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デビューまで
13歳の時、母親が再婚。
その後間もなくして父親や父親の再婚相手である女性と一緒に住む事となったが、その生活になじめず素行不良が目立つように。
杉並区の中学校への転校を経て、1972年4月に芝浦工業大学工業高等学校機械科に入学。
高校入学直後、同校では田代以上の不良だった鈴木雅之と運命的な出会いを果たす。ソウルミュージック好きだった田代と鈴木はすぐに仲良くなり、相変わらず父との生活になじめなかった田代は鈴木の家によく遊びに行き、鈴木の母からも家族同然にかわいがられていたという。
高校生になってからも中学生時代からの素行不良は変わらず、ケンカ、暴走族、ディスコ、ナンパに明け暮れ、傷害事件で警察に留置されたこともあった。一方鈴木は、高校在学中に映画『レッツ・ザ・グッド・タイム・ロール』中に登場するドゥーワップに刺激され、ドゥーワップグループ結成を決意。その後高校を中退し、父の工場で働く傍らコーラスやダンスの練習を重ねており、田代もその輪の中に入っていく。当時はまだプロになるという考えは無かった。
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シャネルズへ
シャネルズ時代の田代まさし
デビューシングル『ランナウェイ』が110万枚のミリオンセラーを達成する。1980年7月、メンバー10人のうち5人が埼玉県青少年保護育成条例違反(わいせつ行為)の疑いで書類送検され、シャネルズは半年間謹慎する。なお田代はこの件に関わっていない。
その後フランスの高級ブランド、シャネルから物言いがついたことで、1983年に同グループが「ラッツ&スター」と改称された後も多数のヒット曲に関わり、『ザ・ベストテン』などの歌謡番組を通じて日本のお茶の間のお馴染みの顔となる。
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「ダジャレの帝王」の異名をとった田代まさし
笑いの師匠志村けんと田代まさし
その独自のお笑いセンスから「ダジャレの帝王」、「ギャグの王様」、「小道具の天才」と呼ばれ、レギュラー番組を何本も持ち、大企業のテレビCMに何本も出演するなど人気を博した。
さらには自伝やダジャレ語録などの著作本の出版や、自らの名を冠したファミコン用ゲームソフト『田代まさしのプリンセスがいっぱい』の発売、原宿竹下通りの「マーシーズ」や清里高原へのタレントショップの開店、また映画監督として映画の撮影を行うなど、多彩な活躍を見せていた。
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志村けんのお笑いパートナーに
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2000年以降について
2000年以降は薬物関連のニュースで何度も登場。
刑務所にも2度入るなど90年代までの栄光とは無縁の地位となりました。
あえて触れませんが、再び軽妙なノリでダジャレの帝王と呼ばれた頃の田代まさしを見ることが出来たらな、なんて思います。
ミュージシャン、コメディアンの道を共に歩んだ桑マン
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