時給15000円

1989年、日本は好景気の真っ只中。
東京都の山手線の内側の土地だけでアメリカ全土を超えるほど地価は高騰。
株価は史上最高の38957円44銭。
大企業は投資や買収に明け暮れた。
地上げ屋は、1着数十万円のスーツを着て、物件を担保にして資金を借りて、別の物件を買うというやり方を繰り返し、1年で数十億円を稼ぎ、数億円を使って遊んだ。
その地上げ屋の社長に月々100万円をもらう愛人は、彼氏持ちの専門学校生で、銀座のホステスのアルバイトは時給15000円だった。
銀行は担保さえあればいくらでも金を貸し、東京の街は、おしゃれな店や飲食店、夜遊びスポットが乱立。
若者はアフター5を謳歌した。
若い男性は、おしゃれな店、ファッション、車、ウインタースポーツ、音楽、コンサート、異性とのコミュニケーションに燃えた。
特にクリスマスは特に大変だった。
高級店ディナー 、高級プレゼント、 きれいな夜景のみえる高級ホテルで一夜というのがノルマだった。
事前に高級レストランの予約、高級プレゼント確保、高級ホテル予約をクリアした上で、海岸で花束を持って体に電飾を巻いて彼女を待つナイスガイもいた。
若い女性は、ボディコン、高級ブランド、勝負服、勝負下着をまとってディスコで踊り、男どもを操る術を磨き、高級ブランドや高級車、マンションをプレゼントさせるツワモノもいた。
お金持ちも一般ピープルも、とにかくみんなお金をよく使った。
「お金は使わなければいけない」
一種の強迫観念さえ存在した。

今思えば、プロ野球もおかしくなっていたのかもしれない。
この年、福岡ダイエーホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)が誕生した。
前年、南海ホークスが、福岡で大規模な再開発事業を計画していたダイエーに売却された。
大規模な再開発事業とは福岡市西部にある埋め立て地の臨海開発地区:シーサイドももちでの複合レジャー施設だった。
翌年にはシーサイドももちのお披露目イベントとして「アジア太平洋博覧会」を開催。
博覧会終了後、ホークスタウンの建設が始まり、1993年には日本で2番目のドーム球場となる福岡ドームができ、現在でもホークスの本拠地となっている。
当初の計画ではもう1つドームが建設される予定だったが、景気後退とダイエーの事業不振でツインドームは実現できなかった。

1989年9月23日、西武 vs ロッテの4回裏、ロッテの平沼定晴投手の初球ストレートが、清原和博の左肘を直撃。
清原和博は平沼定晴にバットを投げつけマウンドに走った。
平沼定晴も逃げずに応戦したが、ヒップアタックで倒された。
その後、両チーム、グラウンドに乱入。
45000人の観衆の前でバトルロワイアルが行われた。
この年、セリーグの年間観客動員数は1204万8500人で、1試合平均3万894人。
パリーグは年間観客動員数が876万8000人、1試合平均2万2500人。
野球の実力では決してひけをとらないが、人気という点でパリーグはセリーグに大きく差をつけられていた。
しかし西武ライオンズは、セリーグの大洋ホエールズや広島東洋カープのみならず阪神タイガースより観客動員数が多い人気球団だった。
1989年シーズン、西武ライオンズは3位に終わった。
西武鉄道と不動産を手掛ける西武ライオンズオーナー:堤義明は、
「まあ監督が(来年も)やりたいんならどうぞ」
と堂々と上から目線発言。
批判を浴びた。

1989年のプロ野球の日本シリーズは、巨人 vs 近鉄だった。
近鉄が2連勝して迎えた第3戦。
近鉄バッファローズの先発:加藤哲郎は、6回1/3を投げ、3安打無失点で勝利投手となった。
「今の巨人なら(パリーグ最下位だった)ロッテの方が強い。
このチームに負けたら西武、オリックスに申し訳ない
明日(優勝が)決まるから、もう(自分が)登板することはないでしょう」
とイケイケの関西らしく、3勝0敗で日本一に王手をかけたチームの勢いそのままにいい放った。
しかし相手は巨人。
世界のポリスを自負するアメリカ同様、日本のプロ野球の秩序を守るため、強大な権力をバックに持つ最強球団は、調子にノッた関西球団の撲滅を誓った。
そしてその後、一気に4連勝の大逆転で日本一となった。
加藤哲郎投手は、10年で17勝12敗、防御率4.60と成績的には平凡な投手だが、現在でも解説者やタレントとして活動中。
おそらく、いや間違いなく、あの要らぬ一言のおかげである。
1980年代後半から1991年にかけて発生した好景気は「バブル」と呼ばれた。
少し異常だったのかもしれないが、明るくても面白い時代だった。
そしてそれは「泡」のようにはじけて終わった。
合併

