日曜の夜は「オールスター家族対抗歌合戦」でした。著名な芸能人家族が出演して、真剣に生うたを披露する番組でした。近年のバラエティと違い、司会と出演者のやり取りも真面目で礼儀正しかったですね。
「1コン2コン・サンコン!!」元祖黒人タレントのオスマン・サンコンさん、最近の活動は?
「笑っていいとも!」レギュラーをはじめ、80~90年代にはバラエティ番組でよく見かけたオスマン・サンコンさん。最近ではバラエティ番組でお馴染みの黒人と言えばボビー・オロゴンですが、サンコンさんは最近どうしているのでしょうか?
「ママとあそぼう!ピンポンパン」懐かしくも憶えている、ピンポンパンのお姉さんたち!!
子どものころの朝番組と言えば「ピンポンパン」と「ポンキッキ」でしたよね。なかでもピンポンパンのピンポンパン体操はみんなやっていたんじゃないでしょうか?
過酷な試練をクリアして大ヒットした「ポケットビスケッツ」はモー娘。やAKBにも通じるものがありました。
90年代、「ポケビ」の愛称で人気を博したポケットビスケッツ。バラエティの企画にしてはあまりにも過酷な条件下で戦っていた彼らが、ここまで支持を得たのはある意味当然だった気がします。そんなポケビの軌跡を振り返ります。
「笑っていいとも!」レギュラー出演の長かったタレントランキングベスト20!!
「いいとも」は誰の番組だった?タモリを除いたレギュラーの面々、ランキング上位20人をまとめました。最終回では奇跡の共演も話題となりましたが、あの人たちってほとんど上位に顔出してませんねW
「ASAYAN・男子ヴォーカリストオーディション」にはEXILEのATSUSHIも参加していたんです!
数々のアーティストたちを輩出した「ASAYAN」。とくにアツかった「男子ヴォーカリストオーディション」にはあのEXILE・ATSUSHIも参加していましたね。今となっては貴重な動画をどうぞ!!
バラエティ番組でおなじみのオネエ系タレントといえば「おすぎとピーコ」!最近はオネエ系タレントも珍しくなくなりました。
昔のお茶の間では「おすぎとピーコ」が出ると「なんだかうるさい人たちだな」なんて思う人が多かったのでは?私もそんな印象でした。やがてオネエ系タレントと呼ばれる人たちがテレビに出るようになり、オネエ系の人はよくしゃべるんだな~なんて理解してきました。でもバラエティ番組での元祖オネエといったらやっぱり「おすピー」ですね。
ドリフ大爆笑やバカ殿、だいじょうぶだぁを彩ったエロいコント集は現代では放送出来ないでしょうね。
昔のコントではけっこうな頻度でエロいシーンが登場したもんです。思春期にもならない子供だった当時は、画面から流れてくる編集の笑い声がよく分からなかったりしたもんですが。いま見るとけっこうすごい、ドリフ大爆笑やバカ殿コントを集めます。「志村けんや加藤茶はいい思いしてたんだなあ」なんて目線で見てしまうオッサン世代になった自分を再認識させられますよ。
バラエティに欠かせなかった田代まさしが輝いていた90年代までを追ってみよう。
田代まさしと聞いてアナタはどの時代を思い浮かべますか。私は志村けんと一緒にお笑い番組に出ていたころが印象深いです。2000年以降は薬物との関係で染まってしまった彼ですが、90年代までの軽妙なノリをいつかまた見てみたいものです。
「桑マン」こと桑野信義はお笑いタレントとミュージシャンの二刀流!!
桑マンの愛称で親しまれていた桑野信義。鈴木雅之率いるシャネルズからラッツ&スターのトランぺッターであり、志村けんファミリーとして田代まさしとともにお茶の間を笑わせていたコメディアン。そんな桑マンを振り返ります。
【リアクション芸人の代表格】変わらない出川哲朗について掘り下げてみたい。
「出川哲朗」、リアクション芸人としてダチョウ倶楽部と双璧をなす男。昔から変わらない彼を見てきたが、すでにバラエティ番組に出始めて25年の月日が流れました。そんな出川哲朗をちょっと掘り下げてみましょう。
吉村明宏といえば「あんのっころっわ~【ハァッ!】」の和田アキ子のモノマネで有名でした、現在は。
吉村明宏といえば、和田アキ子のモノマネ「あんのっころっわ~【ハァッ!】」「は~ひふ~へほ~」なんてギャグが有名でした。彼は和田アキ子のモノマネ第一人者でしたね。そんな吉村明宏の現在について。
福岡ダイエーのドラフト1位指名を蹴って1年間のハワイ留学を選んだ元木大介、当時は印象に残りました。1年後に指名される保証もないのにと。巨人が好きで巨人で現役を終えた元木、いまではタレントとして活躍。そんな元木の経歴を振り返ります。
松井秀喜が「リアル野球BAN」再挑戦! 石橋貴明がNYに乗り込んだ!
松井秀喜と石橋貴明が再び「リアル野球BAN」で対決する!現役時代はゴジラと呼ばれ、巨人とニューヨークヤンキースで活躍した松井秀喜がとんねるず石橋貴明をニューヨークで迎え撃つ!テレビ朝日系『とんねるずのスポーツ王は俺だ!! 』の特番で放送。
かつて関東地方(特に多摩地区!)でやたら見かけることの多かった「多摩クリスタル」の看板。 “日の出から営業”とうたった派手な看板を覚えてますか?
「カーアクション」といえば映画、ドラマからバラエティまでひっぱりだこのタカハシレーシング!
カーアクションは刑事ドラマやバラエティの華。どのシチュエーションでも手に汗握るスリリングなシーンが連発します。そんなカーアクションのスタントを一手に引き受けるプロ集団といえばタカハシレーシングです。
【海援隊から金八先生まで】武田鉄矢はロン毛(長髪)が特徴だったことを往年の画像で検証。
多くの人々が敬愛して止まない武田鉄矢の金八先生。モノマネは長髪をかきあげる仕草がつきものです。若き日の海援隊からロン毛(長髪)がトレードマークだった武田鉄矢を、往年の画像と共に再度確認します。
【野猿】は「とんねるずのみなさんのおかげでした」から生まれた音楽ユニット!やたらいい曲多かった!!
「野猿」憶えていますか?とんねるずが番組スタッフと組んだユニット。活動期間は98~01年の3年間でしたが、けっこういい曲が多かったので私はいまでも憶えています。あのメンバーってみんなノーギャラだったそうですよ、まあみなさん社員さんでしたもんね。
97年、インターネット時代を先駆けた素人参加型バラエティ番組『来来圏』
1997年にフジテレビの深夜枠で放送されていた素人参加型番組『来来圏』。普及したてのインターネットを通じて視聴者が参加するという、革新的な内容で、時代を先取りしていた。当時、シュールネタで人気のあった「ふかわりょう」の初の帯番組で、共演したのはチャイドルとして人気のあった子役「浜丘麻矢」。この二人の掛け合いも面白かった。
【放課後電磁波クラブ】今田耕司と東野幸治は正式なコンビではないですが「Wコウジ」と呼ばれています。
今田耕司と東野幸治。ともにバラエティタレントとして司会などにひっぱりだこな売れっ子芸人ですよね。彼らは正式なコンビではありませんが「Wコウジ」と呼ばれています。そんな彼らが息の合ったコントを見せたのが「放課後電磁波クラブ」でした!