料理の鉄人
斬新だった「料理バトル番組」
これまでの料理講座ではなく料理人同士の対決を前面に打ち出したのが特徴でした。
架空の団体「美食アカデミー」主宰の鹿賀丈史が美味しい料理を食べるため、美食アカデミー所属の料理人と挑戦者を対決させると言う設定で番組は構成されていました。
「和洋中」の鉄人たち
【料理天国】美味しそうな料理がズラリ!料理バラエティショーのジャンルを確立した「料理天国」!!土曜日の晩御飯、「料理天国」観ながらだったご家庭も多いですよね♪ - Middle Edge(ミドルエッジ)
美食アカデミー主宰、鹿賀丈史の「アレ・キュイジーヌ!」で対決がスタート
私の記憶が確かならば…戦いの場は「キッチン・スタジオ」

まずは挑戦者が対戦する鉄人を指名

アレ・キュイジーヌ!
テーマ食材について
番組を盛り上げるための大事な要素だったテーマ食材。
それゆえ、配慮もなされていたようです。
審査員による試食と判定

「たいへんおいしゅうございました」
次に、計7人の歴代「鉄人」を振り返ってみましょう。
歴代の鉄人「フレンチ」
「甦るがいい、アイアンシェフ!!」
初代:石鍋裕
二代目: 坂井宏行
歴代の鉄人「中華」
「甦るがいい、アイアンシェフ!!」
歴代の鉄人「和」
「甦るがいい、アイアンシェフ!!」
初代:道場六三郎
三代目:森本正治
歴代の鉄人「イタリアン」
「甦るがいい、アイアンシェフ!!」
そして鹿賀丈史
鹿賀丈史本人が困るほど、美食アカデミー主宰はハマリ役でした
「料理の鉄人」開始~終了まで
ミシュランガイドなど料理界の権威へのパロディ要素を持たせた企画としてスタート
元々はフジテレビ局内で「プライムタイム枠で、従来の料理番組(レシピ紹介)のスタイルとは全く異なる新しい料理番組を作ろう」というアイデアが持ち上がり、同時期に田中経一から本番組の企画が持ち込まれたことが番組誕生のきっかけとされています。
当初はキッチンスタジアムのセットや鹿賀丈史の大袈裟な衣装など、ミシュランガイドなど既存の料理界の権威に対するパロディとしての要素を多分に含んだ企画となっていました。
1995年には23時台の放送でありながら20%弱の平均視聴率を稼ぐ人気番組に
1995年には23時台の放送でありながら20%弱の平均視聴率を稼ぎゴールデンタイムの番組にも勝る結果に。
最高視聴率は、1995年3月31日に放送されたスペシャル「完全なる料理の鉄人 香港決戦」で23.2%。
同年にはATP賞グランプリを獲得したほか、海外での放映もスタートしエミー賞にもノミネートされるなど番組は絶頂期を迎えます。
当初「既存の権威のパロディ」として始まったはずの番組が、人気の高まりにつれ番組自体が権威と化し、多くの料理人が出演を希望するようになるという、番組スタッフにとっては皮肉な現象も。
看板鉄人・道場六三郎の降板など
1996年の年明け早々、番組の看板の一人である和の鉄人・道場六三郎が降板。
1999年にスポンサーの日産自動車が一社提供を降板(その後は筆頭提供)し、番組の制作費がシビアとなったことや出演者のスケジュール調整が問題化。
視聴率的には以前と比較し落ち込んではいたものの二桁をキープしてきたが、1999年9月に6年にわたるレギュラー放送の終止符を打つことに。
名勝負:道場六三郎VS周富徳
それぞれの鉄人と挑戦者の間に、多くのドラマが生まれましたね。