UWFに関する記事


桜庭和志  初代タイガーマスク、新日本プロレス、UWFに魅せられ、「プロレスこそ最強」のUWFインターナショナルに入団

桜庭和志 初代タイガーマスク、新日本プロレス、UWFに魅せられ、「プロレスこそ最強」のUWFインターナショナルに入団

かつてサムライの国がブラジルの柔術にガチの勝負で負けて「日本最弱」といわれた時代、舞い降りた救世主は、180cm、85kg、面白い上に恐ろしく強いプロレスラーだった。


獣神サンダーライガー  山田恵一がライガーのマスクをかぶるまで

獣神サンダーライガー 山田恵一がライガーのマスクをかぶるまで

獣神サンダーライガーの中身は山田さんは、超一途、超根アカ、超ピュア、超ポジティブなナイスガイ。


第2次UWF崩壊 弾け散ったパワー・オブ・ドリーム

第2次UWF崩壊 弾け散ったパワー・オブ・ドリーム

1984年4月11日に旗揚げした第1次UWFは、様々な事件と前田日明と佐山聡のケンカマッチを経て1年半で崩壊。屈辱の新日本プロレス出戻り生活も前田日明が暴れまくったため2年半で終了。再旗揚げした第2次UWFは、社会現象といわれるほど若者を熱狂させながら、2年7ヵ月の活動にピリオドを打った。


わが青春の第2次UWF   古い体質を持つ巨大組織に反発し、勝利!

わが青春の第2次UWF 古い体質を持つ巨大組織に反発し、勝利!

第1次UWFは1年半で倒産。新日本プロレスに吸収され、2年半、屈辱の出戻り生活を送るも、数々に事件を引き起こし、最後は解雇され、志高きロクデナシどもは再び立ち上がったのである。


UWF vs 新日本プロレス 新日本プロレスに戻ったUWFはプロレス最強神話を終わらせた。

UWF vs 新日本プロレス 新日本プロレスに戻ったUWFはプロレス最強神話を終わらせた。

経営難のために新日本プロレスに出戻ったUWF。両団体は己のスタイルを貫き、抗争を繰り広げた。中でも前田日明は、アンドレ・ザ・ジャイアント、藤波辰巳、長州力を血祭りにあげた上、キックボクサー、ドン・ナカヤ・ニールセンとの異種格闘技戦も劇的に勝利。アントニオ猪木に代わる「新格闘王」という称号を得た。


佐山聡が虎のマスクを脱ぐまで

佐山聡が虎のマスクを脱ぐまで

1981年4月23日、突然、リングに現れたタイガーマスクは、2年4カ月後、突然、消えた。


怒涛の第1次UWF  うなるキック、軋む関節   社長逮捕 スポンサー刺殺 2枚の血判状

怒涛の第1次UWF うなるキック、軋む関節 社長逮捕 スポンサー刺殺 2枚の血判状

新日本プロレスの営業本部長だった新間寿が黒い感情を持って立ち上げたUWF.。しかしそれは選手やスタッフの熱くて純粋な思いに浄化され、超マイナーだが超前衛的なUWFは若者の圧倒的支持を受けた。しかしスポンサー会社社長刺殺、UWF社長の逮捕と事件が続き、ついに前田日明と佐山サトルのケンカマッチが起こってしまう。


UWF   そして復讐の団体は誕生した

UWF そして復讐の団体は誕生した

「蛇の穴」ビリー・ライレージム、カール・ゴッチ、力道山、アントニオ猪木、藤原喜明、佐山サトル、前田日明、高田延彦、猪木舌出し失神事件、アントンハイセル事件、新日本プロレスクーデター事件、,タイガーマスク引退、1984年にUWFができるまで色々なことががありました。


1990年代活躍した“Mr.200%”『安生洋二』引退後も300%で奮闘中!!

1990年代活躍した“Mr.200%”『安生洋二』引退後も300%で奮闘中!!

UWFでプロレスデビューし、90年代のプロレスブームの際は切り込み隊長として他団体のマットに参戦。ビッグマウスぶりから“Mr.200%”とも呼ばれた人気レスラーが安生洋二さん引退後も300%で奮闘中だとか。


前田日明、グラン浜田、ラッシャー木村、剛竜馬…1984年における「UWF」の激レア映像がDVDとなって復活!!

前田日明、グラン浜田、ラッシャー木村、剛竜馬…1984年における「UWF」の激レア映像がDVDとなって復活!!

株式会社クエストより、かつて一大ブームを巻き起こした「U.W.F.」の黎明期を記録した貴重映像を収録したDVD「The Memory of 1st U. W. F. vol.1 激闘! U.W.F.旗揚げ 1984.4.11大宮スケートセンター」の発売が決定しました。


「名レスラーには名キャッチフレーズ」往年のプロレスラーにつけられたキャッチフレーズ集part2。

「名レスラーには名キャッチフレーズ」往年のプロレスラーにつけられたキャッチフレーズ集part2。

興行会場の地元体育館で、お茶の間からブラウン管の向こうへ、私たちが夢中で応援したプロレスラーたち。名レスラーには名キャッチフレーズが付き物で、それがまた興奮を生み出すこととなりました。前回に続く第2弾です。


「名レスラーには名キャッチフレーズ」往年のプロレスラーにつけられたキャッチフレーズ集。

「名レスラーには名キャッチフレーズ」往年のプロレスラーにつけられたキャッチフレーズ集。

興行会場の地元体育館で、お茶の間からブラウン管の向こうへ、私たちが夢中で応援したプロレスラーたち。名レスラーには名キャッチフレーズが付き物で、それがまた興奮を生み出すこととなりました。


【カッキーライド2018開催!】「世界一性格の悪い男」鈴木みのるとの対戦が決定した垣原賢人選手を独占インタビュー!