2004年1月31日、バブル期の事業拡大策が裏目に出て有利子負債が1兆3000億円に達した近鉄は、
・北勢線を三岐鉄道へ譲渡
・東京近鉄観光バス他2社をクリスタルへの売却
・都ホテルや近鉄百貨店の不採算店舗の閉鎖
・大日本土木に対する民事再生手続開始申請
・OSK日本歌劇団への援助打ち切り
など様々なリストラを行った。
年間40億円といわれる赤字を出していた「近鉄バッファローズ」の保有も大きな問題となり、球団名から「近鉄」を外して命名権を売り出すと発表。
2月5日、発表から数日後、他球団からクレームを受け取り下げた。
窮した近鉄は球団の売却、あるいは清算を考え始めた。

オリックス会長で球団オーナーでもある宮内義彦は近鉄に合併を勧めた。
5月31日、日本経済新聞がオリックスと近鉄の合併交渉を朝刊1面で報じた。
同日、近鉄は記者会見を開き交渉の事実を認めた。
その中で近鉄本社の山口昌紀社長は
「(球団は)回収の見込みがない経営資源」
と発言した。
パリーグは理事会を緊急招集し、両球団から事実関係の説明を受けた。
そして他の4球団は合併に賛成した。
6月21日、プロ野球実行委員会が開かれ、セリーグ6球団を含め10球団が「了承」した。
しかし選手に対する救済措置など未確定の部分が多く合併に必要な「承認」は得られなかった。
1リーグ制

問題の根本には世の中全体の不景気があり、さらにセリーグに比べ集客力が少ないパリーグの球団の経営難があった。
この解決策として巨人オーナー:渡邉恒雄、西武ライオンズオーナー:堤義明、オリックスオーナー:宮内義彦らは、
「現在の12球団2リーグ制から球団の数を削減し8~10球団1リーグ制にする」
という案を発表した。
オリックスと近鉄は合併へ向けて
・新会社の出資比率はオリックス80%、近鉄本社20%
・本拠地は兵庫県(オリックス)と大阪府(近鉄)を併用
・確保できる選手は両球団あわせて28人。
など具体的な話し合いを進めた。
しかし12球団の代表者会議でセリーグ側の同意が得られなかった。
特に阪神タイガースはダブル本拠地に強硬に反対。
28人枠についても新人選手・フリーエージェント選手・外国人選手の扱いを巡って紛糾した。
数日後、オーナー会議が開かれ
「両球団の新球団への保有選手は25人」
「大阪府と兵庫県のダブル本拠地は暫定的に2005~2007年の3年間認める」
とされ、大筋で合併が了承されたが、未確定の条項があるため、正式承認は合併合意書への調印と実行委員会の承認を待って9月に開催予定の臨時オーナー会議で行うとされた。
またこの会議で西武ライオンズオーナー:堤義明は
「西武ライオンズ、千葉ロッテマリーンズ、北海道日本ハムファイターズ、福岡ダイエーホークスの4球団間で新たな合併を模索している」
西武ライオンズが他球団と合併する可能性、そして「1リーグ10球団制」の実現を示唆した。
巨人、西武、オリックスら1リーグ推進派は、ヤクルトを中日ドラゴンズに、広島を阪神に吸収合併させることも検討していた。
しかし阪神、広島、中日は1リーグ化に反対していた。
同日、日本で唯一の市民球団である広島東洋カープのオーナー:松田元は警鐘を鳴らした。
「あまりにも話が早く進みすぎる。
もっと慎重にすべきだ。
あまりにも経営者サイドでものをみすぎだと思う」
翌日、ロッテオーナー:重光昭夫は
「来季のパリーグを5球団で運営した場合、球団の赤字が5億~10億円程度増加する」
と1リーグ10球団化の必要性を強調した。
ライブドア新規参入表明 救世主 ホリエモン

