【高校野球】40年前の選抜!プロ野球の名選手が出場していた歴史的大会!
今から40年前、1985年の春に開催された「第57回選抜高等学校野球大会」には、後のプロ野球選手が大勢出場していました。桑田真澄、清原和博、佐々木主浩、長谷川滋利、奈良原浩、葛西稔、渡辺智男・・・。他にはどんな選手がいたのでしょうか?40年前の選抜に出場していた、後のプロ野球選手を振り返ります。
【清原和博】ホームラン王0回なのに通算ホームラン数歴代5位!安定して打ち続けた無冠の帝王
現役時代の華々しい活躍とは裏腹に、意外にも、ホームラン・打点・打率のタイトルは一度も獲得することのなかった清原和博選手。しかし、通算ホームラン数は歴代5位で、これは安定してホームランを打ち続けた証とも言えるでしょう。そんな "無冠の帝王" の記録を振り返ります。
【清原和博】縦縞を横縞に!でも阪神ではなく巨人を選んだFA裏話
1996年のオフシーズン、当時、西武ライオンズの選手だった清原和博がFAを宣言して、その移籍先が話題となりました。候補は2球団で、阪神タイガースか読売ジャイアンツ。最終的には巨人を選びますが、なぜドラフト会議で切られた因縁の球団を選んだのでしょうか。当時のことを、清原和博が松村邦洋に語ります。
【川藤幸三】清原和博が最も尊敬するプロ野球選手!? 松村邦洋のモノマネと共に振り返る!
元阪神タイガースの川藤幸三といえば、記録よりも記憶に残る選手の代表格。阪神OBの中では知名度はトップクラスで、現在は阪神OB会長を務めています。あの清原和博がルーキー時代、最も尊敬する選手だったとか。松村邦洋のモノマネとともに、川藤の現役時代を振り返ります。
【高校野球】早実→池田→PL学園・・・甲子園の主役が変わっていった1980年代
1980年夏に準優勝した早実。その後、優勝候補となるも、1982年夏に早実に大勝したのが池田。その後、夏春連覇を果たすも、1983年夏に池田を圧倒したのがPL学園。この時期、甲子園の主役が次々と変わっていったのを覚えている方も多いことでしょう。その変遷を振り返ります。
【高校野球】KKコンビと一緒に甲子園出場!その後プロ入りした選手は!?
KKコンビが甲子園で活躍した1983〜1985年。桑田、清原が注目される一方、彼らとともに甲子園に出場し、その後プロ入りを果たした選手がいます。それも、KKコンビの先輩から同期まで、高校卒業後すぐプロ入りした選手から、大学、社会人を経験した選手まで様々。そんなKKコンビにゆかりのある選手たちを振り返ります。
【高校野球】PL学園のKKコンビを撃破!甲子園で勝利した3人の投手たち
KKコンビがいた頃のPL学園は当時最強のチームで、清原と桑田は1年生の夏から3年間フルに甲子園に出場しました。戦績は最強チームらしく、優勝2回、準優勝2回、四強1回。しかし逆に言うと、PL学園を破った高校が3校もあったということになります。今回は、その3校と各々のエース投手を中心に振り返ります。
昭和の時代に活躍した元プロ野球選手が、YouTubeで語る高校野球の思い出やドラフト会議の裏側、現役当時の秘話を披露。野球解説のみならず、ゲストを招いてのトークやコラボ動画など、プロ野球に興味がない方も楽しめる、YouTubeが面白い元プロ野球選手のまとめ。
HERO NOMO 野茂英雄のトルネードは日米の壁をブッ飛ばした!
自らの信念に従って、タブーだった大リーグに挑み、いきなり大ブレイク。アメリカでTornado( トルネード) を巻き起し、日本人が世界で通用することを証明した。
1989年バブル絶頂~2004年球界再編問題「たかが選手が」球団vs選手会 ライブドアvs楽天 旧vs新 置き去りになった近鉄ファン
近鉄とオリックスの合併、球界再編問題、ストライキ、IT企業のプロ野球参入合戦、近鉄バッファローズ消滅、オリックスバッファローズ、楽天イーグルス誕生 夢と感動がいっぱいのプロ野球の裏側では、それを支えるドロドロの利権と古い体質を持つ巨大な権力があった。
芸能人や歌手、スポーツ選手など、長い活動期間を経て昔と今のイメージが違う人って意外と多いですよね。この記事では、その中から何人かピックアップしてご紹介したいと思います。
金本知憲 NeverGiveUp! 七転びアニキ!! 骨が折れても黙って試合に
壮絶!不屈!!鉄人!!! 超人!!!! 1492試合フルイニング出場(世界記録) 1766試 連続試合出場(世界記録) 1002打席連続無併殺打(日本記録) 475本塁打(歴代10位)
猛虎旋風、広岡西武、KKドラフト…85年のプロ野球を特集した「よみがえる1980年代のプロ野球Part.1」が発売!
ベースボール・マガジン社より、80年代のプロ野球を特集した書籍「よみがえる1980年代のプロ野球」の第一弾となる「Part.1 [1985年編] (週刊ベースボール別冊空風号)」が現在好評発売中です。
桑田真澄 桑田ロード、すなわち野球道 小さな体をした真のエース
本来、「すみませんでした」という謝罪は「澄みませんでした」 ということ。そういう意味で桑田真澄はほんとうに澄んだ男なのかもしれない。数字や勝ち負けなどの結果や巨額の年俸がクローズアップされやすいプロ野球において、「結果はクソ」とプロセス主義を貫き、「試練や困難は自分を磨くための砥石」「努力している自分が好き 」と自分を磨くこと「人間力」を上げることを人生の価値とした。そしてライバル清原和博同様、スケールの大きな、そして好対照な野球道を歩んだ。
清原和博 衝撃! 清原逮捕!! でも求ム!!! 人生の1発逆転ホームランを!!!!
清原は何度も絶体絶命のピンチを1本の大きなホームランで逆転させた。みんなそれをみて思った。「人生捨てたもんじゃない!」「あきらめたなアカン!」もう1度見せて欲しい。スカッとする1発を!!
清原和博 オリックス時代 想い続けた「あと1本、ホームランが打ちたい」そして引退!!
清原和博の最後の戦い。大手術後、パワーを失ってしまった肉体。でも想い続けた「あと1本、ホームランが打ちたい」引退試合で、王貞治から贈られた花束と言葉!
ドラフト会議で裏切られたと感じた巨人への移籍。 合理的でクールな関東の最強球団を関西系の番長が盛り上げた。
甲子園で怪物と呼ばれた男は、プロに入ってもやはり怪物だった。 その規格外のスケールでグラウンド内外で事件を巻き起こしながら、西武ライオンズの黄金期、8回のリーグ優勝、6回の日本一に貢献した。
清原和博は、小学3年生で入ったリトルリーグから甲子園まで、野球の記録を破り続けた。
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