【カッキーライド2018開催!】「世界一性格の悪い男」鈴木みのるとの対戦が決定した垣原賢人選手を独占インタビュー!

悪性リンパ腫と闘いながらもレスラーとして戦う垣原賢人。去年「生きろ」のテーマで開催されたカッキーライド。今回のテーマは「集え!Uインター魂」。カッキーライドを開催する垣原賢人選手に意気込みと試合への思いを伺ってきました。


ご当地ヒーローは国境を越えて!「夢と勇気と笑顔を子供たちにプロデュースする」海老名保氏。

ご当地ヒーローは国境を越えて!「夢と勇気と笑顔を子供たちにプロデュースする」海老名保氏。

私たちの世代、少年時代に仮面ライダーなどのヒーローに憧れて少年時代を過ごした人は多いことでしょう。変身ベルトを腰に巻き「大きくなったら正義の味方になる!」なんて草むらを走り回っていた人も。そんな少年時代の憧れを強く抱き続けたまま大人になった人物、それが海老名保さん。ご当地ヒーローの生みの親にして、現在はタイでヒーローを生み出すべく活躍する海老名さんにお話を伺いました。


【垣原賢人】直情一直線、安全策ナシの人生!そしてUの戦士カッキ―はミヤマ☆仮面となる!!

【垣原賢人】直情一直線、安全策ナシの人生!そしてUの戦士カッキ―はミヤマ☆仮面となる!!

垣原賢人は往年のプロレスファンにとってUWFを愛する「Uの戦士」、お子様連れのファミリーにとってはクワガタを愛し”クワレス”を主催する「ミヤマ☆仮面」。悪性リンパ腫と闘いながらも2017年8月14日、後楽園ホールにて「カッキーライド~垣原賢人復帰戦~」を開催する垣原賢人、その安全策ナシに直情一直線な人生をご覧いただきたい。


プロレス総選挙2017 マツド・デラックス的プロレス総選挙!その4 Jrヘビー級日本人レスラー編

プロレス総選挙2017 マツド・デラックス的プロレス総選挙!その4 Jrヘビー級日本人レスラー編

さあ「プロレス総選挙2017」!!本編については、もういいわよね!部門別にランキングする事に意外なレスラーがランキングするわ!マツド・デラックス的にあたしの独断でそれぞれの部門のベスト10を作ってみると、本当に楽しくてしょうがないわ!これはひとそれぞれ好きな人が違うから皆にも投稿してもらいたいわよ!それで思い出すレスラーもいるわ!今回は、前回までの「日本人ヘビー級レスラー」「外国人ヘビー級レスラー」「覆面レスラー」に続く「Jrヘビー級日本人レスラー」よ!!


UWFインターナショナル山崎一夫さんの取材があるんですけど同席します?

UWFインターナショナル山崎一夫さんの取材があるんですけど同席します?

それは当時月刊チャンピオンで連載していた僕の担当編集Iさんからの電話でした。 週刊チャンピオンで山崎さんにインタビューする事になり、僕のプロレス好きをよく知ってる担当のIさんが同席できるように頼んでくれたのでした。


アントニオ猪木の燃える事件簿1  プロレスラー時代編

アントニオ猪木の燃える事件簿1 プロレスラー時代編

1960年代にプロレスラーになってから、1989年に国会議員になるまでのアントニオ猪木のまとめ。 「プロレスこそすべての格闘技の頂点」、「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」というストロングスタイルのプロレスで、人々を熱狂させ、現在の総合格闘技の源流となる異種格闘技戦を行った燃える闘魂の事件簿。


後に「プロレス界の帝王」に上り詰めた高山善廣!その覇道は全日本プロレス、川田利明との遭遇から始まった!!

後に「プロレス界の帝王」に上り詰めた高山善廣!その覇道は全日本プロレス、川田利明との遭遇から始まった!!

大森隆男とのタッグ「ノーフィアー」で全日本プロレス、プロレスリング・ノアに旋風を巻き起こし、フリー転身後は各団体を渡り歩いてメジャータイトルを総ナメ、PRIDEに出場すればドン・フライと壮絶な殴り合いをやって見せる。いつしか「プロレス界の帝王」として君臨することとなった高山善廣。彼の覇道は、UWFインターナショナルのリングで遭遇した川田利明との一戦から始まりました。


2002年、PRIDE.23で引退した高田延彦の「出てこいや!」は決してギャグでなく、90年代Uインターを知る者の涙を誘う名シーンだった!

2002年、PRIDE.23で引退した高田延彦の「出てこいや!」は決してギャグでなく、90年代Uインターを知る者の涙を誘う名シーンだった!

2002年11月24日、PRIDE.23のリングで引退した高田延彦。このとき引退試合の相手を務めた田村潔司への試合後のマイク「お前、男だ!」、そして大会ラストの「Uインター、上がってこいや!」はどちらも流行語となり、以降の高田は「出てこいや!」を持ちネタにすることとなります。しかし90年代Uインターを観ていた者にとって、この時の「上がってこいや!」はギャグなどでなく胸が熱くなる、そして涙を誘う名シーンであったことを忘れてはなりません。