2020年4月、ネットで大注目を集める!
このツイート、ネット上で大注目を集めています!
2020年現在、全世界がともに戦っているコロナウイルス。極力自宅での自粛が要請されるなか、この人の発言には説得力がありすぎです!!
電波少年的懸賞生活
まずはじめに。
現在ではこんなお笑い企画はたぶん許されないと思います。
それくらいガチでしんどそうな企画、見る側はハラハラドキドキしましたけどね。
当時、電波少年の高視聴率に大きく貢献した企画でした。
企画背景は、当時の電波少年で大人気だった「ヒッチハイク」企画で、『電波少年=旅番組』となっていたことから逆転の発想で「内なる旅」としての「懸賞生活」が持ち上がったそうです。。。
とにかく懸賞付きの雑誌に片っ端から応募!
素っ裸でスタート、100万円相当当てるまで終わらない企画
『進め!電波少年』⇒『進ぬ!電波少年』リニューアルの際に持ち上がった企画
若手芸人の中からくじ引きで選ばれたという無名若手芸人「なすび」さん。
目的も知らされぬまま目隠しと耳栓をされてワンルームの部屋に連れて行かれ、衣服を全て没収されました。
「人は懸賞だけで生活できるのか?」をテーマにということで、懸賞雑誌とハガキのみを与えられ、ここで初めて「100万円に到達するまで懸賞だけで生活する」という企画内容を知らされ、あの過酷な懸賞生活が始まったのです。
この企画の間はほぼ全裸で過ごしていたそうです。現代社会において想像もつかない状況でした。歯も磨けず、時には動物の餌を食べて飢えを凌いでいたことも…。
裸のなすびさんを見るのに、視聴者も慣れてしまいました。
企画スタートから約1年後、目標金額の100万円を達成。
事前にゴールしたら何をしたいかと聞かれており「韓国で焼肉を食べたい」と発言していたため、ご褒美として連れて行かれます。
…まさかここから新たな戦いが始まることになるとは、このときは知る由もなかったのですが…それについては後述。
現代であればインターネットで簡単に一括応募なども出来ますが、当時はひたすらハガキを書き続ける必要がありました。
腱鞘炎になるでしょ、なんて思った視聴者はたくさんいたに違いありません。
90年代の日テレバラエティを復活させた男!土屋敏男 - Middle Edge(ミドルエッジ)
更に韓国で2度目の挑戦、こちらも約100万円相当の金額当選でゴール
舞台は韓国へ、でもやっぱり同じ境遇・・・
Amazon.co.jp: なすびの電波少年的懸賞生活のすすめ 其の壱 [VHS]: なすび: ビデオ
前回の戦いの報酬として連れて行かれたはずの韓国でしたが、なんとそのまま「韓国での懸賞生活をやってくれ」と言われます。
しかし、韓国での目標額は日本行きの航空チケット片道分ということで、比較的スムーズに3ヶ月程度で達成、無事ゴール!…と思いきや。
今回の企画は開始当初、エコノミークラス分がゴールと定められていたのですが、なすびさんには「飛行機代」としか伝えていなかったことを利用され、ビジネスクラス→ファーストクラスへと徐々にゴール金額が上昇していきます。ファーストクラス分達成(パリ経由なので実質100万円相当)後にはようやく連れ出され、日本に無事生還しました。
当時はケータイとかもないですからね。
孤独との戦い、これはある意味でヒッチハイクよりも過酷だったかもしれませんよね。
基本「全裸」でした・・・
まあ、服を着たければ懸賞で当てるしかなかったわけですからね~
基本、裸のなすびさん
Amazon.co.jp: なすびの電波少年的懸賞生活のすすめ 完結篇 [VHS]: なすび: ビデオ
カメラが二台設置され、24時間全裸の状態を監視されていました。放送時はナスのマークで局部が隠されていましたね。
この企画で全裸生活に慣れてしまったというなすびさん。懸賞で服が当たっても脱いでしまい、企画終了まで全裸で生活していました。
ゴール後にプロデューサーから返された服も慣れないからとすぐに脱いでしまいました。
もはや裸族のような生活スタイルになってしまっていたようです(笑)。
実はバカ殿ポーズに「あい~ん」の擬音をいれた最初の人
なすびの独り言だった「あい~ん」に関する小話
地味に過酷すぎる「懸賞生活」!
200通/日、ハガキを書き続ける生活・・・
なすび本人が当時を振り返る
主だった経過と当選
1998年1月
当選し某アパートに連れて行かれ、素っ裸にされ懸賞生活スタート。
当初は少量の乾パンのみ支給。
1998年2月
当選第一号はファイバーゼリー。
第2号は米5kg。しかし、鍋がなかったためどう調理しようか悩む。
最終的に最初に当てたファイバーゼリーの容器→みかん酒の缶→片手鍋と変化。
ソープセットが手に入り、体を洗えるように。
1998年3月
初の大物系当選として折りたたみ自転車(41800円)。
納豆、鮭の中骨スナック、漬物スナックなど念願のおかずが充実。
アシカのぬいぐるみが当たり、「びーなす」と名付け相棒ができる。付属にタオルがついており重宝。
初の肉、大麦牛ステーキ1kgが当たる。しかし、このときは焼くのに使える物がなかったため、ボールペンに肉を刺し炙るという手段がとられる。
その後、当たったバーベキューコンロの焼き網を使うことでこの点は改善されている。
1998年4月
伊勢海老、掃除機、テレビ(アンテナおよびケーブルがないため映らない)、トマト。
歯磨きセット(3ヶ月ぶりの歯磨きができるようになる)歯を磨きすぎて、出血。
1998年5月
米が枯渇。ドッグフードが2種当たり、約一月それでしのぐ。
高級食器セット。以降はボールペンを箸代わりにせずこれを使い食べ物を食べるように。
新潟産コシヒカリ10kgがついに当選、あまりの嬉しさに号泣。米生活に戻れる。
1998年6月
アイス24カップ、冷蔵庫が無いために一日で完食。
合鴨肉(750g)。
高級海苔が当たり、おにぎりを食すが、調子に乗って炙った海苔が炙りすぎて破れてしまい、伸びた爪が邪魔になる。
ポット、広末涼子ポスターが当選し感激。
コクヨの机といす(9万9800円で、当選品最高金額)。
1998年7月
裁縫セット、喰えない奴と称していたが、中に鋏が入っていたため伸びた爪を切ることに成功しさらにちょんまげスタイルに使うゴムひもも中に入っていた。
備蓄米が一回当たるも以降しばらく食べ物系無し、なすびの部屋がインターネット放送され1600万人がアクセスしインターネット記録を更新する。
なお、このときなすびはドライヤーを当てる。
1998年8月
西瓜、水茄子、ウィダーゼリーと食べ物系が好調。
西瓜のときは、当選したタオルと掃除機を使って西瓜割りをしたが、誤って葉書の山にぶつけたため中止。
クーラーが3日間故障。