川藤が野球を始めたきっかけ
球界の "春団治" こと川藤幸三は、1949年7月5日生まれの福井県出身。
本格的に野球を始めたきっかけは、なんとあの『スクール・ウォーズ』のモデルとなった同郷の山口良治氏だそうです。伏見工業をラグビー日本一に導いた監督で、元ラグビー日本代表だった山口氏がなぜ?
「川藤 & 清原 対談」の動画で、清原が以下のように説明しています。
川藤の生涯成績
その後、福井県立若狭高等学校へ進学し、1967年、3年生の時に春夏連続で甲子園に出場。その年のドラフト会議で9位に指名され、1968年に阪神タイガースに入団します。
松村によれば、川藤が出場した夏の甲子園の開会式は1967年8月11日で、その日は正に松村が生まれた日とのこと。因みに、そのわずか1週間後の1967年8月18日に清原が生まれています。こじつけのようですが、松村はこんなところにも川藤との縁を感じているようです。
阪神での19年間の通算成績は、以下の通り。記録についてはよくからかわれる川藤ですが、実は、1968年のドラフト1〜10位指名された選手の中では、最も良い成績を残しています。
試合 | 打席 | 打数 | 安打 | 得点 | 打点 |
---|---|---|---|---|---|
771 | 994 | 895 | 211 | 101 | 108 |
本塁打 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 |
16 | 29 | 30 | 6 | 50 | 13 |
三振 | 併殺打 | 長打率 | 打率 | 実働 | |
159 | 23 | .327 | .236 | 19年 |
ルーキー清原が尊敬する野球選手
清原は、川藤と一緒のチームになったことはありませんが、今では、川藤が最も可愛がっているプロ野球OBの一人です。
川藤が現役を引退した1986年は、清原が西武ライオンズに入団したルーキーの年。二人が現役選手として重なったのはこの1年間だけで、それゆえに、この年はちょっとしたエピソードがありました。
まず、当時注目のルーキー清原が "尊敬する野球選手" として名前を書いたのが、王でもなく、長嶋でもなく、落合でもなく、なんと川藤。「清原 & 松村 対談」の動画で、そのことに言及しています。
調子に乗って清原和博の尊敬する野球選手のモノマネをやったら・・・【コラボ清ちゃんスポーツ】 - YouTube
引退の年にオールスター初出場
そして、その年のオールスターゲーム。なんと川藤は、前年優勝した阪神の吉田監督が全セ(オール・セントラル)の監督だったおかげで、監督推薦でオールスターに出場することになりました。プロ19年目にして初めての出場。奇しくも、ルーキーの清原と並ぶ初出場です。
川藤は、全試合に代打で登場。第2戦では、近鉄の小野和義の初球をミートし、左中間を真っ二つに破る会心の一撃を放ちます。一塁コーチに立つ巨人の王監督が手を回し、川藤は二塁を狙いますが、足があまりに遅く余裕でタッチアウト。敵・味方・審判問わず、その場にいる皆が大爆笑で、オールスターを大いに盛り上げました。最後は、2塁を守る大石からボールを渡される微笑ましい光景も。因みに、同じ試合で清原はオールスター第1号ホームランを放ち、MVPに輝いています。
通算ヒット数はイチローの一年分!?
川藤の通算ヒット数は、19年間で211本。
一方、イチローが1994年に記録した年間ヒット数が210本。
ほぼ同じです。
川藤には、この記録をネタにしたとっておきのジョークがあります。
【昭和の虎模様】川藤幸三氏がカネ要らん?そんなアホな。あいつは役者やで/阪神タイガース/デイリースポーツ online
「清原 & 松村 対談」でも、通算ヒット数の話が出てきます。しかも、松村は川藤のモノマネで、
「マートンなんてシャレにならんでー。ワシの生涯ヒット数を8月の終わりに打ったらあかんちゅうねん。」
と、かつて阪神にいたマット・マートン(2010年に記録したシーズン214安打)の方をネタにしています。マートンとも交流のあった川藤ですが、この発言の真偽は不明です。
しかし、驚くべきことは、記録は平凡ながら、19年間も阪神タイガースの選手であり続けたこと。しかも、優勝した1985年には常にベンチ入り、引退した1986年にはオールスターにも出場し、最後は華々しい活躍を見せました。それだけ、阪神というチームにとって、記録以上に川藤の存在が大きかったということかもしれません。
通算代打サヨナラ打6本!
記録の話をするとネタになってしまうのが川藤ですが、しかし、川藤のピカイチの勝負強さを証明する脅威的な記録もあります。それが、通算代打サヨナラ打6本!
「川藤 & 清原 対談」の動画によれば、いまだに破られていないセ・リーグ記録だとか。しかも、打った相手投手が、巨人の新浦壽夫、角盈男、広島の大野豊、川口和久、大洋の斉藤明夫、遠藤一彦と各チームのエース級ばかり。中でも、角に対しては通算打率.370と相性の良さを見せていました。
川藤は「こいつ打たんかったらクビや。だから、まぐれやっちゅうねん」と謙遜気味ですが、この記録を見れば、清原が尊敬する選手として川藤を挙げるのも頷けるでしょう。
38年ぶりの日本一に感激!
阪神タイガースは、2023年、川藤が現役だった1985年以来、38年ぶりの日本一に輝きました。OB会長の川藤は、OB会総会で喜びの気持ちを次のように語っています。
【阪神】川藤幸三OB会長「岡田、ありがとう。いい酒を」38年ぶりの日本一の喜び分かち合う - プロ野球 : 日刊スポーツ
今後の川藤幸三からも目が離せません。もちろん、松村邦洋のモノマネにも注目です。