ヤクルトに関する記事


1989年バブル絶頂~2004年球界再編問題「たかが選手が」球団vs選手会  ライブドアvs楽天  旧vs新  置き去りになった近鉄ファン

1989年バブル絶頂~2004年球界再編問題「たかが選手が」球団vs選手会 ライブドアvs楽天 旧vs新 置き去りになった近鉄ファン

近鉄とオリックスの合併、球界再編問題、ストライキ、IT企業のプロ野球参入合戦、近鉄バッファローズ消滅、オリックスバッファローズ、楽天イーグルス誕生 夢と感動がいっぱいのプロ野球の裏側では、それを支えるドロドロの利権と古い体質を持つ巨大な権力があった。


【訃報】野村克也さんの死去に対し各界からコメントが!監督時代の「名采配」を振り返る。

【訃報】野村克也さんの死去に対し各界からコメントが!監督時代の「名采配」を振り返る。

南海時代は野球史に名を残す名捕手、そして監督としてはヤクルト、阪神、楽天などを渡り歩いた名将「ノムさん」こと野村克也さんが2月11日に亡くなりました。この記事では、野村さんの監督時代における「名采配」、そして訃報に寄せられたコメントを特集してみたいと思います。


【1983年阪急ドラフト1位】野中徹博さん【不屈の精神】

【1983年阪急ドラフト1位】野中徹博さん【不屈の精神】

1983年の阪急ブレーブスのドラフト1位、野中徹博投手。日本のプロ野球では数字こそ残せなかったものの、波乱万丈、転んでは立ち上がり、転んでは立ち上がりの人生は人の心を打つものがあります。どんな選手だったのか、記事にしてみました。


野球選手だった長嶋一茂。ヤクルトでは野村監督に冷遇され、巨人では土井正三に暴言を吐いた!

野球選手だった長嶋一茂。ヤクルトでは野村監督に冷遇され、巨人では土井正三に暴言を吐いた!

父に長嶋茂雄をもち、父と同じ三塁手、立教大学を選んだ。ヤクルト時代は父と同じ背番号「3」だった長嶋一茂。プロ初安打がホームランという華があった。巨人時代はパニック障害にも悩まされた長嶋一茂の野球人生と引退後に迫る!


【テリー・ブロス】テスト入団から這い上がったノーヒッター

【テリー・ブロス】テスト入団から這い上がったノーヒッター

長身から投げ下ろす速球と親指と人差し指ではさむ独特のフォークボールを武器に1995年のヤクルトスワローズの日本一に貢献したテリー・ブロス投手の球歴と彼が最も活躍した1995年シーズンを振り返ります


【スター選手の引退試合・ヤクルト編】(若松勉・尾花高夫・池山隆寛)

【スター選手の引退試合・ヤクルト編】(若松勉・尾花高夫・池山隆寛)

スター選手の引退試合、現役最後の試合をまとめています。ここではヤクルトスワローズを支えた若松勉、尾花高夫、池山隆寛選手の引退試合を紹介します。毎年何百人というプロ野球選手が入団し、そして引退していきます。「私、引退します」と言ってプロ野球生活に別れを告げられる選手はほんの一握り、更に言えばこの様な「引退試合」「引退セレモニー」を行える選手などはごく一部。そんな特別な選手の特別な試合をどうぞご覧ください


【リーグ優勝の瞬間】ヤクルトスワローズ編

【リーグ優勝の瞬間】ヤクルトスワローズ編

まだクライマックスシリーズ制度が導入されていない頃、ペナントレースが今よりもずっと価値があった頃、各球団のリーグ優勝決定の瞬間、その年の戦いぶりをご紹介しています。今回はヤクルトスワローズのリーグ優勝決定の瞬間(1978、1992、1993)を集めてみました。


甲子園のアイドル荒木大輔!荒木トンネルまで作られたフィーバーぶり!

甲子園のアイドル荒木大輔!荒木トンネルまで作られたフィーバーぶり!

1980年代の甲子園のアイドルと言えば荒木大輔。1年時に愛甲猛率いる横浜高校と対戦。プロ野球ではヤクルトで活躍するも、怪我との戦いを強いられた荒木大輔。大ちゃんフィーバーも含め、荒木大輔の野球人生を振り返る。


ヤクルト投手陣と日本プロ野球を救った男・古田敦也の凄さ

ヤクルト投手陣と日本プロ野球を救った男・古田敦也の凄さ

ヤクルト一筋で数々の記録を打ち立て、2004年に起こった「プロ野球再編問題」の際に選手会会長としてグラウンド外でも奮闘。2005年~2007年まで選手兼任監督を務めた名捕手、古田敦也選手の成績を改めて振り返ります。


【西武VSヤクルト】「智将・森祇晶VS野村克也のID野球」1992、93年の日本シリーズ同一カードは1勝1敗に終わる!

【西武VSヤクルト】「智将・森祇晶VS野村克也のID野球」1992、93年の日本シリーズ同一カードは1勝1敗に終わる!

