ヤングおー!おー!
ヤングおー!おー!
「ヤング おー!おー!」~若き日の文枝(三枝)師匠・さんまが出演~|ガキおやじくまもんの「FUN FAN TODAY!」
「ヤングおー!おー!」、テレビで放映開始!!
初代司会者は、桂三枝と落語家の笑福亭仁鶴が務めました。そして進行役は斎藤努が担当しています。
初代司会者の桂三枝(6代目)
初代司会者の笑福亭仁鶴
番組内容
番組の収録は初期の大阪市北区の「うめだ花月」を皮切りに、同区・中之島の「SABホール」(後のリサイタルホール。2007年閉鎖)での公開収録を長年にわたって行ってきました。その後、末期に吹田市のMBS千里丘放送センター内にあった公開ホール「ミリカホール」からの生放送で行われていました。
月に1回の割合で関東地方での収録があり、その他ネット局の制作協力で日本各地の地方公開録画もありました。当番組もその模様を茶の間ではなくホール会場で直接見たい場合は、前もってネット局宛に観覧したい旨のハガキを送らなければいけませんでした。そうすれば厳正なる抽選の上、スタッフから視聴者宛に当選通知票(いわゆる入場整理券)を送ってもらえました。ただし、ハガキ1枚につき3人一組であることが条件でした。
豪華な吉本芸人が出演!!
吉本若手芸人の元祖登龍門的番組で、昭和30年代から40年代までは松竹芸能独走状態であった上方演芸界の勢力図を現在のような吉本中心へと至らしめ、その骨格を築き上げました。全国区の人気者へと上り詰めた仁鶴・三枝は、3か月遅れで番組レギュラー入りし大ヒット曲「嘆きのボイン」で猛追した月亭可朝を加えて俗に“上方落語若手三羽烏”。また、やはり番組レギュラーだった横山やすし・西川きよしと共に“吉本御三家”と並び称されました。
ほかにも当時の若手芸人が多数出演!!
桂きん枝、林家小染、オール阪神・巨人、明石家さんま、桂文珍、月亭八方、島田紳助らは、この番組で人気に火が付き、さらに「出世作」でもあり、全国進出のきっかけを作りました。
『ヤングおー!おー!』で初期のヒットギャグ「エヘヘ」を披露する明石家さんま。
明石家さんまは、『ヤングおー!おー!』時代に桂三枝に怒られた事をネタにしていたらしいです。