過酷な試練をクリアして大ヒットした「ポケットビスケッツ」はモー娘。やAKBにも通じるものがありました。

過酷な試練をクリアして大ヒットした「ポケットビスケッツ」はモー娘。やAKBにも通じるものがありました。

90年代、「ポケビ」の愛称で人気を博したポケットビスケッツ。バラエティの企画にしてはあまりにも過酷な条件下で戦っていた彼らが、ここまで支持を得たのはある意味当然だった気がします。そんなポケビの軌跡を振り返ります。


2018年8月の24時間テレビ41では、まさかのポケビ復活でした!

ポケットビスケッツとは

『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』から誕生

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イッテQの原型がココに!?ウリナリ名場面集 - Middle Edge(ミドルエッジ)

ポケtットビスケッツ結成まで~当初はおまけ扱い

あくまでも結果として登場したユニットだったんですよね、ポケビは。

「Mckee」

1995年10月20日、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!』(以下、ウリナリ)の前身番組『 ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』 で始まった「スーパースター誕生」という企画に活動の端を発する。 当初は「ポケットビスケッツ」という存在は企画の予定に入っておらず、高山理衣をアジアへ売り出すことが主なテーマであり、テル(内村)と千秋は、南原清隆扮する音楽プロデューサー・南々見一也が利用する居酒屋の店長と看板娘という設定の脇役だった。 その後企画が進み、オクトアーツEMIから「3人組の女性ユニット」という条件でデビューの話がもたらされた。高山以外の2名について、千秋も含む番組企画参加者3名を対象にオーディションが行われたが、南々見の事務所社長・白石恵(国生さゆり)と高山の事務所社長・滋花実(室井滋)が指名され、千秋は選に漏れた。 私的にも歌手になることを目標としていた千秋はこの結果に泣き出し、これを庇ったテルが咄嗟に「第2のマモーミモー作ってやるダニ」と叫んだことから、もうひとつの音楽ユニットを作ることが決まった。 テルの台詞は全くのアドリブであり、番組の企画総合演出を担当した土屋敏男は「あのやりとりがなかったら、ポケビは存在しなかった」と語っている。 12月1日の放送回で女性3人組ユニットの名前を決めることになり、こちらは高山が提案した「McKee(マッキー)」に決まった。内村・千秋のユニットには、高山のマネージャー・独活野大木として企画に参加していたウド鈴木が提案した「ポケットビスケッツ」が宛がわれた。 直後にテルが独活野をポケットビスケッツに引き抜き、テル、千秋、ウドの3人で活動を開始した。この時点ではポケットビスケッツはまだMcKeeの添え物扱いであった。

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ポケットビスケッツ - Wikipedia

勝負に勝って「ポケットビスケッツ」デビュー

McKeeは後藤次利、ポケットビスケッツはパッパラー河合プロデュースによるデビューが決まり、CD発売に先立ちフィリピンでライブが行われた。 両者のデビュー曲は共に1996年4月17日の発売と決まり、「オリコン週間チャートでより上位を獲得した曲を番組のエンディングテーマとする」という対決企画へ進んだ。 順位発表は5月10日の番組内で行われ、McKeeのデビュー曲「Can't Stop My Heart」が28位、ポケットビスケッツのデビュー曲「Rapturous Blue」はこれを上回る25位となり、ポケットビスケッツが勝利した。 以後企画はポケットビスケッツを中心に展開し、McKeeは1作のみで自然消滅した。 その後「Rapturous Blue」チャート20位まで上昇し、10週連続で100位以内に留まり、累計50万枚以上を売り上げた。作曲を担当したパッパラー河合は、「始め、曲を作った時は、これは売れそうだなとか、ヒットさせてやろうなんていうことは考えてなかったし、のちのちこれほど売れるだろうとは予想してなかったですね」と語っている。また、作詞を担当した千秋は「番組の企画モノ」という雰囲気の中で、どこまで真面目に作ればよいのか悩みながらの作詞であったという。 7月12日には番組内で第2弾シングル「YELLOW YELLOW HAPPY」の製作を発表、CD発売に際しては「普通の番組では考えられない予算」(番組ディレクター・塩谷祥隆)を投じて、前回作られなかったプロモーションビデオが製作された。 発売後、テルが「Rapturous Blueの最高20位に届かなかったら解散」という条件を出したが、初登場で8位に入り、活動継続となった。同作の最高位は4位、累計約150万枚を売り上げている。

