往年のUWFインターナショナル、全日本プロレス、新日本プロレスとメジャー団体を渡り歩いた「Uの戦士」垣原賢人。
プロレスを引退後、森とクワガタを愛する「ミヤマ☆仮面」となって”クワレス”を主催し続ける垣原賢人。
悪性リンパ腫という大病と闘いながら、2017年8月14日には後楽園ホールにてプロレス復帰戦を飾ろうとしている垣原賢人。
ミドルエッジ読者の皆さまには、どの時代の垣原賢人が印象として強いでしょうか。
いま、大きな病と闘いながらもリングにあがることを決断し、観る人々に勇気をもたらそうと取組んでいらっしゃる垣原選手。
そんなメッセージを届けよう!と意気込みながら垣原選手へのインタビュー機会に臨んだミドルエッジ編集部(ミド編)。
ところが、垣原選手との時間と空間はそんな想いすら超越するかのような、少年時代に魅せられたモノに真っ直ぐ過ぎる人生を歩む男の魅力に触れる機会となりました。
”直情一直線、安全策ナシの人生”と銘打たせていただいた、垣原選手の半生をぜひご覧下さい。
ヘラクレスに出会いたくてアマゾンの「ジャングルファイト」に出場
タイトルを見て「えっ?」と思う方が大半でしょう。
一つには「えっ、何のこと?」という文脈が分からない「えっ?」。
もう一つには何となく意味が分かったうえで「えっ、ホント?」という「えっ?」。
このエピソードには、垣原選手の魅力が凝縮されています。
冒頭には、文脈を無視してでもこの言葉を並べておきたかった。。。
そんなわけで、改めて垣原選手のインタビューをご覧ください!
虫捕りに明け暮れた少年時代
ミド編)現在45歳の垣原選手は、ミドルエッジの読者層ととても近い年代でいらっしゃいます。垣原選手は幼いころをどのようにして過ごされていましたか?

垣原賢人さん(1972年4月29日生)
四国は愛媛県の新居浜市に育った垣原選手。
とにかく虫が大好きだった垣原少年は、なかでも「クワガタ」に魅せられました。
同世代の男子であれば幼いころの夏休みの光景が蘇ってくるようです。
チャリンコ立ち漕ぎで競走して…なんだかセミの声まで聞こえてきそうです。
「実はこの“虫好き”が45歳の今現在もず~っと続いているんです」
ここではひとまず垣原選手がなぜプロレスラーを志したのかはさておき、そのクワガタ愛溢れるエピソードを、もう少し垣原選手ご自身の言葉で書き綴らせていただきます。

幼き日の「クワガタ愛」を今なお抱き続ける垣原選手
もうすでに、垣原選手の溢れる「クワガタ愛」は多くの読者の皆様に伝わっているのではないでしょうか。少年期からプロレスラーへ…といったお話の前に。
そしてすっかり話に惹き込まれるミド編。
ミド編)そのオウゴンオニクワガタは出会えたんですか?
すでにお気づきの通り、このエピソードは垣原選手が志したプロレスラーの世界に飛び込み、凌ぎを削って闘いに明け暮れていた時代のモノ。
垣原選手はリング上での全力ファイトの一方、クワガタを追い求める冒険の日々だったのです。
このお話の先に、冒頭で唐突にタイトルとさせていただいたエピソードが!
「虫好きな人にとっての“最高峰”と言えば、“アマゾン”ですよね?」

