【訃報】「ノムさん」こと野村克也さん死去。
南海時代は野球史に名を残す名捕手、そして監督としてはヤクルト、阪神、楽天などを渡り歩いた名将「ノムさん」こと野村克也さんが2月11日に亡くなりました。84歳でした。
第一報はこちらです。
既にテレビなどで盛んに報道されている野村さんの訃報。その影響力の大きさを感じずにはいられませんが、ミドルエッジ世代としてはやはり監督時代の野村さんの印象が強いかと思います。この記事では、まず野村さんの監督時代における「名采配」について振り返ってみましょう。
野村監督が魅せた「名采配」の数々!!
現役時代にも、打者を心理的に揺さぶる挑発「ささやき戦術」などの頭脳プレイで対戦相手を翻弄した野村さん。その頭脳は、「名采配」として監督時代にもいかんなく発揮されました。
ID野球
野村さんのヤクルト時代の代名詞と言っても過言ではない「ID野球」。IDとは「Import Data」の略称であり、各選手のプレイ傾向をデータ化し、それをミーティングなどで選手に徹底させることで効率的な野球を実践しました。
再生工場
南海で選手兼任監督をしていた70年代、他球団で成績が振るわなかった選手の適性を見抜き、彼らを見事に成長させたことから「野村再生工場」と呼ばれました。江夏豊、江本孟紀、小早川毅彦といった多数の選手が、再生工場にて復活を遂げています。
ギャンブルスタート
野村さんが監督時代に多用していた「ギャンブルスタート」。これは三塁走者が、打者の打球を判断せずに本塁に突入する作戦であり、1992年の日本シリーズで、三塁走者の広沢克己がライナーを恐れて本塁に帰ることが出来ず、結果として日本一を逃したことを教訓としたものです。
「名采配」を繰り出した野村さんに、著名人から数々のコメントが!
上述のような「名采配」と呼ばれる戦術を多数考案し、昭和~平成を代表する名監督として活躍した野村さん。その訃報には、多数の著名人が追悼のコメントを発表しています。ここでは、そのいくつかをご紹介したいと思います。