で連日、徹夜マージャンを行い、それが3日続いた後
「今日も泊まるからスーパーでパンツ買うてこい」
といわれたとき、西川のりおは無性に腹が立って
「家に帰れせて下さい」
いった瞬間
(いってはならない言葉をいってしまった)
と思ったが、後悔はなかった。
「何?
お前誰に向こうていうてんねん」
西川きよしは怒鳴った。
楽屋には芸人仲間もいたが目をむけるだけむいて
「イヤやったら帰れ。
辞めて帰れ!」
マージャンをしているその場で立って大声を出した。
西川のりおは下を向いたまま
「そしたら失礼します」
(ついに決定的な一言をいってしまった)
と思いながらもスカッとした気持ちで外へ出た。
すると横から
「俺も合わせてきたんやけど前からムカついとった。
通いやいうとったのに仕事やなしにマージャンするためになんで泊まらなアカンねん」
という声がして、みると田中がいた。
「一緒に入ったんや。
そやから辞めるときも一緒や」
西川のりおは涙がボロボロこぼれて止まらなかった。

辞めたことは家族にいわず、母親に
「今日は行かんでエエんか」
と聞かれると
「東京に仕事でいってはるから行かんでエエねん」
とウソをつきながら、弟子についている間、ずっと抱いていた願望、
「ゆっくり寝たい」
を果たした後は田中と喫茶店でたむろしてバカ話。
しかし3日もするとなにか心にポッカリ穴が開いたような気分になって
「何かが欠けてる」
と思った。
家で昼ご飯を食べているとき
「師匠、今日生放送で漫才やってはったで。
お前行かんでエエんか」
と母親にいわれたが無視して食べ続けた。
4日、5日と過ぎ、朝起きても何の目的もすることもない自分に焦り、喫茶店でも
「服の着替えくらい1人でやるわなあ」
「そやけどちょっと前まで俺らが手伝っとったから、その分しんどいやろな」
などと話すようになり、
「辞めてよかったという強がりは、かなり無理があると気づいた」
しかし師匠に口答えして破門になった身。
もう弟子に戻れないのは確かだった。

1週間くらい経った昼間、母親が
「のりお、師匠から電話や」
ウレシさとコワさが激しく入り乱れ、なかなか出られなかったが
「早よ、出んかいな」
といわれ、電話をとると
「家で追ったら退屈やろ」
という優しい声がした。
「すいませんでした」
「もうエエから。
あったことは忘れたるから、明日から来たらエエからな」
「ありがとうございます」
西川のりおは電話の前で頭を下げた。
その後、田中も師匠から電話があったと電話をしてきた。

「ヨッシャ、お前らも頑張れ。
俺も頑張る」
西川きよしはめいいっぱい目をむいて両手を握った。
「君らおらんかったらさみしいやないか、エエ。
北村君には、また車の運転してもらわなアカンし」
女性用ガードルをつけた横山やすしがいうと
「運転で無茶苦茶なことやらされたら必ずオレにいえよ」
「ホンマ、キー坊は警察よりキツいやろ」
「何いうてんねん。
警察が黙ってても俺が黙ってへんからな」
数ヵ月後、横山やすしは、タクシーの運転手を殴って逮捕され、約2年間謹慎処分。
西川のりおは
「そのとき俺が運転してたらなあ」
と思ったが、どうしようもなかった。

その後、田中と「淀公一・公二」というコンビでデビューしたが、1年で解散。
田中は、すぐに芸能界を辞めて会社勤めを開始。
西川のりおは、横山エンタツ・花菱アチャコの「横」、中田ダイマル・ラケットの「中」に因み、新コンビ「横中バック・ケース」を結成。
自作のアカペラソング「漫才は楽しいな」を歌ったり、緞帳にぶら下がってはそれを引きずり下ろしたり、センターマイクにかじりついてカバーをを噛みちぎり、
「そんなことしたら感電するで」
と相方のケースにツッコまれ、
「俺はもうシビレとるんじゃ!」
クイズネタで無茶苦茶な問題を出し
「なんの関係があるんや」
と相方がいうと
「その答えを待ってたんや!」
といって、その顔面を往復ビンタ。
芸人仲間には
「スゴイ」
といわれたが、客には全くウケなかった。
神戸の松竹座に出ているとき、ウケないので相方、ケースを舞台から客席に投げ落とし、過去イチ、ウケたが、ケースは足を骨折。
ケースの入院中、勝手に次の相方を探し、元B&Bの上方よしおと「西川のりお・上方よしお」を結成。
漫才ブーム乗って、師匠やすし・きよし、ツービート、紳助竜助らと共にブラウン管を賑わし、その後、始まった「俺たちひょうきん族」では独特の暴走キャラでなくてはならない存在となった。
強烈な師匠に抑圧されていたお笑い暴走機関車は覚醒し始めた。

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