バラエティに関する記事


コロッケの五木ロボットで知ることになってしまった五木ひろしの名曲「契り」

コロッケの五木ロボットで知ることになってしまった五木ひろしの名曲「契り」

「契り」をはじめて聴いたのはコロッケの「五木ロボット」のときでした。五木ロボットの凄さに圧倒された私、しかしながらしばらくして「契り」を聴いてみたいと感じたものでした。聴いてみるとさすがに名曲です。きっかけをくれたコロッケの五木ロボットにも感謝です。


90年代、関西で人気があった深夜のお色気バラエティ番組『おとなのえほん』

90年代、関西で人気があった深夜のお色気バラエティ番組『おとなのえほん』

1980年代~2009年まで続いたサンテレビの土曜深夜枠のバラエティ番組の一つで、1992年10月~1996年9月に放送されていた『おとなのえほん』。規制の緩かった時代からか、この枠の番組の中でも、特に露出度、お色気度が高い番組でした。


電波少年で「朋友(パンヤオ)」としてアフリカ・ヨーロッパ大陸縦断のヒッチハイクに挑戦したチューヤンのいま。

電波少年で「朋友(パンヤオ)」としてアフリカ・ヨーロッパ大陸縦断のヒッチハイクに挑戦したチューヤンのいま。

チューヤンって憶えていますか?電波少年で「朋友(パンヤオ)」というコンビで、アフリカ・ヨーロッパ縦断ヒッチハイクをやってのけたタレントさん。猿岩石、ドロンズに続く第三弾でした。そんなチューヤンはいまどうしているのでしょうか?


「ホンジャマカ」が元々は11人体制、そして恵さんも昔はデブキャラでした。

「ホンジャマカ」が元々は11人体制、そして恵さんも昔はデブキャラでした。

ホンジャマカといえば東京フレンドパークでのエアホッケーが人気でした。ただ、そのあとはあまりホンジャマカとして活動することがないような気がします。元々は11人体制、そして恵さんもデブキャラだったの憶えていますか。


『象印クイズ ヒントでピント』で「16分割の鬼」と称えられた浅井慎平の本職は写真家。

『象印クイズ ヒントでピント』で「16分割の鬼」と称えられた浅井慎平の本職は写真家。

『象印クイズ ヒントでピント』でとにかく頼れる男性軍のキャプテンだった写真家・浅井慎平。「16分割の鬼」と言われていましたが、なんだか渋くてダンディーな人だなと思ってみていました。近年では「サンデーモーニング」でのコメンテーターとしても有名。そんな浅井慎平さんについて。


クイズダービーで飛び交った「はらたいらに3000点!」「篠沢教授に全部!!」「3択の女王竹下景子」などの名シーン。

クイズダービーで飛び交った「はらたいらに3000点!」「篠沢教授に全部!!」「3択の女王竹下景子」などの名シーン。

「クイズダービー」でおなじみだった名シーンは「はらたいらに3000点!」「3択の女王竹下景子」「篠沢教授に全部!」「倍率ドン!さらに倍!」。出場者がどの解答者に賭けるか、まさに手に汗握る瞬間でした。大橋巨泉の番組センスが光った「クイズダービー」について。


日曜の晩御飯時は「びっくり日本新記録」でしたね!大人になったら挑戦したいと思っていました。

日曜の晩御飯時は「びっくり日本新記録」でしたね!大人になったら挑戦したいと思っていました。

日曜の晩御飯時といったら「びっくり日本新記録(19:00~19:30)」が定番でした。「次の記録を作るのは、あなたかも知れない。」の言葉に、いつか自分も挑戦したいと思ってました。


料理バラエティショーのジャンルを確立した「料理天国」!土曜日の晩御飯を食べながら観ていたご家庭も多いですね♪

料理バラエティショーのジャンルを確立した「料理天国」!土曜日の晩御飯を食べながら観ていたご家庭も多いですね♪

毎週土曜日の18時「料理番組」を観ていた方は多いでしょう。ちょうど夕食の準備が出来そうな時間に「料理番組」が流れていて、とても美味しそうな料理についつい食欲が湧いてきたのではなかったでしょうか。今となっては龍虎さんの「おいしいですね」ってコメントに食べてるだけじゃん!なんてツッコミもしたくなる、そんな料理バラエティショーの先駆け「料理天国」を振り返ります。


電、いや雷波少年!羽田実加の大車輪、スギちゃんゴミ拾い、ロシナンテ、サムシングエルスが人気に!日曜の朝番組だった!