過酷な「ジャングルファイト」に勢いよく立候補した垣原選手、その理由は?
目を輝かせて語ってくださる垣原選手。
その直情と情熱。例えるならばそう、それは「さかなクン」のようです。
そんな垣原選手はプロレスラーとしての現役引退後、まさに天職とも呼べる「ミヤマ仮面」に扮して活動を始めます。
が、ここではひとまず垣原少年がプロレスを志した時代に戻りたいと思います。
ミド編)そんなクワガタと同じくらいプロレスも好きだったということですよね、 プロレスラーになろうと思ったきっかけは?
チャンネル争いに負けて見始めたプロレス
やがて、クワガタと同じくらいプロレスが好きになっていった垣原少年。
ただ、好きではあったものの自分がプロレスラーになれるとは思ってなかったそうで、小学生の時は少年野球に所属したものの6年間ずっと補欠だったそうです。
居ても立っても居られなくなった「UWF愛」
「UWF愛」は、垣原少年を一気に突き動かします。
中学校の3年間、一生懸命努力して入学した四国有数の進学校。
それなのに…
四国有数の進学校を「先に辞める」
ミド編)えっ、先に学校を辞めちゃったんですか?垣原選手はその時はもう身体を鍛えていらっしゃったんですか?
履歴書で相手にされず、今度は直談判しに東京に出かけた16歳の垣原少年。
1回目は高田延彦選手、2回目は中野龍雄選手に掛け合ったものの相手にされず…
「先に上京してしまう」
「行動力」と一口に言うのは簡単なものの、何の安全策も講じることなく真っ直ぐに突き進む垣原少年。
進学校を辞め、2度の門前払いを食らった後に、わずかな縁を辿って上京した彼を待っていた「大きな縁」。
3度目の正直で待っていたのは「藤原組長」と「熱い大根」
まるでドラマのような展開。
単身上京した垣原少年は、思いもよらない縁でUWF入門への3度目の挑戦を実行に移すこととなります。
ちなみにこの海老名保さんという方は、全国ご当地ヒーローの先駆けとなった秋田県の「超神ネイガー」その人。
後にローカルヒーロー「ミヤマ☆仮面」に変身した垣原選手と、縁深いお方です。
超神ネイガー
まさに根性!「VS熱い大根」
この展開、まるでダチョウ倶楽部の伝統芸能のフリのようです。
まさかまさかの根性試し、垣原少年はどのように立ち向かったのでしょうか!?
1990年8月、UWF横浜アリーナ大会にてついにデビューを果たした垣原選手。
その後UWF、UWFインターナショナル、キングダムと「Uの戦士」としての活躍後は前述の「クワガタ愛」を内に秘めたまま全日本プロレス、新日本プロレスの2大メジャー団体にも登場します。
ミド編)まさにプロレス界を目いっぱいに駆け抜けました。
2006年、プロレスラー現役引退後は天職!?ミヤマ仮面の誕生
プロレスや格闘技を引退した後のセカンドキャリアの形成。
それは時として、闘いを生業とする方々全てにとって共通の課題なのかもしれません。
引退後、現役時代とは異なる輝きを放ち始めた垣原選手。そこにはやはり、少年期からのブレない「クワガタ愛」がありました!
ミド編)ミヤマ☆仮面からは仮面を被っててもワクワクが伝わってきますよね!
「説明しちゃってもいいですか? ”クワレス”の!」
ミヤマ仮面 オフィシャルページ
【クワガタ愛の塊のミヤマ☆仮面だからこそ作ったルール】
ミド編)日本のオオクワガタは強そうですね!
プロレスラーを辞めた後は”クワレス”を主催するミヤマ☆仮面へ。
それはセカンドキャリアというよりも、クワガタ愛溢れる垣原選手の天職のように見えるのです。
全力で駆け抜けたプロレス、その次は大好きなクワガタの道に。
2014年、悪性リンパ腫に侵されていることを公表
一度やり切って卒業したプロレスの世界、ミヤマ☆仮面として子供たちのヒーローとなった垣原選手。
そんな垣原選手の悪性リンパ腫公表に、プロレス界から支援の輪が広がりました。
2017年8月14日、後楽園ホールで「カッキーライド」開催!
この大会で垣原選手は「UWF道場スパーリングマッチ」と銘打って藤原喜明選手と時間無制限で対戦します。
カッキーライド~垣原賢人復帰戦~(カッキーライドカキハラマサヒトフッキセン) | チケットぴあ[スポーツ プロレスのチケット購入・予約]
垣原選手のUWF入門時の経緯を読んだ読者の皆さまならもう納得しかないのではないでしょうか。
「カッキーライド」での藤原選手との対戦、万感の想いが詰まった時間と空間になりそうです。

トレーニングする垣原選手
株式会社ストロングス
熱いメッセージが込められたカッキーライド。
現時点で公表されている試合は以下の通りです。
■垣原賢人復帰戦~カッキーライド~
8月14日(月)東京・後楽園ホール17:30開場、18:30開始
▼UWFルール
冨宅飛駈
(1/30)
丸藤正道
▼UWFルール
田中稔
(1/30)
船木誠勝
▼UWF道場スパーリングマッチ/時間無制限
藤原喜明
vs
垣原賢人
大日本プロレス BJW official website
ミド編)5月25日に行われた後楽園ホールでの発表会見時もスゴい「カッキーコール」でした。
ミド編)素晴らしいですね!同世代は絶対に勇気づけられるイベントだと思います!!
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