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ポケットビスケッツ - Wikipedia

対決路線での展開~「負ければ即解散」の連続

このガチなハードルと根性。
後のモーニング娘。やAKBグループにも通じると思うのです。

10月25日の放送では、南々見一也が台湾出身のタレントビビアン・スーを連れて現れ、「祝・ヒットチャートベスト10入り企画」と銘打って15種類の利き酒を行うことを要求。 「成功したら初ライブ・失敗したら即解散」という条件で対決が行われた。ポケットビスケッツはこれに勝利し、初めてのライブ開催が決定した。 当初は原宿で行われる予定だったが、予想を上回る聴衆が集まったため中止となり、後日新宿アルタ前で改めて開催された。 開演前には南々見から再度「利き寿司」対決を持ち掛けられたが勝利を収め、直後に約5000人の聴衆を前に初ライブを行い、「YELLOW YELLOW HAPPY」を披露した。この頃から事あるごとに様々な対決を持ち掛けられ、「できなかったら即解散」という条件が付く対決路線が始まった。 その後、3作目の発売までに至る一連の対戦にもことごとく勝利し、翌1997年1月24日に第3弾シングル『Red Angel』が発売、初登場2位を記録した。発売直前の1月10日には、南々見一也の双子の兄という設定の南々見狂也と、ビビアン(ビビアン・スー)、天山ひろゆき(キャイ〜ン・天野ひろゆき)で結成されたブラックビスケッツが初登場、以後両ユニットの対決が展開されていった。 4月には「Red Angel」の売上げが100万枚を突破、同じくミリオンを達成していた「Yellow Yellow Happy」と共に、東芝EMIからゴールドディスクが贈られた。パッパラー河合はこの2曲のヒットについて、「チアキのボーカルとか作詞の力も大きかった」と述べている。 「ポケビ効果」により、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!』自体も視聴率20%を超える人気番組となった。

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ポケットビスケッツ - Wikipedia

【快進撃】アルバム発表~日本武道館ライブ

5月2日の放送において、ファーストアルバムを製作することがテルから発表された。 発売に先立ちアルバムから1曲をシングルカットすることになり、4曲の候補の中からウドがメインボーカルを務める「Green Man」が選ばれた。この決定には当初ウド自身も反対していたが、7月4日に発表されたオリコンチャートで初登場3位を記録し、番組中で感泣した。 パッパラー河合は「ウドのボーカル曲はそのうち注文が来るだろうなとは思ってたけど、まさかシングルカットとは思っていなかった」と語っている。なお、河合が4作目に考えていたのは、アルバムの1曲目に収録された千秋ボーカルの「Pink Princess」であった。 7月14日にファーストアルバム『Colorfull』が発売され、初登場3位を記録した。この2カ月後、企画上「ポケットビスケッツの邪魔者」という扱いに過ぎなかったブラックビスケッツの台湾デビューが決定。以後しばしブラックビスケッツが前面に押し出され、ポケットビスケッツは一時的に活動休止状態となった。 この最中にブラックビスケッツは9月に台湾において第1弾シングル『闘志』を発表し、2週連続の1位を獲得、『STAMINA』と改題して12月に発売された日本では初登場2位を記録した。12月12日の放送でポケットビスケッツとブラックビスケッツが台湾で合同ライブを行ったのち、年末の日本武道館ライブの権利を賭けて「ガソリンすごろく対決」を行い、ポケットビスケッツが勝利。12月28日(放送は翌1998年1月9日)に初めての本格的ライブとして日本武道館で単独公演を行った(ブラックビスケッツも後から出演)。このステージでは、千秋が歌の最中に感極まり、声を詰まらせる場面もあった。

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ポケットビスケッツ - Wikipedia

復活かけた100万人署名運動⇒初の1位獲得

1998年4月、ポケットビスケッツのシングル5作目「My Diamond」と、ブラックビスケッツのシングル2作目「タイミング」のどちらを発売するかを賭けて対決が行われ、ポケットビスケッツが敗北。敗者は新曲のマスターテープを破棄するという条件が付けられていたため、「My Diamond」のテープは破棄された。 その後、新曲の発売を目指して100万人の署名を集める活動が始まり、全国各地の小学校を中心に署名運動が展開された。6月21日には有明レインボーステージに1万人が結果公開を兼ねた無料ライブに招待され、目標を大きく上回る178万4892人の署名が集まったと発表された(締切後に届いたものを含めると200万に達した)。 1カ月後の7月22日にシングル5作目となる『POWER』が発売され、2週目の売上げにおいて初めての週間チャート1位を獲得した。テルは企画について、「もしいったとしても、ギリギリ100万、いかなかったら90万ぐらいと思っていたから、すごい突き抜けた数字で驚きました。ポケビの一連の企画で初めて視聴者の力を借りて、みんなの力がここまで押し上げてくれたと思った。スゴイと思った」と語っている。 なお、販売店の一部には「100万人に到達しなかったら新曲は出ない」という部分が伝わっておらず、店によっては結果発表前から新曲発売が既成事実のように扱われていたため、「出来レースではないのか」という投書もあった。これについて、東芝EMIのディレクター・長井信也は「みんなこんなに一生懸命やっているのに、そう思われてしまうのは、僕としてもすごくイヤでした」と語っている。 長井によれば、結果発表の会場には成功・失敗2種類の台本とくす玉が用意されていたといい、『POWER』の収録も発表当日のジャケット写真撮影をはじめとして、全て結果発表の後に突貫作業で行われた。 同年7月から8月にかけて、100万人署名に対する御礼として全国9か所でのライブツアーを開催。最終地・旭川では5万人以上を集めるなど、各地とも盛況だった。年末にはNHKの第49回NHK紅白歌合戦に「ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツスペシャルバンド」として出場を果たし、「Power」などをメドレー方式で歌った。他のウリナリ出演者も応援に駆け付け、内村が番組の別の企画である「ランキングキャラクターLIVE」のキャラクター・ホワイティに扮したり、最後に「来年は白組で」という幕が現れるなど演出も凝ったものであった。しかし、次の年以降にウリナリの企画グループが紅白に出演することは無かった。 「Power」は累計110万枚を売り上げ、3作目のミリオンを達成。この年はブラックビスケッツの『タイミング』も売上100万枚を達成し、番組プロデューサーの土屋敏男は「2組とも、10何万ならともかく、100万枚以上売れているということはもう、番組を見ない人までが曲に引かれて買ってるとしか思えない」と評した。