電、いや雷波少年!羽田実加の大車輪、スギちゃんゴミ拾い、ロシナンテ、サムシングエルスが人気に!日曜の朝番組だった!

電波少年の派生番組だった「雷波少年」。1998年に放送を開始。サムシングエルスの「ラストチャンス」をヒットさせ、現在はピン芸人のスギちゃんも活躍したバラエティ番組だった。電波少年同様、むちゃぶりが目立った名コーナーをまとめた!


【なすび】伝説の「電波少年的懸賞生活」で彼がゲットしたものは?その過酷な挑戦を振り返る。

【なすび】伝説の「電波少年的懸賞生活」で彼がゲットしたものは?その過酷な挑戦を振り返る。

「人は懸賞だけで食べていくことが出来るか?」テーマに比べて過酷さが際立っていた懸賞生活企画。当時なすびさんが獲得出来た戦利品を今一度確認してみよう。猿岩石のヒッチハイク企画と比べても、決して引けを取らない過酷さだったことがうかがい知れる。


【金曜10時!うわさのチャンネル!!】和田アキ子とタモリが初共演!ザ・デストロイヤー、せんだみつおらの掛け合いも大人気でした‼

【金曜10時!うわさのチャンネル!!】和田アキ子とタモリが初共演!ザ・デストロイヤー、せんだみつおらの掛け合いも大人気でした‼

「金曜10時!うわさのチャンネル!!」。【和田アキ子=姉御】のキャラクターが定着するきっかけとなったコーナー「アコのゴッド姉ちゃん」では和田アキ子、せんだみつお、ザ・デストロイヤーの掛合いが大人気に。和田アキ子とタモリの初共演もこの番組でしたね、さらには笑福亭鶴瓶のやっちまった事件も。


「からくりTV!」の人気コーナー「からくりみんなの!かえうた」で一世風靡した酒井素樹さん。

「からくりTV!」の人気コーナー「からくりみんなの!かえうた」で一世風靡した酒井素樹さん。

明石家さんま司会のお笑いクイズ・バラエティ番組として人気を博した「さんまのからくりTV」。なかでも秀逸だった「からくりみんなの!かえうた」。登場者が自身の悲哀を有名な歌で替え歌するコーナーはお茶の間に爆笑をもたらしました。このコーナーで突出した人気者となったのが酒井素樹さん。自分の境遇を見事な替え歌に変換して視聴者を爆笑に誘った替え歌をご紹介。


長寿番組「タモリ倶楽部」の名物コーナー「空耳アワー」!「第1回空耳アワード」から「空耳アワード2015」までを振り返る。

長寿番組「タモリ倶楽部」の名物コーナー「空耳アワー」!「第1回空耳アワード」から「空耳アワード2015」までを振り返る。

深夜のお笑いバラエティ「タモリ倶楽部」のなかでも「空耳アワー」はソラミミスト安斎肇さんのほのぼのさと、投稿作品の多くがへヴィ・メタルだったりするアンバランスさも印象的で、面白く観ることが出来ます。23年も続く名物コーナー「空耳アワー」を、作品動画集と歴代アワード作品(元歌)で振り返っていきましょう。


【料理の鉄人】料理番組の金字塔!道場六三郎の技にシビレ、鹿賀丈史のパフォーマンスや岸朝子のコメントが番組を彩りました。

【料理の鉄人】料理番組の金字塔!道場六三郎の技にシビレ、鹿賀丈史のパフォーマンスや岸朝子のコメントが番組を彩りました。

1990年代に放送された伝説の料理番組「料理の鉄人」。和洋中の鉄人が数多くの挑戦者と制限時間内に料理で戦う番組は、日本のみならず海外でも高く評価されました。人気の鉄人だった道場六三郎や陳建一が生み出す料理や、一方の神田川俊郎や周富徳などの実力者たちが挑戦者として腕を振るい創り上げる料理、美食アカデミー主宰、鹿賀丈史の「私の記憶が確かならば…」や審査員の岸朝子「たいへんおいしゅうございました」がお茶の間を大いに賑わせました。


いまをときめく有吉弘行さん、若き日に電波少年で猿岩石としてブレイクした時代も魅力的でした!

