まだJリーグのなかったころ、日本のプロスポーツといえばプロ野球一択でした。「人気のセ」「実力のパ」なんて呼ばれた時代、無数のスター選手が登場しました。往年の懐かしい名選手たちが集います。
プロ野球オールスターゲーム、記憶に残る名場面といえば?【名シーン10選】
プロ野球の夏の風物詩といえば「オールスターゲーム」。真剣勝負とエンターテインメントがミックスされる舞台では、これまで多くの印象的な名勝負やプレーが生まれてきました。その中から、特に記憶に残る名場面「10選」を振り返ります。
’92の阪神は亀新フィーバー!眼鏡のスライディング王・亀山努!
阪神タイガースの外野手・亀山努。現役時代は「平成のスライディング王」と呼ばれ、「亀新フィーバー」で新庄剛志と活躍!眼鏡を掛けた野球選手でもあり、双子の弟・忍は俳優である。現在はすっかり太ってしまった亀山努も特集!!
ファミスタ30周年!「きたへふ」モデル等のアパレルが渋谷パルコに登場!
ゲーム「ファミリースタジアム(ファミスタ)」シリーズの30周年を記念し、渋谷パルコで限定ショップ&展示イベントが7月15日(金)まで開催されます。また、ファミスタの思い出を書く掲示板や野球部の部室をイメージした空間で展開されます。
1974年の日本ハム・初代ユニホームが復活!大谷もお気に入り!
日本ハムは球団史を振り返る「レジェンドシリーズ2016」で着るユニホームを発表。日本ハム球団誕生の1974年前期シーズン(当時のパ・リーグは前後期制)のデザインを復刻した。在京球団時代の日本ハムファイターズも振り返る。
【プロ野球最高年俸】その年にもっとも稼いだプロ野球選手とその年俸推移。
プロ野球選手はプロスポーツのなかでも稼ぎのいい競技として有名です。近年はメジャーでバリバリ稼ぐスターも出てきましたが、そもそも一番もらってる人でどれくらいなのか、まとめてみました。
緊迫感漂うドラフト会議場に高らかに響き渡るパンチョ伊東の声!「第1回選択希望選手!野茂英雄!!」
パンチョ伊東の愛称で親しまれた、パリーグ広報部長でドラフト会議の名司会者だった伊東一雄さん。緊迫感溢れるドラフト会議の現場を見事に仕切り、独特な調子で選手名を読み上げる声は多くの人の記憶に残りました。
【1989年日本シリーズ】近鉄・加藤の「たいした事ねえ」⇒巨人・駒田の「バーカ」はあまりにも有名!
1989年日本シリーズ。近鉄3連勝からの巨人4連勝という稀に見る激闘は、歴史に残る因縁対決としていまだに語り継がれていますよね。リアルタイムで見ていた私はテレビに向かって「え、ばかって言ってるよ!」なんて騒いでました。
イチロー「プロ野球における通算最多安打数」として7個目のギネス記録に!
イチローが2016年6月15日に達成した「プロ野球における通算最多安打数」がギネス記録に認定された!イチロー自身7個目のギネス認定となる。イチローのギネス記録やオリックス時代の「日本プロ野球記録」もご紹介する。
「ドクターK」日本人メジャーの道を切り拓いた野茂英雄の足跡を辿る!
ドラフト8球団指名、トルネード投法、日本人メジャーで初めての成功。輝かしい栄光に包まれた野茂英雄。でもその野球人生は決して平坦ではありませんでした。メジャー先駆者の足跡を追います。
甲子園のアイドル荒木大輔!荒木トンネルまで作られたフィーバーぶり!
1980年代の甲子園のアイドルと言えば荒木大輔。1年時に愛甲猛率いる横浜高校と対戦。プロ野球ではヤクルトで活躍するも、怪我との戦いを強いられた荒木大輔。大ちゃんフィーバーも含め、荒木大輔の野球人生を振り返る。
巨人で活躍した投手ガリクソン!息子の名前に「クワタ」と名付けた!
80年代後半、巨人の投手で印象深いビル・ガリクソン。巨人入り前はメジャーでも大活躍していた選手で巨人での年棒は2億円とも!桑田真澄とも親交が深く、息子のミドルネームにクワタと名付けた。二人の熱い友情エピソードも特集する!
不良!悪童!愛甲猛!高校時代のあだ名はあんぱん!打者転向の影に落合あり!
1980年の甲子園優勝投手だった愛甲猛。ロッテと中日で打者として活躍。悪さをし尽くした高校時代や知られざる落合博満との関係等、エピソード満載で愛甲猛を振り返る!また、ドーピングにも手を出していたという事実も!
【ドーム球場に興奮!】90年代はドーム球場の建設ラッシュでした!!
後楽園球場が東京ドームになったとき、「なんじゃこりゃ!?」と思いながらもそりゃあもう興奮したものです。ドーム球場が好きで野球やコンサート、何度も足を運びました。そんなドーム球場をまとめました。
【松本匡史選手】青い稲妻と呼ばれた巨人軍不動のトップバッター
俊足巧打、そして守備も抜群に上手い。青い手袋を身につけていた事から 「青い稲妻」と呼ばれた松本匡史選手は、正に理想的な一番打者だった。 1980年代の巨人軍を支えた松本選手の球歴を振り返る。
阪急ブレーブスからたけし軍団へ!アニマル・レスリーはプロ野球・バラエティでお茶の間を楽しませてくれました。
阪急ブレーブスからたけし軍団と渡り歩いたアニマル・レスリー(亜仁丸)を覚えている方は多いでしょう。派手なパフォーマンスでお茶の間を大いに賑わせてくれました。2013年に惜しくも亡くなりましたが、彼の経歴を振り返ってみましょう。
松井選手についての記事を書こうとしたら、エピソードが多すぎたので、とりあえず「巨人に入団するまで」を振り返る事にしました。怪物と呼ばれ全国的に有名となった高校時代。「五打席連続敬遠」や巨人に入団するドラフト会議までを振り返ります。
とにかく強かったプロゴルファー「ジャンボ尾崎」は、元々プロ野球西鉄ライオンズの選手でした。
強面なプロゴルファー「ジャンボ尾崎」は見た目だけでなくとにかく強いゴルフ選手でした。数々の勲章を手に入れたジャンボ尾崎ですが、実は西鉄ライオンズのプロ野球選手でもあったんです。
ヤクルト一筋で数々の記録を打ち立て、2004年に起こった「プロ野球再編問題」の際に選手会会長としてグラウンド外でも奮闘。2005年~2007年まで選手兼任監督を務めた名捕手、古田敦也選手の成績を改めて振り返ります。
「チュウ」と呼ばれた男・村田真一の現役時代を改めて振り返ろう!
2008年「あの人」が巨人の打撃コーチに就任することが発表されると「あの人打撃コーチやるほど現役時代打ってたっけ?」と巨人ファンから驚きの声が上がりました。 そんな「あの人」村田真一さんの現役時代を改めて振り返る。
【90年代巨人】偉大なる先発三本柱、槙原寛己・斎藤雅樹・桑田真澄を振り返ろう!
90年代巨人を支えた偉大なる先発三本柱といえば槙原寛己・斎藤雅樹・桑田真澄。とくに1989~1999年の11年間、3人はいずれも100勝以上の白星をあげる活躍を見せた。そんな3投手について振り返りたい。