2004年6月30日、IT企業;ライブドアは近鉄に買収を申し入れたことを発表した。
近鉄、オリックスは
「既に断っており、今後も申し入れは拒否する」
と表明。
巨人オーナー:渡邉恒雄オーナーは
「オレも知らないような人が入るわけにはいかんだろう」
と発言した。
7月4日、ライブドアのホリエモンこと堀江貴文社長大阪ドームで観戦。
ファンから
「近鉄の救世主」
と大歓迎された。
近鉄ファンだけでなく多くの人が
「プロ野球にはびこる古い体質を破壊してくれるのでは?」
という期待感を持った。
たかが選手が

7月7日、プロ野球選手会会長:古田敦也は、球団数が減り多くの選手がリストラされてしまうことを危惧していた。
記者に
「直接オーナー側と会ったほうがいいのでは?」
と聞かれ
「出来ればそうしたいんですけど、機会を設けてくれないでしょう」
とコメントした。
7月8日、渡邉恒雄はスポーツ記者に
「明日、選手会と代表レベルの意見交換会があるんですけれども、古田選手会長が代表レベルだと話にならないんで、できればオーナー陣といずれ会いたいと・・・」
といわれ
「無礼なこというな。
分をわきまえなきゃいかんよ。
たかが選手が」
と発言。
この対話拒否の態度に、選手会は反発し合併に反対の姿勢を示した。
多くのファンがそれに同調。
7月10日、選手会は臨時大会を招集し、
・近鉄に対しオリックスとの合併交渉を1年間凍結し、合併が最良の選択か否かを討議するよう求める
・日本プロ野球機構に、1年間近鉄が球団名の命名権を販売することを許可するよう求める
・合併が強行されようとした場合、ストライキ権行使もあり得る
・ただしストライキ実施に当たってはファンへの配慮を十分に行う
4点を決議し
・アメリカのメジャーリーグが導入している「ラグジュアリー・タックス」(贅沢税)導入
・高額年俸選手を対象とする年俸減額制限の緩和
・プロ野球ドラフト会議の完全ウェーバー方式化
・フリーエージェント選手の移籍にかかる補償金の廃止
・新規参入球団に課せられる加盟金の金額(新規参加60億円、譲受参加30億円)の見直し
・テレビ放映権のコミッショナー一括管理
なども提案した。
この日より始まったオールスターゲームで選手は12球団のチームカラーを織り込んだミサンガを着用。
「両球団の早急な合併と議論を尽くさないままの1リーグ化反対」
の意思を示した。
7月16日、近鉄選手会は合併反対の署名募集運動を開始。
大阪ドーム前に中村紀洋ら1軍選手全員が集まりファンの支援を訴えた。
7月23日、中日ドラゴンズ選手会が合併反対の署名運動を開始。
7月29日、巨人選手会が1日だけ合併反対の署名運動。
8月5日、広島選手会が合併反対の署名運動を行い、12球団の選手会がこの運動に参加した。
近鉄選手会の礒部公一会長は
「試合前にミーティングをし、最後まで戦う姿勢でいたいという意思統一を行いました」
と選手会主導による無期限のストライキ発動を提案。
8月10日、オリックスと近鉄が基本合意書に調印。
8月19日、ライブドアは近鉄を買収できない場合、新球団を設立してプロ野球に参加する方針を固め、9月にもプロ野球に参入する姿勢を明かした。
そして広島の松田元オーナーに挨拶状を送り、プロ野球参入時の協力などを要請。
松田元オーナーは好意的な姿勢を示した。
阪神の久万俊二郎オーナーも
「私でよければ応じたい。
10年は持ちこたえる覚悟があるか聞きたい」
とライブドアの堀江貴文社長との会談に前向きな姿勢をみせた。
広島東洋カープ採決棄権

8月26日、近鉄の株主2人がオリックスとの合併の差し止めを求める仮処分を大阪地方裁判所に申し立てた。
8月27日、続いて選手会も合併を行わないよう求める仮処分を東京地方裁判所に申し立てた。
8月31日、プロ野球実行委員会は、訴訟の行方を見極める必要があるとして合併承認を見送った。
9月3日、東京地裁は
「すでに近鉄とオリックスの合併は12球団の代表者会議で承認されている。
特別委員会で議決に諮る事項ではない」
と選手会の申立を却下。
9月4日、大阪地裁は
「近鉄の第三者への売却は、合併より近鉄本社に有利になる見込みは無い」
と株主側の申立を退けた。
選手会と株主は即時抗告。
9月6日、神戸市で選手会の会合が行われ、8日に開かれるオーナー会議の内容によっては11、12日の公式戦の選手会主導でストライキを実施することを決定。
9月8日、東京高裁は選手会の合併差し止めの仮処分申請の即時抗告を棄却。
しかし同時に
「日本プロ野球選手会には団体交渉権がある」
「団体交渉で誠実交渉義務を尽くさねば不当労働行為にもなる」
「日本プロ野球組織の対応は誠意を欠いており、今後は誠実な交渉を求める」
と指摘した。
この同じ日にプロ野球オーナー会議が開かれ、近鉄とオリックス以外の10球団で合併に関する採決が行われた。
しかし広島東洋カープのオーナー:松田元は
「カープは地域によって支えられており、その地域の理解を得られない採決には参加できない」
と棄権。
8人の侍など広島カープには感動的な話が多いが、新たに伝説が1つつけ加えられた。
ダイエーの意地

