明石家さんま 若手極貧時代

明石家さんま 若手極貧時代

玄関はダイヤル鍵。解錠番号は「113(よいさんま)」風呂ナシ、WCナシ、照明も漏電で壊れてナシ。テレビは全チャンネル、砂嵐。ビールケースを並べてベニヤ板を置いたベッド。ガラスがなくビニール袋を貼りつけた窓。兵庫県西宮市のそんな部屋にお笑い怪獣は生息していた。


和歌山県生まれ、奈良育ちの明石家さんまは、高校卒業後、落語家の笑福亭松之助に弟子入り。
最初は奈良の実家から兵庫県西宮市鳴尾町の師匠の家まで90分かけて通っていたが、やがて西宮に4畳半1間、家賃5500円の部屋を借りた。
そして弟子になって2ヵ月後、異例の早さでデビュー。
それは新喜劇と並ぶ吉本の定番演劇、コントと歌とダンスで構成される「ポケットミュージカル」で、白塗り、女物の着物姿でオカマ役を10日間演じた。
その後、漫談でも舞台デビュー。
開演前の前座で、まともにをみている客はおらず、ギャラは250円。
さらに弟子入り半年足らずで「笑福亭さんま」として落語でもデビューし、1200円のギャラをもらった。

さんまは弟子っ子としての仕事や稽古が終わった後、よく奈良に帰って友人に会っていたが、ある日、高校時代の1番の相棒、大西康雄の家に向かう途中、幼馴染で高校まで一緒だった女性に遭遇。
喫茶店に入って1時間ほど昔話に花を咲かせた。
女性は、長い黒髪で顔はアン・ルイス似でスタイル抜群。
交際していた男性に何度も暴力を受け、少し前に別れていて、実家の両親とは合わず、外に出ればその男性が現れるのではないかと怯え、心が休まるときがないという。
そしてさんまのトークで笑顔になった女性はいった。
「ああ、何もかも捨てて2人でどこか遠くに行きたいなあ」
2人は、翌週の同時刻同場所で会うことを約束。
結局、つき合い始めた。
その後、さんまは
「コイツを守ってやれるのは俺しかいない」
「芸をとるか、愛をとるか」
「同棲しながら弟子修業はできない」
と悩み続けた。
「冷静に考えれば関西のどこかで一緒に住みながら弟子修業を続ければよかった」
が若さのせいか、「上京」という言葉に憧れがあったせいか、東京行きを決断。
女性に
「俺が先行って向こうで生活の基盤をつくるから、それから一緒に東京で住もう」
と伝えて同意を得た。

そして西宮のアパートを引き払った後、笑福亭松之助に電話。
「あ、師匠、さんまです」
「おお、どないした」
「師匠、電話ですんません。
やめさせていただきます」
「女か?」
明らかに寝不足でみるみるやつれていき、珍しく仕事でもミスをするさんまをみて、松之助はウスウス気づいていた。
「・・・は、はい。
ホンマすんません。
すんません」
さんまは、電話を切った後も謝り続けた。

東京に着くと高校時代の同級生が住む社員寮へ行き、翌日から部屋探し。
出した条件は

・家賃1万円以内
・場所は、映画「男はつらいよ」の主人公、車虎次郎の生まれ故郷、葛飾区柴又

そして探し当てたのが「幸楽荘」
木造2階建て、4畳半1間、風呂なし、炊事場、トイレ共用、家賃8000円。
同級生の部屋を出ると、翌日から職探し。
しかし簡単には見つからず、13万円あった所持金は残りわずかになり、高校時代に腕を磨いたパチンコ店へ。
以後、