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ソロ活動~活動休止まで

翌1999年2月、ポケットビスケッツの活動として、千秋、テル、ウドがそれぞれソロシングルを発売。その内、テルのシングル「青の住人(すみびと)」にてテル本人がピアノを弾いていないという不正が発覚。 「完奏できなければ脱退」という条件でFM横浜の「TheRanking」で生演奏し、これをクリアした。しかしテル本人は演奏の出来に納得せず、自ら進んで仮メンバーとなった。 その後のZepp Tokyoでのライブで上達した演奏を披露し、3人での活動を再開。これをきっかけとして、7月22日にポケットビスケッツとしてのシングル6作目『Days/My Diamond』を発売。オリコンチャート最高4位を記録した(売上45万枚)。 同年末には松任谷由実の年越しライブにゲスト参加し、「Yuming+Pocket Biscuits」として共演作「Millennium」を生中継、生演奏で発表した。同作は翌2000年1月21日に同名義でシングルとして発売された。発売同日の放送において、「ポケットビスケッツが番組の一企画であるため、歌手・千秋の活動を狭めている」とするテルが、千秋にソロ活動を進言。3人の相談の末にこれが受け容れられ、これに伴いポケットビスケッツとしての活動は停止することになった。 2000年3月12日、千秋のソロデビューライブ後、日本武道館でポケットビスケッツとしてライブを行う。これは直前まで千秋には秘密にされ、テレビでも告知されないシークレットライブのスタイルを取った。このライブでテル・ウド・千秋の今後を祈って手作りの幸せの黄色いハンカチが入場者に配られ、ファンの提案で即興の卒業式が行われた。

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活動休止後

番組企画モノとして最高の実績を成し遂げた背景

過酷な試練と驚異的な成功

3曲のミリオンヒットを記録するなど「企画もの」としては異例の人気を博したが、既述の通り、当初はメインであるMckeeの添え物であった。番組ディレクターの塩谷祥隆は、「最初の感触では『売れる』という予感はなくて、あとから人気が追いかけてきたっていう感じだった」と語り、東芝EMIのディレクター・長井信也は「こちらの予想を上回る、大きな成長ぶりを見せてくれた」と述べた。 また内村は「Power」発売前のインタビューにおいて、「普通、企画物は一発で終わるけど、ポケビはもう4年目。こんなに続くなら、念入りなメークにしなかったのにな」とこぼすなど、いずれもポケットビスケッツの活躍は予想外のものだったとしている。 人気の背景について、プロデューサーの土屋敏男は、「ポケビがここまで大きくなったのは、チアキの『ポケビを存続させたい』というダイレクトな気持ちが、視聴者に伝わった結果じゃないでしょうか」と述べている。 スポーツニッポンの特集記事では、「形はちょっと変わっていたが、それでも夢をかなえた千秋に感情移入する視聴者の応援に加え、ポケビはいつも解散の危機にさらされながら活動を続けていたことが周囲の共感を呼んだ」としている。 塩谷は「解散シリーズなんかでは、番組としては、本当にできなかったら解散になってもいいって心づもりがあって、それに対してチアキががんばる。真剣にグループとしての生命がかかっていたという緊張感が、ただの企画ものグループと違うところですね」と述べている。 またスポーツニッポンでは「価格も当時CDシングルの標準だった1000円の半額の500円に設定したことで、小学生ら子どもたちが買いやすかったのもヒットの要因となった」と分析している。この価格は、「もうけるためでなく、少しでも多くの人に彼らの曲を聴いてもらいたい」という考えから設定されたものであった。 パッパラー河合は、「同時期に猿岩石も売れていて、やっぱり企画ものって言われたけど、企画のない音楽ってあるのかな……という気がしますね。音楽をやらない人を集めてグループを作ると企画ものと言われるけど、音楽が良ければいいんじゃないかと思います」との感想を述べ、長井信也は「ポケビは、3人の個性をビジュアル的、かつヒューマンな形で形で表現したグループだと思います。チアキの持つひたむきさと、音楽を愛する気持ち。テルさんの、シビアだけど、暖かいまなざし。ウドちゃんの人がらの良さ。すべてがポケビの力になっていると思います。テレビから生まれたミュージック・グループとしては、最高のグループだと確信しています」と総評している。

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ポケットビスケッツ - Wikipedia

みんなで聞いていた「ポケットビスケッツ」のまた聞きたい名曲5選 - Middle Edge(ミドルエッジ)

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