92、93年の日本シリーズを憶えていますか?ともに智将と呼ばれた両監督の激しい戦いは、派手さはなくとも強い両チームを体現していましたね。そんな森、野村両監督について振り返ります。


【ヤクルト・伊藤智仁】ガラスのエースと呼ばれた天才、ケガで記録に恵まれなかった高速スライダー右腕。

【ヤクルト・伊藤智仁】ガラスのエースと呼ばれた天才、ケガで記録に恵まれなかった高速スライダー右腕。

1993年、セ・リーグ新人王に輝いたヤクルトの伊藤智仁投手。手元で伸びる速球と、誰もが打てなかった高速スライダーを持つ彼は、史上最高レベルのピッチャーと評されました。ケガで記録に恵まれませんでしたが、いまみてもとんでもないスライダーを投げていたのがよく分かります。


80年代後半~90年代中期のヤクルト主軸を担ったイケトラコンビ!「ブンブン丸」池山隆寛と「トラ」広沢克己。

80年代後半~90年代中期のヤクルト主軸を担ったイケトラコンビ!「ブンブン丸」池山隆寛と「トラ」広沢克己。

1990年代前半、全盛期のヤクルトで中軸を担った「イケトラコンビ」。ブンブン丸池山とトラ広沢の愛称で親しまれた二人を憶えている人は多いでしょう。当時のヤクルト人気を支えた二人の紹介。


サヨナラ本塁打を打ちまくった白い鬼!【ジャック・ハウエル】の凄さに迫る!!

サヨナラ本塁打を打ちまくった白い鬼!【ジャック・ハウエル】の凄さに迫る!!

1992年に日本にやってきた白鬼は、海の向こうのベースボールで名を馳せた選手でした。そんな大きな期待を胸にやってきたハウエルは4年間、日本プロ野球界で暴れまわってアメリカに帰って行ったのです。 そんなジャック・ハウエルの日本の活躍を中心に、どんな選手だったのでかご紹介いたします。


【ロベルト・ペタジーニ選手】ゴジラ松井に打ち勝った「最強助っ人」の一人

【ロベルト・ペタジーニ選手】ゴジラ松井に打ち勝った「最強助っ人」の一人

1998年に来日したヤクルトたぺタジーニ選手は、来日1年目から松井秀樹と壮絶な本塁打王争いを繰り広げる。松井選手が大リーグに行った後は読売ジャイアンツ、晩年はソフトバンクに在籍。3球団で活躍した彼の球歴を振り返る。


【鈴木健】黄金期が過ぎようとしていた西武を再び優勝に導いた主砲。

【鈴木健】黄金期が過ぎようとしていた西武を再び優勝に導いた主砲。

高校通算本塁打記録・83本を引っさげ鳴り物入り西武に入団した鈴木健だが、レギュラー陣の分厚い壁に阻まれる。だが、西武の黄金期を支えたメンバーが次々とチームを去った時、新四番・鈴木健が危機を救うのだった。


玄人好みの職人・辻発彦はいかにして「日本球界最高の二塁手」と称されるようになったか?

玄人好みの職人・辻発彦はいかにして「日本球界最高の二塁手」と称されるようになったか?

ぼやきの名人・野村克也をして「日本プロ野球におけるベストナインを選ぶなら、セカンドは辻」と言わしめた名手。そして現在近いうちに監督になるであろう日本人プロ野球指導者のひとりである辻発彦。アマチュア時代は無名の選手だったからがここまでのしあがれたのはなぜかをひもとく。


控え投手からメジャーのクローザーにまでのし上がり、日米通算300セーブを記録した名クローザー【高津臣吾】

控え投手からメジャーのクローザーにまでのし上がり、日米通算300セーブを記録した名クローザー【高津臣吾】

日本球界のみならず、メジャーリーグでも活躍。晩年は韓国や台湾リーグ、日本の独立リーグでもプレー。時にはコミカルな振る舞いでファンを楽しませながら、生涯現役を貫き、完全燃焼した彼の野球人生をたどってみる。


【広沢克己】ヤクルト、巨人、阪神の三球団で四番を務めた長距離砲

【広沢克己】ヤクルト、巨人、阪神の三球団で四番を務めた長距離砲

池山選手、古田選手らと共にヤクルトの主力として活躍後、1994年オフにFA宣言で巨人に入団。その後阪神に移籍。 三球団で四番を打ち、それぞれの球団で優勝を経験した広沢克己選手についてのまとめ記事です。


【天才投手】野球が好きじゃないのに182勝も挙げた元メジャーリーガー『石井一久』

【天才投手】野球が好きじゃないのに182勝も挙げた元メジャーリーガー『石井一久』

今では天然やおもしろい元野球選手として注目を浴びている石井一久。彼がすごいのは面白さだけではなかった。 野球のセンスだけでやってこれた彼の生き様をご覧ください。


2015年、山田哲人(ヤクルト)と柳田悠岐(ソフトバンク)が超難関「トリプル3」達成で振り返る、歴代の「トリプル3」達成者8人!!

2015年、山田哲人(ヤクルト)と柳田悠岐(ソフトバンク)が超難関「トリプル3」達成で振り返る、歴代の「トリプル3」達成者8人!!

「3割30本30盗塁」プロ野球選手における攻撃力の万能さを示す「トリプル3」と呼ばれるこの記録は、世界の王やイチローですら成し遂げたことの無い記録。歴代でもこれまで8人だったこの記録に、2015年になんとセパ両リーグから達成者が現れる(ヤクルト:山田哲人、ソフトバンク:柳田悠岐)という事態になりました。そこで改めて歴代の「トリプル3」達成者をみていきましょう。