喫茶店で朝食

10時からパチンコ

喫茶店で昼食

閉店までパチンコ

喫茶店で夕食

銭湯

というパチプロ生活が始まった。
角刈り頭、上下黒のジャージ、女物のピンクのサンダルという姿で、まだ手打ちだったパチンコ台を1日2~3回打ち止めにすることもあったが、ある日、
「パチプロお断り」
といわれ出入り禁止。
他のパチンコ屋に鞍替えするも勝率が下がり、瞬く間に所持金が減っていき、喫茶店に通うことも出来なくなった。
「もう夢もクソもなかった」
というさんまは2日間何も食べず、ずっと部屋で寝ていたことが6回。
その度に同級生に食事に連れていってもらった後、お小遣い5000円をもらった。
最初は恥ずかしかったが、最後は黙って手を出してお金を要求することができた。

1974年10月14日、38歳の長嶋茂雄が38歳で引退。
17年間で、通算444本塁打、首位打者6回、最多安打10回。
守備でも華やかなフィンプレーでファンを魅了し「ミスタープロ野球」と呼ばれた男は
「私は今日ここに引退いたしますが、我が巨人軍は永久に不滅です」
コメント。
その勇姿をパチンコでとった5インチのポータブルテレビでみたさんまは、
「アカン、俺、スタート地点でつまづいてる」
いてもたってもいられなくなり浅草の演芸場を訪ねて回り
「大阪で芸人やってた者です。
幕前で結構ですから漫談やらせていただけませんか」
と頼んだが、どの劇場でも
「まず誰かの弟子について修行しないとダメ」
と断られた。
船橋のストリップ劇場も回ったがことごとく門前払い。
途方にくれた。


「とにかく働かないと」
さんまはパン屋の求人広告が貼ってるのを発見するとすぐに応募。
白い帽子と調理用の白衣をまとって肉まんとアンまんを販売。
そしてパチプロ時代に通っていた喫茶店ののマスターに
「ウチに来たら?
夕方から閉店まで手が足りないんだよ。
夕食つきで自給もウチのほうが高いし・・」
と誘われ、白いシャツに黒のスラックス、黒のボウタイを締め、16時半から24時までホールスタッフとして勤務。
いつもニコニコ笑顔、もみ手をして愛想よく接客。
1週間もすると常連客を大笑いさせるようになった。
閉店間際、蛍の光のBGMが流れ始めると
「ええ、皆様、本日はご来店、誠にありがとうございます。
本店は12時をもちまして本日の営業は終了となります。
本日も本店、ならびに杉本高文のために絶大なるご支援を頂きまして誠にありがとうございます。
本日の営業はこれで終わりますが我が本店は永久に不滅です!
またのご来店、お待ちしております」
と長嶋茂雄の引退スピーチをパロって大ウケ。
これが通常業務の1つとなり、この閉店間際に行われるスピーチや漫談に合わせて来店する客も現れた。
喫茶店の先輩店員は
「この人は何者なんだ」
と驚いた。

そんなとき奈良にいた女性が上京してきて、2人は一夜を過ごしたが、さんまは
「一緒に暮らそう」
といい出せない。
女性もそのことにふれないまま、翌日、帰っていった。
さんまはどうしようもない苛立ちを抱えながら新幹線を見送った。
喫茶店の先輩店員、宮島、坂本、松本はいずれも学生でさんまと同世代。
4人は仕事が終わると銭湯に行き、その後、喫茶店に戻ってマージャン。
喫茶店が休みの日は4人でパチンコ屋に行ったり、女子学生とコンパやナンパ。
さんまは、10時からパチンコ、夕方からアルバイト、深夜から朝までは仲間と遊ぶという生活をほとんど寝ないで送った。
楽しく過ごす時間はすべてを忘れさせてくれた。
一方、奈良の高校時代の同級生たちが次々と幸楽荘にやってきた。
さんまの才能を信じて疑わない彼らは旅費を出し合って代表者を東京に送り
「帰って来い」
「師匠に謝って修行し直たらええやないか」
と説得。
しかしさんまは女性と暮らすことはできないまま、東京で1人、年を越した。


