オールスター家族対抗歌合戦
実に14年、700回近くも続いた「オールスター家族対抗歌合戦」。
欽ちゃんの「素人いじり」の原点ともいわれています
毎週芸能人やその他著名人の家族が5組出場し、司会の萩本欽一とのツッコミありの爆笑トークを繰り広げた後に歌を披露していた。
萩本は放送開始から1984年6月24日放送分まで司会を担当。ヒデとロザンナ一家や、当時フジテレビのアナウンサーだった逸見政孝一家なども出場していた。
ちなみに、萩本にとっては日本テレビ『スター誕生!』に続いてコント55号を離れた一人仕事であり、その後の彼のスタイルである "素人いじり" の原点がこの番組である。
オープニングに流れる「ドレミの歌」の替え歌に乗って出演者が登場するのも慣例行事で、引き続いて出演者にドレミファソラシドを言わせながらスポンサークレジットとなっていた。
エンディングは番組独自のテーマソングで、始めは出演者全員で歌っているものの、途中からオランダのチューリップなど同国内各所の映像となり、最後に海外旅行タイアップのKLMオランダ航空の航空機の映像になっていた。
対抗戦のルール
勝てば海外旅行!
番組エピソード
古き良き、視聴者参加型番組でした
1993年12月に逸見政孝が逝去した際には、1983年に逸見一家が『めだかの兄妹』(わらべ)を歌う映像が逸見の追悼番組などで放送された。
2005年10月には、松平健と結婚した松本友里が父親(俳優の天野新士)と一緒に出場した時の映像の一部分が、松本の人物紹介の一部として『めざましテレビ』『とくダネ!』などで放送された。松本が2010年11月15日に逝去した際にも、翌朝の『とくダネ!』でも結婚時と同様に、天野新士と共演した映像が流れた。
同じく2005年10月、萩本のコント55号での相方だった坂上二郎父娘がシブがき隊の『NAI・NAI 16』を歌う場面が、『ウチくる!?』の坂上がゲストの回において「ウチくる!?君は若かった」コーナーにて紹介した。また坂上が2011年3月10日に逝去し、翌11日朝の『とくダネ!』でも『ウチくる!?』での使用時と同様の映像が流された。
『さんま・一機のイッチョカミでやんす』(日本テレビ)で小堺一機が萩本に扮し、「オールスターイッチョカミ対抗歌合戦」というタイトルで番組をパロディにしたコントが放送された。審査員も古関裕而・近江俊郎・水之江滝子・木原光知子と等身大の写真を飾っていた。
レギュラー放送終了後も、度々特番で登場
1979年春から1982年秋までは期首特番として、この番組を流用した番組対抗歌合戦が行われており、司会や審査員は当番組と全て同じだった。オープニングでは当番組と同様に「ドレミのうた」に合わせて各番組の出演者が入場。エンディングでは、当時のフジテレビのイメージソング「愛のメッセージ」を歌って締め括った。
レギュラー放送の終了後も、この番組は萩本欽一の司会により『欽ちゃんスペシャル 帰ってきた家族対抗歌合戦』というタイトルの特別番組として、1994年10月まで不定期に放送された。特に1985年の正月には萩本と小川の両名が司会を務め、彼らとの親交が深いタレントを集めた『ファミリー対抗歌合戦』なる生放送特番が組まれた。
1990年代(放送年月日不明)では『ダウンタウンのごっつええ感じ』の1コーナーで家族対抗歌合戦が放送された。同企画ではダウンタウンが司会を務め、板尾創路(同番組のレギュラー)一家と、木村祐一一家が出場した。
1997年には『春一番!家族対抗歌合戦』が放送されていたが、こちらの司会もダウンタウンが予定されていたものの、収録数日前に浜田雅功が怪我をしたため、彼らと親交の深い今田耕司と東野幸治が司会を務めた。
その他、他局ではあるが1992年にTBSで放送された特番『オールスター家族そろって歌合戦』は、同じTBSで1970年代に放送された『家族そろって歌合戦』とこの番組のミックス的な感じである。こちらの司会は高田純次だったが、出演者から「司会が欽ちゃんだったら良かったのに」という意見が本編ラストであった。他、テレビ東京でも同種の特番を『日曜ビッグスペシャル』で2000年頃に板東英二の司会で数回放送していた。