残りの9球団は賛成し、近鉄とオリックスの合併が「承認」された。
この会議で西武ライオンズオーナー:堤義明は、他球団の合併について
「何の進展もなかった」
と報告。
「2005年シーズンは11球団(セリーグ6チーム、パリーグ5チーム)で行うことになった」
とした。
当初、西武ライオンズの合併相手は、千葉ロッテマリーンズ、福岡ダイエーホークスだった。
しかし最終的に、球団単独保有に固執するダイエーの拒否により計画が頓挫した事を明かした。
ダイエーは、2001年1月に有利子負債が1兆8000億円に達し、創業者:中内功が退任。
以後、リストラを含め様々なことが行われたが、本業のスーパーマーケットの売上低落に歯止めがかからなかった。
2003年には福岡ドーム球場とホテルをアメリカの企業再生専門投資会社:コロニーキャピタルへ売却することを決めた。
2004年に取引主力3銀行(UFJ銀行、三井住友銀行、みずほコーポレート銀行)から産業再生機構(2003~2007年の4年間だけ存在した政府系の特殊会社)の傘下に入っての再建を通告されたが拒否。
その後、アメリカのゴールドマンサックス、サーベラス、リップルウッドとドイツのドイツ証券がスポンサーを申し出ている事を明らかにし、あくまで産業再生機構を使わず自主自力民間再建を目指した。
しかし数日後、取引主力3銀行会社は「機構を利用しない場合は資金援助を取り付けない」と発表。
また福岡ドーム球場を売却したコロニーキャピタルと
「30年間はダイエーが福岡ドームを使用していかなければならない」
「違反した場合には、900億円の損害賠償を支払う」
という契約を結んでいたおり西武ライオンズとの合併も困難だった。
(2004年10月13日、結局、ダイエーは産業再生機構の利用を決定した。
しかし結果的に自力再建にこだわり続けたダイエーの強硬な姿勢が「第2の合併」「1リーグ制」を挫折させた)
巨人抜きでは興業が成り立たたない球界の現実

その後、巨人オーナー:渡邉恒雄オーナーが
「仮にパリーグが4チームになった場合はパリーグへの移籍も視野に入れる」
と発言。
セリーグ6チーム、パリーグ4チームより、セリーグ5チーム、パリーグ5チームでバランスよく運営した方がいいということだったが、
「1リーグが認められないならそれも1つの案」
パ・リーグ側には歓迎する声もあったがセリーグ側は一斉に反発。
巨人抜きでは興業が成り立たたない球界の現実が浮き彫りになった。
選手会は
「巨人がどちらに行っても構わない。
それは問題ではなく球団数削減が問題」
とした。
渡邉恒雄の発言は、巨人戦の収益無しでは存立できないセリーグの球団やファンに危機感を与えた。
その後、現状維持を望む世論が広がっていった。
9月9日、10日、日本プロ野球機構、 球団、選手会が労使交渉を行った。
そして以下のことについて、回答期限を9月17日17時とし、それによって合意がなされた場合、9月18日以降のストライキを中止することが決められた。
・近鉄とオリックスの合併の1年間凍結については2005年シーズンの日程のシミュレーションを立てた上で改めて検討する
・加盟料(新規参入60億円、譲渡の場合は30億円)を撤廃し保証金制度を設置
・2005年度はセリーグ6チーム以上、パリーグ5チーム以上を確保
・ドラフト制度改革などの専門委員会を設置
こうして9月11、12日のストライキはひとまず回避された。
交渉終了後、ロッテの瀬戸山隆三代表が
「近鉄とオリックスの合併は覆らない」
と発言。
古田敦也選手会長は記者会見場を退席する際、瀬戸山代表から握手を求められたが拒否した。
ライブドア vs 楽天 IT戦争勃発