2ヵ月後、喫茶店のマスターが千葉の松戸駅西口にライブハウス「DIME(ダイム)」をオープンさせ、さんまは毎週土曜の夜、そのステージに立った。
ギャラは破格の1万円。
さんまは感謝しながら精一杯、喫茶店とDIMEで仕事をした。
数回、DIMEのステージの立った頃、再び奈良から女性が上京してきた。
2人は幸楽荘で夜を過ごし、翌朝、さんまが目を覚ますと女性の姿はなく、ちゃぶ台の上に手紙があった。
そこに書かれた別れの言葉を読み返しながら、さんまはこの半年間を振り返った。
「俺は東京に何しに来たんやろう」
数日後、高校時代の1番の親友、大西康雄が上京。
「もう帰って来いや」
といわれると、もう抑えることはできなかった。
無我夢中で新幹線に乗った。


そして兵庫県西宮の松之助の自宅へ向かい、インターホンを押した。
ドアが開き、康子夫人と対面。
「ご無沙汰してます」
「寒かったやろう。
上がって」
「いや、僕はもう敷居またげませんから、表で待たせてもらいます」
「なにいうてるの!
早よ、上がりなさい」
「あっ、さんま兄ちゃんや」
松之助の2人の息子に手を引かれ、家の中へ。
(師匠に合わせる顔がない)
いますぐ逃げ出したいような気持ちでいると松之助が帰ってきた。
「お客さんか?」
玄関で男物の靴をみた松之助がいうとさんまの心臓がバクバクしてきた。
そして松之助が部屋に入ってくると
「師匠!」
とすがるように叫んだ。
この後、さんまは1度東京に戻って、挨拶と後片づけをして、再び大阪で松之助師匠の弟子となった。

そしてさんまは奈良の仲間に帰ってきたことを報告。
「よう帰ってきた」
「もう大丈夫や」
「もう寄り道せんと真っ直ぐいけよ」
「絶対売れる、俺が保障する」
と励まされた。
そして実家に向かい
「高文や。
高文が帰ってきた」
「早よ、入り」
といわれ、久しぶりの一家団欒を楽しんだ。
しかしその後、自分の部屋が物置のようになっているのをみて
「もうここは自分の居場所じゃない」
と2度と実家に戻らないことを決めた。

さんまは兵庫県西宮市今津久寿川町の第一久寿川荘に部屋を借りた。
トイレと炊事場は共同で家賃は8000円。
天井に照明器具がついていなかったので、裸電球がついた大きなチョウチンを花月からもらってきた。
夜、帰ってきてスイッチを入れると、それは漏電していて
「パチパチッ」
と音が鳴って天井に火花が散った。
さんまが
「線香花火みたい」
と思っていると
「ボンッ」
と電球が爆発しチョウチンが落ちてきた。

本来、修行を途中で投げ出した弟子は即破門。
松之助はそれを許したものの、このまま「笑福亭」を名乗らせていると
「いつか角が立つかもしれない」
と思い、自分の本名「明石」から「明石家」という屋号を与え、「笑福亭さんま」から「明石家さんま」に変名させた。
これはしきたりの多い落語界に縛られず自由に活動しやすいようにするという目的もあった。
またさんまに
「借りれるなら借りとけ」
と毎月5万円、実家から仕送りをしてもらうよう命じた。
その理由は
「アルバイトする時間があったら人の舞台や世間をみて1日も早く1人前になれ」
というもの。
さんまは実家と決別することを決めたばかりだったが仕送りをしてもらうことにした。


1975年4月、さんまは同期の島田紳助と再会。
「さんまが東京へ逃げた」
と聞いたとき、密かにコンビを組みたいと思っていた紳助はショックを受け、一時は東京に探しに行こうとまでした。
何よりさんまが黙って消えたことに怒り、オール巨人や桂小枝などまだ弟子っ子をしていた同期芸人に
「おい、俺らは友達や
さんまみたいに黙っていくのは絶対、ナシや。
やめるときは一言、声をかけてからやめようぜ」
といった。
みんなうなずいたが以後、半年足らずで、その大半が何もいわずに去っていった。
そして帰ってきたさんまに、紳助は思いのたけをぶつけた。
まくし立てる紳助に、さんまはまくし立て返し、2人は貪りつくようにしゃべり続けた。


