電波少年の派生番組 「雷波少年」

タイトルバック 「雷波少年」
雷波的!凄まじい企画の数々~!
ドロンズのドンキホーテ!日本を行く!
電波少年時代に南北アメリカ大陸の縦断ヒッチハイクを敢行したドロンズが、電波少年に登場!
電波少年では、番組の前説を担当していたドロンズ(大島直也、石本武士)に突然カンペが出され、ヒッチハイクを命ぜられた。
旅は1996年10月から1997年大晦日までに及び、ゴールするまでにかかった日数は、猿岩石の倍の1年2カ月であった。
旅から帰国し、しばらく経った彼らの前に、プロデューサーが現れる。
アイマスクをされ、そのまま飛行機に乗せられ、到着した土地はなんと北海道だった。
そして、その地をスタートとして、ロバとの旅を強制させられる。

ロバのロシナンテと旅をするドロンズ
雷波少年系鉄棒少女

逆上がりすらも出来なかった羽田実加(はだ みか)
番組の経過と共に工夫が見られた。
逆上がりの練習では、手にタオルを巻き付けると成功しやすいとアドバイスをもらい、何度もチャレンジした後に成功させた。
また、食事面では番組特製ドリンクが与えられた(基礎代謝分のカロリーを摂取する為)。
そして、目標の大車輪を成功させる為に、中国での猛特訓を行った。
一発勝負の本番では失敗するが、何度も挑戦し、その後に見事成功させた。
柔らかい人柄の羽田実加が、必至になり、大車輪に挑む姿が感動を呼んだ。
雷波少年系ゴミ生活(の旅)

メカドッグの杉山英司(現:スギちゃん)
雷波少年系アジアの歌姫

アジアの歌姫を目指した女優・室井滋
雷波少年系ラストチャンス
電波少年は、猿岩石の「白い雲のように」や爆風スランプの「旅人よ」をヒットさせた。
雷波少年で忘れられない曲と言えば、やはりサムシングエルスの「ラストチャンス」だろう。
まさにラストチャンス(番組が勝手に決めたものだが・・・)だった彼らの企画を振り返る。
歌詞の出だし、「知らぬ間に電車は走りだしてた」は、番組に乗せられてた自分達を歌っているようだった(笑)。しかし、ラストチャンスを見事に掴んだサムシングエルス。
他のコーナーに出演した芸人やタレントにも、等しくチャンスが与えられていた番組だった。
電波少年同様、他人の生活を覗き見るような妙な番組だったが、テーマや編集が秀逸で人気を獲得した。