9月15日、日本最大手のインターネットショッピングモール「楽天市場」を運営する楽天が、プロ野球参入を検討していることを表明。
本拠地は同社の創業者で社長の三木谷浩史の出身地である兵庫県のヤフーBBスタジアム。
そして近鉄・オリックスの合併後、保有枠から漏れた選手らを中心に結成するというプランを発表した。
9月16日、ライブドアは
・日本プロ野球機構に正式に参加申請を行ったこと
・申請の受理から30日以内に審査結果が通知されること
・球団運営会社「ライブドアベースボール」を設立したこと
・新規チームの本拠地を宮城県の宮城球場としたこと
を発表した。
ストライキ

9月16日、17日、改めて球団側と選手会が交渉。
選手会は、近鉄オリックスの合併の1年間凍結、あるいはライブドアや楽天の新加盟などを求めた。
球団側は
「合併凍結は行わない」
「加盟申請の審査には時間がかかる」
一切主張を変えず17日17時までだった回答期限を2時間延長しても合意に至らなかった。、
そして20時30分、交渉は決裂。
21時10分、選手会、球団側双方が会見を行った。
球団側として、阪神、中日、ヤクルト、広島、横浜(巨人を除くセリーグ5球団)とパリーグの日本ハム、ダイエーは、近鉄とオリックスの合併凍結は無理でも、来季からの新規参入は認めようとしたが、巨人、オリックス、西武、ロッテは
「時間がない」
と認めようとしなかった。
選手会側は18日、19日のストライキ決行を発表した。
その夜、古田敦也選手会長は、各局の深夜ニュース番組に生出演した。
9月18、19日、70年のプロ野球の歴史の中で初めてのストライキが行われた。
多くのマスコミは選手会に好意的で、毎日新聞は
「ストライキはNPBの怠慢である」
と多くのファンの気持ちを代弁した。
しかし渡邉恒雄が主筆を務める読売新聞とその系列のマスコミは、選手会によるストライキに批判的だった。
夕刊フジは、
「選手会は無能の集まり」
選手会や古田敦也選手会長を痛烈に批判した
置き去りになったファン

9月22日、楽天の三木谷浩史社長は、阪神とオリックス・近鉄の合併により誕生する新球団と競合することからヤフーBBスタジアムを本拠地とすることを断念し、ライブドアが本拠地として申請している宮城球場を本拠地として「楽天野球団」として加盟申請を行うことを表明。
同日、3度目の交渉で選手会と球団側の合意に達した。
・日本プロ野球機構は、2005年シーズンにセ・パ12チームに戻すことを視野に入れて新規参加チームの参加審査を行う
・新規参加チームの参加について審査小委員会を設け1ヶ月程度をメドに答申に諮る
・小委員会の審査過程を明らかにする
・加盟料(新規60億円、譲渡30億円)を廃止し代って「預かり保証金制度」
(総額30億円。
1億円は加盟手数料。
4億円は野球振興基金への寄付。
25億円は10年間、球団を保有した場合、返還される)
を取り入れる。
・2005年度に新規参加が認められた場合、日本プロ野球機構は、それが円滑に実施できるよう協力する
・新規参加チームのドラフトへの参加を認める
・日本プロ野球機構と選手会との間で「プロ野球構造改革協議会」を新設する。
こうして一連の球界再編問題に一応の終結宣言が出された。
12球団2リーグ制が存続に多くのファンは喜んだが、合併は中止されず近鉄とオリックスのファンには失望感があった。
オリックスバファローズ

9月24日、合併後の球団名は「オリックス・バファローズ」、メイン本拠地を大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)、神戸総合運動公園野球場(当時は「Yahoo!BBスタジアム」、2005年より「スカイマークスタジアム」、現在は「ほっともっとフィールド神戸」)を準本拠地として使用し、全ホームゲームをほぼ半数ずつ割り当てることが発表された。
10月12日、新監督には仰木彬が就任。
3年ぶり、69歳での復帰だった。
東北楽天ゴールデンイーグルス