ある日、さんまが松之助の家の玄関先を掃除していると、大きなクラクションが鳴り、振り返ると自分と同世代の男が運転するスポーツカーがそばを走り抜けていった。
それをみていた松之助は声をかけた。
「掃除、楽しいか?」
「エッ?」
「さっきから一生懸命掃いてるけど楽しいか?」
「いえ、楽しくないです」
「せやろ。
そんなもん楽しいわけがない。
せやからやな、掃除をどないしたら楽しくなるか考えてみい。
楽しくなることを考えているときは楽しいやろ?
どないしたらイヤなことが楽しくなるか、一生懸命考えてみい。
同じやるなら楽しいほうがエエやろ」
以後、さんまは
「今日はテレビからやってみよ」
「今日は真ん中からやってみよ」
「歌を歌いながらやってみよ」
と工夫して掃除。
結局、掃除が楽しくなることはなかったが、どうすれば楽しく掃除できるかを考えれば楽しくなった。
「どうしたら面白くなるか?
どうすれば楽しくなるか?
ああしてみよう、こうしてみようとどうすれば楽しくなるかと考えていくと楽しい」
ということを発見。
さんまの笑いの軸の1つとなった。


さんまは落語にも真剣に取り組んだ。
勉強会に積極的に参加し、松之助以外の師匠クラスにも稽古をつけてもらった。
そして6歳上の同門、小禄と2人で落語会を開こうとしたが、無料で貸してくれる場所がなかなか見つからない。
あきらめかけて飛び込んだのが、祇園の酒場で流しをやっていたやしきたかじんと恋人がやっていた喫茶店。
2人は事情を聞いて快く承諾。
さんまと小禄は稽古を重ねたが、当日、京都は台風に直撃された。
開始時間を2時間過ぎても誰も来ず、喫茶店にいるのはさんま、小禄、たかじん、恋人の4人だけ。
みかねたたかじんが友人に
「みにきたって」
と電話をかけまくり、結果、知り合いのスナックのマスターが1人来店。
こうして2人落語会は3人の客の前で和やかに行われた。
このときさんまもやしきたかじんも共に無名。
後に
「あのとき客席で笑っていた男がこうなるとは」
「あのときのアレがコレになるとは、そらわからんわな」
と驚いた。


「最後にもう1度合って話をしたい」
東京で別れを告げられた女性のことを忘れることはできないさんまは、女性の実家に電話をかけたがつながらなかった。
芸人として修行に励みつつ、女性が利用する近鉄難波駅で、彼女が何時に通るのかわからないまま改札口で待つこともあった。
そして東京でフラれてから半年後、難波駅の改札で1時間待った後、地下街を歩いていると、スーツ姿の男性の腕をつかんで歩く女性を発見。
とっさに方向転換したが、背後から女性に呼び止められ、大袈裟に驚くフリをした。
「こないだ話した幼馴染で芸人さん」
女性に紹介されると男性は
「どうも初めまして。
お話はうかがってます」
と屈託のない笑顔で挨拶してきたので、さんまも会釈。
「ほな、またな」
「急いでるの?」
「おお、ちょっとな」
さんまは最後に男性に
「幸せにしてあげてください」
女性には
「ほんじゃあ」
といって去った。
地下街を足早に抜けて地上に出ると千日前商店街にアン・ルイスの「グッド・バイ・マイ・ラブ」がかかっていた。

