甲子園の人気者・荒木大輔!怪我に苦しんだプロ野球!

早稲田実業高校時代の荒木大輔

ヤクルトスワローズ時代の荒木大輔
大ちゃんフィーバーで騒がれた早稲田実業・荒木大輔

週刊「甲子園の夏」 表紙・荒木大輔

横浜高校・愛甲猛も甲子園のアイドルと呼ばれていた!
懐かしの「大ちゃんフィーバー」!
1年生ながら甲子園準優勝投手となった荒木大輔。
端正なルックスも手伝って、女性からの人気が「大ちゃんフィーバー」と呼ばれるまでに加熱した。
荒木大輔の活躍した1980年に生まれた男児の名前ランキングは「大輔」が1位となっている。
ちなみに、元々「大輔」の名前はランキング上位の常連だったが、「大ちゃんフィーバー」以降は数年に渡り、首位を独占した。

大ちゃんフィーバー真っ只中!高校時代
ちなみに90年代後半、横浜高校のエースとして甲子園を沸かせた松坂大輔の「大輔」は、荒木大輔が由来である事は有名。
また、1995年時点では、男児の名前ランキングで「大輔」はトップ10入りはしていなかったが、松坂がプロ入りし、新人賞を取り活躍した1999年生まれのランキングでは「大輔」が4位に急浮上している。

荒木大輔を取り囲む女性ファン

荒木と同じく甲子園で活躍した投手・松坂大輔
最後の夏はやまびこ打線・池田高校に大敗!
懐かしの「やまびこ打線・池田高校」!
徳島県立池田高等学校とは - goo Wikipedia (ウィキペディア)
巨人入りを希望した荒木大輔。交渉権はヤクルトが獲得した!
1982年秋のドラフト会議ではヤクルトスワローズと巨人が1位指名し競合、抽選の結果ヤクルトが交渉権を獲得した。
しかし、荒木は根っからの「巨人ファン」であり、巨人以外からの指名の場合は早稲田大学への進学と公言していた。
その為、ヤクルトの関係者が荒木の実家を訪ねても、なかなか会ってもらえず、ついには当時の武上四郎監督が手土産を持参し、直接挨拶に出向いた。
しかし、その際も会うことは叶わず、武上は持参した手土産を玄関に置き、その場を離れた。
結局、その生もの(デザートとされている)は日を浴びて駄目になってしまい、「食べ物を粗末にするな」との批判が殺到。
その一件もあり、荒木はヤクルトと交渉の場を設け、ヤクルトの熱意に押される形で入団を決めた経緯がある。
ちなみに荒木の「外れ一位」で巨人が指名したのが、後に巨人の「三本柱」、「平成の大エース」と呼ばれる事となる斎藤雅樹であった。
斎藤は甲子園出場もなく、荒木とは比較にならない程に無名とも言える存在であった。

ヤクルトスワローズに入団した荒木大輔

1983年プロ入り間もない荒木。既に自伝的漫画が発売されていた!
女性ファンから逃れる為の神宮球場「荒木トンネル」
ヤクルトスワローズ入団後は「大ちゃんフィーバー」を巻き起こした高校時代をも超える大人気となった。
数多くの女性ファンが荒木見たさに神宮球場を取り囲んでいた。
球団はこうした混乱を避ける為に、神宮球場のクラブハウスと球場を結ぶ専用の地下道を作った。
この地下道は「荒木トンネル」と呼ばれる事になった。
ちなみに他の選手も使用することが出来る。

神宮球場の「荒木トンネル」入口

荒木トンネルへと続く階段

これが「荒木トンネル」!
主軸投手として成長するも、肘痛を発症! トミー・ジョン手術!
荒木大輔とは - goo Wikipedia (ウィキペディア)

酷使してきたヒジが激痛に見舞われてしまった・・・。
1992年、3シーズンぶりに復活!逆転優勝に貢献!
荒木大輔とは (アラキダイスケとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
1996年、ラストシーズンは横浜ベイスターズ!
1994年は1勝6敗の成績で先発ローテーションから外れ、翌年は一軍登板が無かった。
1995年オフに早実の先輩でもあり、自身がルーキー時代にバッテリーを組んだこともある大矢明彦新監督率いる横浜ベイスターズに無償トレードでに放出された。
しかし、結果を残せず、1996年シーズン限りで現役引退。32歳という若さでユニフォームを脱ぐ事になった。
引退後の荒木大輔
荒木大輔 - フレッシュアイペディア

西武ライオンズの投手コーチ時代

ヤクルトの投手コーチ時代
荒木大輔とは - goo Wikipedia (ウィキペディア)

近年の荒木大輔
大ちゃんもスッカリふくよかになった!
いつか監督「荒木大輔」も見てみたい!
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