いまをときめく有吉弘行さん、若き日に電波少年で猿岩石としてブレイクした時代も魅力的でした!

「猿岩石」一発屋芸人のポジションから華麗に復活し、いまや押しも押されぬ一流芸人として大人気の有吉弘行さん。若き日の電波少年での活躍も大好きでした。そんな有吉弘行さんの猿岩石時代のブレイクと再ブレイクについて、振り返りましょう。


【プロ野球珍プレー職人】元中日の宇野勝といえば伝説のヘディング事件!みのもんたのナレーションもお約束でしたね!!

【プロ野球珍プレー職人】元中日の宇野勝といえば伝説のヘディング事件!みのもんたのナレーションもお約束でしたね!!

「プロ野球珍プレー・好プレー集」で何度もお茶の間を釘付けにした宇野勝。彼は遊撃手(ショート)として初めて40本塁打を記録した大打者であり、抜群の守備センスを持った類い希なる名遊撃手。にもかかわらず、ついにあだ名はヘディング男。「宇野ヘディング事件」きっかけで「プロ野球珍プレー・好プレー集」番組が生まれてしまったことが、宇野勝選手の悲劇だったのかもしれません。


【タモリ倶楽部】オープニングで流れ続ける「お尻」について、さらにはお尻の持ち主まで。

【タモリ倶楽部】オープニングで流れ続ける「お尻」について、さらにはお尻の持ち主まで。

34年も続く深夜バラエティ番組「タモリ倶楽部」。私たちの印象に残るのは空耳アワーとお尻オープニング。そんなお尻オープニング、様々に試行錯誤が繰り広げられているようなのです。「お尻」にこだわり続けるタモリ倶楽部、その試行錯誤の歴史を振り返りましょう。そして「お尻」の持ち主の正体まで確認します。


私たちの記憶に残る名司会者、逸見政孝さん。真面目さと一生懸命さで1980~90年代のお茶の間から愛されたアナウンサーでした。

私たちの記憶に残る名司会者、逸見政孝さん。真面目さと一生懸命さで1980~90年代のお茶の間から愛されたアナウンサーでした。

逸見政孝さんといえば、フジテレビのアナウンサー時代とフリーアナウンサー時代で2つの顔がありました。ニュース番組やキャスターとして見せた報道現場の堅い顔、その真面目さや一生懸命さがバラエティ受けしたフリーアナウンサー時代。とくに「いっつみい」で人気だったフリーアナウンサー時代、お茶の間にはいつも逸見政孝さんの真面目な笑顔が映っていました。そんな逸見政孝さんの早すぎる死は多くの方に悼まれました。1980年~90年代にかけて、お茶の間でもっともお馴染みの顔だったといっても過言ではない、そんな逸見さんについて振り返ってみましょう。


SMAPの人気に火をつけたバラエティ番組!『夢がMORI MORI』

SMAPの人気に火をつけたバラエティ番組!『夢がMORI MORI』

1992年から1995年まで3年半という長きに渡って高視聴率を獲得して放送されていたフジテレビ系のバラエティ番組『夢がMORI MORI』。森脇健児と森口博子が司会を務め、コントやスポーツ、クイズなどバラエティに富んだコーナーで、当時まだ売り出し中だったSMAPの人気を爆発的に飛躍させた。特に「スーパーキックベース」や「音松くん」のコーナーが大人気だった。


【「できるかな」の怪】私はゴン太くんがしゃべってるのかと思ってました。【あのナレーションは「天の声」】

【「できるかな」の怪】私はゴン太くんがしゃべってるのかと思ってました。【あのナレーションは「天の声」】

「できるかな」みんな見てましたよね。ノッポさんとゴン太くんが楽しく工作していく番組。牛乳パックや輪ゴムなど、日常生活のなかで出てくる様々なものがおもちゃに大変身。でも何か「グホグホ」なんてノイズが気になってたな…、って【えっ】あれがゴン太くんの声だったの?じゃああのしゃべりがノッポさん?えっ、ノッポさんはしゃべってない??じゃあ誰がしゃべってたんだ???ってことで、「できるかな」最大のミステリー、「誰がしゃべってたの問題」に切り込みます。