さんまがうめだ花月の楽屋で師匠の出番を準備していると先輩芸人の森啓二に声をかけられた。
「さんまちゃん、出番終わったら行こか。
上本町行こう。
夕方、仕事帰りの若い女が地下からわんさか沸いて出てくる」
森啓二は同い年。
西川きよしの弟子だったが、すでに修行を終え、喜多洋司と漫才コンビを組んで活動していた。
2人はよく終電間際まで街を歩いてナンパをしていた。
ナンパの成否は
「ターゲットをいかに笑わせるか」
で2人で作戦を練った。
ターゲットを後ろから追い越し、距離を保って歩き続け、わざと片方の靴を脱いで気づかないフリで何歩か進んだ後、
「あっ靴忘れた!」
と大袈裟にいって取りに戻り、ちょうど脱いだ靴のところでターゲットと鉢合わせ。
そこで笑っていれば、そのまま話しかけ、喫茶店へ誘い込む。
運よく喫茶店に連れ込めれば、ひたすらしゃべってイヤというほど笑わせる。
店を出ると笑顔で女性を見送るというのが、いつものパターン。
たとえ収穫がなくても女性を眺めながら2人で会話するのが楽しくて仕方なかった。
この他にもさんまは、花月で仕事の合間や終わった後に芸人仲間と喫茶店に入り、コーヒー1杯で3時間ほど居座ってしゃべった。
特に美人ウエイトレスがいる店には通い続け、笑わせ、交際を申し込むこともあった。


笑福亭松之助は、酒が大好き。
普段は温和だが飲むとムチャクチャになってしまう。
酔って家に帰って鍵が閉まっていると手でガラスを割って開けたり、楽屋でもなにかあると怒鳴り散らした。
さんまは舞台袖で
「さんま、持っとけ」
といわれフラフラの松之助を帯を持って支え、出囃子が鳴るとリリース。
泥酔したまま舞台に上がった松之助は
「あっ、酔うてる」
と女性客にいわれ
「じゃかしい。
生理もないくせに」
といい返し、
「みなさん知ってまっか?
わたい、笑福亭松之助です。
お後がよろしいようで」
といってアッという間に降りてしまった。
次の出番のカウス・ボタンは、20分はやると思っていた松之助が5秒で降りてきたため、
「師匠、あきまへんがな。
着替えもしてへんのに」
と文句をいうと
「お前らがアカンねん。
高座は何があるかわからへんねん。
いつでも着替えて待っとけ!」
と逆に説教された。
松之助は酒で吉本から何度も注意を受け、前座に変えられてしまったこともあった。
さんまはよく酒を買いに行かされたが、一升瓶だと一気に飲んでしまうため、少しでも量を減らすために小さなカップ酒を1本だけ何度も買いにいくようにした。

1976年1月15日、20歳になったさんまはテレビ初出演が決まった。
それは人気深夜番組「11PM」だった。
放送5日前、1月10日は成人式。
男女30名の若手芸人が「20歳の成熟度ピンクテスト」というコーナーに生放送で出演。
15名ずつが左右にわかれて座った。
前列中央に座ったさんまは、他の落語家はみんな着物を着ているのに、少しでも目立とうと真っ赤なスーツ、ストライプのシャツ、黒のネクタイ。
司会は、藤本義一。
アシスタントは、海原千里、万里。
コメンテーターは、横山やすし、露乃五郎(落語家)、窪園千枝子(歌手、女優、性評論家)
若手芸人はスイッチを持ち、出題される性に関するアンケートに回答していく。
さんまは物怖じすることなく、スキあらばしゃべり、質問が出れば真っ先に挙手し、自らの性生活を明かしていった。
『性技の48手以外の技は?』
「逆さ十字落とし」
『それはどんな技なの?』
「女性を逆さに持ち上げまして、そのままベッドに落とすんですわ」
これがドカーンとウケたところでCMに入った。
すると藤本義一が
「君、名前なんていうねん」
さんまがホメてもらえると思いながら
「アッ、さんまです」
と答えると藤本義一は
「サンマかイワシか知らんけどな、テレビでいうてエエことと悪いことがあるんや。
それくらい覚えてから出て来い!」
と怒り、盛り上がっていた現場はシーンとなった。
そしてCM明け、藤本義一がいった。
「それにしても君はしゃべるな。
名前はなんていうの?」
「明石家さんまです」
「師匠は誰?」
ここで横山やすしが割って入った。
「松之助師匠とこの弟子ですわ」
「ああそうか、松っちゃんとこの弟子かいな。
それならしゃーないわ」