10月6日、楽天、ライブドアに対する第1回公開審査会が開かれた。
両社に本拠地となる宮城球場の改修、監督・フロント体制、経営面の資金調達などについて質疑応答が交わされた。
宮城球場は老朽化していたためプロ野球チームの本拠地として使用するためには大規模な改修が必要だった。
楽天は
「段階的に増改築を施し、2005年開幕時には23,000人収容で暫定オープンし、将来的には3万人規模に拡大させる」、
ライブドアは
「2005年のシーズン途中を目途に改修工事を完了させ3万人収容でオープンさせる」
と提案した。
改修工事費用について、楽天は32億円程度、ライブドアは20~30億円程度を要するとした。
10月13日、楽天は新規参入が認められた場合、田尾安志を監督とすると発表。
10月14日、楽天、ライブドアに対する第2回公開審査会が開かれた。
その中でアダルトサイトの扱いに関して質問があった。
楽天は
「本人確認はクレジットカードなど年齢確認が明確なものを使って厳正にやっており、青少年には利用できないようにしている」
ライブドアは
「サイトは道路や広場を提供しているので何をしているかは監視できない」
と説明した。
10月22日、楽天はチーム名を「東北楽天ゴールデンイーグルス」に決定。
「イヌワシ(ゴールデンイーグル)は東北6県に生息し、優雅に飛んで、狙った獲物を外さない。
いい名前だと思う。
長いので『楽天イーグルス』と呼んでもらいたい」
(三木谷浩史)
10月26日、ライブドアはインターネットで行ったアンケート結果、チーム名を「仙台ライブドアフェニックス」にすると発表。
11月2日、実行委員会は、「東北楽天ゴールデンイーグルス」と「仙台ライブドアフェニックス」から出されたプロ野球新規加盟申請の最終審査を行い、企業の経営体質や将来へ向けた経営の安定性に勝る楽天の新規参入を認めたと発表した。
ライブドアは、楽天よりも1ヶ月近く早く東北地方で球団を設立することを表明し、黒字経営に自信を示し、地元の8割も楽天よりライブドアを支持していたが負けてしまった。
こうして新しいプロ野球チームが宮城県仙台市に誕生した。
東北楽天ゴールデンイーグルス、通称:楽天イーグルス、あるいは東北楽天。
本拠地は宮城県仙台市にある楽天生命パーク宮城(楽天生命パーク)である。

11月8日、オリックスバファローズと楽天で選手分配ドラフトが行われた。
まず楽天が、プロテクト枠(オリックスバファローズが旧オリックス、旧近鉄から選抜した選手25人)、外国人選手、FAを行使した選手、入団2年目までの選手を除く全選手の中から20人を選抜。
次に入団2年目までの選手を加えた全選手の中からオリックスバファローズが20人を選抜。
次に楽天が20人選抜。
指名されずに最後に残った選手はオリックスバファローズに配分され、40選手の楽天入りが決定した。
プロテクト枠入りを打診されて拒否する近鉄選手もいた。
オリックスバファローズは基本的にその意志を尊重したが、近鉄のエースだった岩隈久志だけは手放そうとしなかった。
11月17日、楽天イーグルスが初のドラフト会議に参加し、大学、社会人から6選手を指名した。
また山﨑武司、関川浩一、飯田哲也など自由契約となった選手や他球団から無償トレードで獲得。
オリックスバファローズに入団拒否していた岩隈久志も金銭トレードで獲得。

2005年2月1日、楽天イーグルスが沖縄県久米島での春季キャンプで本格始動。
2月26日、球団として初のオープン戦となる読売ジャイアンツ戦に4対3で勝利。
オープン戦の戦績は16試合7勝8敗1分。
3月26日、公式戦開幕。
千葉ロッテマリーンズと対戦。
先発の岩隈久志が完投し3対1で勝利。
翌3月27日、ロッテ第2戦は0対26の大差で敗北。
その後4連敗。
4月1日、本拠地初戦となる西武ライオンズ戦、初回先頭打者;礒部公一がバックスクリーン直撃の球団初ホームランを放つなど16対5で2勝目。
しかしその後、11連敗。
5月、この年から始まったセ・パ交流戦は11勝25敗で最下位。
7月、10勝9敗1分けで球団初の月間勝ち越し。
8月、シーズン2度目の11連敗。
そして最下位(8月中に最下位が決まったのは53年ぶり)とパリーグ全球団への負け越しが決まった。
9月25日、最終戦終了後、田尾監督の解任が発表された。
38勝97敗1分。
勝率.281。
大差で負ける試合が多く、5位の日本ハムとは25ゲーム差、1位のソフトバンクとは51.5ゲーム差。
他球団との戦力差は明らかだった。
新監督は野村克也だった。