生放送が終わり、さんまが控え室で帰り支度をしていると突然、白いマリンキャップをかぶった横山やすしが入ってきた。
「おう、さんま君」
「はい」
「自分、吉本やな?」
「はい」
「そうか、飲みに行こう」
「あっはい、よろしくお願いします」
「気に入った。
話が早い。
さすが松っちゃん師匠とこの弟子や」
お前らも来い。
連れてったる」
横山やすし、さんま、数人の芸人は2台のタクシーに分乗。
途中、あれだけ機嫌がよかった横山やすしが表情がみるみる険しくなって、
「視界不良や」
といって後部座席から助手席のヘッドレストを取り外させた。
そして運転手に
「オイ、コラ、運転手。
なにチンタラ走っとんねん。
ワシは吉本を担う若手を乗しとんねん。
恥かかすな、アホンダラ」
「アクセルはふかすためについとんねん。
ふかせ!ふかせ!
「さっさと前の車追い抜かんかい、アホンダラが」
「歩道を走れ、歩道を!」
と運転手を急かし続けた。


そして目的の居酒屋に着いて飲み始めると再び上機嫌に。
次々と注文し、さんまたちは急き立てられながら必死に食べて飲んだ。
「芸人として生きていくんやったら勝たなアカン。
負けたらしまいや。
とりあえず勝て。
評判は気にするな。
行くときは行かなアカン。
ハイペースで生きろ。
マイペースはアカン。
どんどんペースが落ちる。
スピードは落とすなよ。
腹くくって行け」
横山やすしの話は大半は勝負論。
芸の話が終わると競艇の話に移行した。
店も変わり、他の若手芸人がグロッキーになっていく中、さんまだけは
「カッコよろしいなあ!」
と大きなリアクションをとって熱心に話を聞き続けた。
「気に入った!」
お前はワシに似とる。
インからグッといくタイプや。
アウトからチンタラまくるタイプちゃう。
芸人はインからガーッといかなアカン。
よっしゃ、今からワシの家行こう。
アウトの連中はサッサと帰りさらせ」


こうして他の芸人は帰らされ、さんまだけが横山やすしの自宅へ。
「さんま君。
今からモーターボートのエンジン音聞かしたるさかい、よう聞いとけよ」
かつて本気で競艇選手を目指したが、視力が足らず競艇学校に入れなかった横山やすしはボートにのめり込んでいた。
淀川の近くに家を買い、モーターボート、計測機器、コーナーコーンなどを置いて練習場をつくり、花月のある戎橋までボート通勤していた。
さんまはヘッドホンを手渡され、各メーカーのエンジン音を正確に聞き分けられるようになるまで、何度も何度も繰り返し聞かされた。
「ドヤッ、違いがわかってきたやろ。
モーターボートは奥が深いいんや。
また聞かせたるさかい、今日はもう帰れ。
ワシはもう寝る」
「やすし師匠、今日はいろいろありがとうございました」
「オッほんだらな。
グッドラック!
はよ行け」
横山やすしの家を出たのは朝の6時。
衝撃と波乱に満ちたテレビデビュー日となった。
後日、さんまは
「飲みに連れていってもらったというより市中引き回しの刑に遭うた」
とネタ化したが、160cm、42kgと小柄で華奢な横山やすしから圧倒的なオーラを感じていた。

さんまは、横山やすしの家を出た後、少しだけ仮眠をとってうめだ花月に向かった。
漫才、落語、コント、音楽、様々な芸が披露された後、吉本新喜劇が始まるが、さんまはそのセットを組み立てる間、緞帳の前で漫談をする仕事が入っていた。
楽屋に入ると
「昨日、みたで。
ようしゃべってたなあ」
と5歳年上の先輩芸人、ナンバ四郎に声をかけられた。
コミックバンド「ザ・パンチャーズ」のベーシストで、演奏中に1拍遅れて、メンバーがズッこけるというギャグで当たっていた。
この1拍オクれるギャグで後に「Mr.オクレ」と改名する先輩とさんまは、すぐに意気投合し、よく遊ぶようになった。
Mr.オクレは、顔色は悪く、大きな黒縁メガネ、ガリガリの体に七三分け。
「腹減った。
なんか食わせ」
といってくるMr.オクレにさんまは
「お化け屋敷の営業やったらどうでっか?」
とすすめたが
「金だけくれ」
と返された。

笑福亭松之助の弟子となって2年。
その間、落語家として高座に上がったのは7本だけ。
(鶴瓶は、その内の1本、朝日放送でさんまが演じた落語を録ったテープを大事に保管し、ことあるごとに
「お前もモッサリとしたことやってたんやな」
とイジり続けている)
通常、弟子は、2、3年経つと師から「年季明け」、つまり修行期間終了をいい渡される。
しかし松之助が明確にそれを告げることはなかった。
さんまが弟子として家に通わなくなっても、それまでと同様、会えば話し込み、伝えたいことがあれば手紙を渡した。
さんまも機会があれば、師匠の世話を焼き続け、松之助の落語は舞台袖から勉強した。
そのとき顔は真剣そのもの。
口は師匠のいい回しや間をなぞって小刻みに動き、手には草履を持っていて、幕が下り、師匠が立ち上がるとさんまは駆け寄り
「師匠、ご苦労様でした。
勉強させていただきました」
と頭を下げ、松之助は
「おお」
と揃えて置かれた草履を履いた。
「外までお見送りさせていただきます」
「君、忙しいんやからエエで。
帰り道くらいわかるで。
子供やないんやから」
「師匠、ボケとるかもしれまへんで」
「アホなこというな。
ところで君誰や?」
「さすが師匠。
まだまだサビてまへんな!」
師匠と弟子は声を合わせて笑った。


1本立ちし自由の身となったさんまだったが、仕事は不定期に入る花月のステージと落語会だけ。
親からの仕送りもなくなり、時間はあるが金はなく、ひたすら仲間と街を徘徊。
喫茶店に入り浸り、
「50点」
「30点」
店の外を通り過ぎる女性を採点したり、ナンパして笑わせたりした。
結局、毎日4時間くらい歩き続け、仲間の1人が足の小指から軟骨が飛び出し、医者に
「歩きすぎです」
といわれ手術。
お金はなかったが怖いものもなく
「売れる」
「キャーキャーいわれる」
という夢だけがあった。

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俳優・水谷豊の著作『YUTAKA MIZUTANI』が発売される。「傷だらけの天使」や「熱中時代」、そして「相棒」と、各時代でトップを走り続ける彼が、自らの監督作品を通じて「誰も知らない本当の水谷豊」を明かす。サイン本お渡し会や、代表作『青春の殺人者』の50周年記念Tシャツ発売など、ファン必見の情報が満載だ。


楳図かずお生誕90周年!60年代の伝説的「なかよし」付録漫画を完全再現した究極の復刻BOXが登場

楳図かずお生誕90周年!60年代の伝説的「なかよし」付録漫画を完全再現した究極の復刻BOXが登場

ホラー漫画の金字塔、楳図かずお氏の生誕90周年を記念し、1960年代に『なかよし』の付録として人気を博した「なかよしブック」が復刻BOXとして発売される。当時のサイズや色味、さらには広告や読者ページまで可能な限り再現。市場でも滅多に見られない超貴重な少女ホラー傑作5選が、今ここに蘇る。


武豊デビュー40年特別展が銀座三越で開催!日本ダービー6勝の軌跡やAI・AR等の最新コンテンツが集結

武豊デビュー40年特別展が銀座三越で開催!日本ダービー6勝の軌跡やAI・AR等の最新コンテンツが集結

日本競馬界のレジェンド、武豊騎手のデビュー40年を記念した特別展が2026年4月28日より銀座三越で開催される。前人未到の「日本ダービー6勝」に焦点を当てた展示や、AI・ARを駆使した最新デジタル体験、会場限定のオリジナルグッズ販売など、頂点を走り続けるジョッキーの栄光と進化を体感できる貴重な催事だ。