眼鏡なのにヘッドスライディングを炸裂させる亀山努!
かめやま つとむ。
1969年7月2日生まれ。 双子の弟・忍がいる(詳しくは後述)。
鹿児島県奄美大島出身(生まれは大阪府大阪市港区)。
身長176 cm体重77 kg。
阪神タイガース (1988 - 1997)。右投げ左打ち。現役時代は外野手。
愛称は亀ちゃん、亀さん、亀。

阪神タイガース・亀山努
現役時代は「平成のスライディング王」と呼ばれる程、トレードマークとして人気があった。
また、眼鏡を掛けた野球選手でもあった。
背番号は1988年から1991年までが「67」、1992年から1997年までが「00」だった。
1997年に引退後はタレントに転身し「亀山つとむ」と改名。
マスターズリーグ・大阪ロマンズの選手、モルツ球団の選手としても活躍。

背番号「00」!!
1992年、「亀新フィーバー」に沸いた阪神タイガース!
亀新フィーバーとは - goo Wikipedia (ウィキペディア)

「亀新フィーバー」のお二人

「週刊ベースボール」の亀新特集

懐かしの「ラッキーゾーン」!
亀新フィーバーとは - goo Wikipedia (ウィキペディア)

亀山(前列・中)はすっかり中心選手に!
「ヘッドスライディング」と亀山努
1992年シーズンの亀山は、開幕から一軍で起用され、果敢なヘッドスライディングで大きくアピールした。
一塁への果敢なヘッドスライディングから「平成のスライディング王」との異名を取る程だった。
しかし、翌1993年にはヘッドスライディングキャッチで右肩脱臼。シーズンの大半を棒に振った。
また、1997年に戦力外通告を受け、引退前の最後の試合でもヘッドスライディングをする等、「ヘッドスライディング」は亀山の代名詞であった。

ヘッドスライディングは代名詞!
亀山は双子!弟は俳優の亀山忍!!
タレント・俳優の亀山忍(しのぶ)は一卵性双生児の弟である。
忍は高校時代に投手を務め、兄・努と兄弟バッテリーを組んでいたが、忍は高校在学中不慮の事故で利き手の大怪我を負い、阪神の入団テストを受験したが不合格だった(努は合格)。
忍はこれを機にタレントに転向する。
ちなみに兄弟2人揃って鹿屋中央高校の調理科に在籍していたことから、調理師資格を持っている。
努自身、現役時代「プロ野球選手になっていなかったら餃子の王将に就職するつもりだった」と語っている。

弟・忍
兄が現役時代の甲子園球場での試合前の練習中、兄がトーマス・オマリーに自身を紹介したところ、「カメヤマのオトウト、ブタね~」と日本語で言われた。
忍の当時の体重は体重100kg程度。
(亀新フィーバーの1992年頃迄は兄同様スリムだった。またこの頃、P&Gの家庭用洗剤のCMで兄弟で共演している)。
現在は現役時代から肥満の傾向があった努の体重が増え、それに対し忍が再びスリムになり、以前と見た目が逆転している。
次ページでは現在の亀山努をご紹介!
もうヘッドスライディングは出来ない?驚愕の体型!

あのスポーツマンの亀山は何処へ?

BEFORE!AFTER!!

野球少年に指導する亀山努
「亀新フィーバー」以降の亀山は怪我に苦しみ、28歳で引退!
1993年には前述のヘッドスライディングキャッチで怪我をした。
1994年は開幕スタメンに名を連ねるが、三塁のトーマス・オマリーが守備難で一塁へ、一塁だった新外国人選手のロブ・ディアーが右翼手へ、左翼手にはオリックスからFA移籍してきた石嶺和彦がいた為、右翼手の亀山は5月以降控えに甘んじた。
その後、ディアーが不振で入れ替わる形で右翼手のレギュラーに復帰。復帰後は規定打席には到達できなかったが自己最高の9本塁打を記録安定した活躍を見せた。
しかし、1995年は開幕早々、守備で同僚のグレン・デービスと衝突し腰椎骨折。以降ほとんど一軍出場なしに終わる。
1997年に球団から戦力外通告を受けてしまう。
近鉄の佐々木恭介監督の強い誘いを受け、秋季キャンプにテスト生として参加し、佐々木がフロントに亀山の獲得を進言した。しかし、保有選手数に余裕がないことを理由にフロントがこれを却下した。
他球団のテスト受験も考えていたが、時期的にどの球団も受け入れられる状態ではなく、復帰を断念し28歳の若さで現役引退となった。

左打者・亀山努
引退後はタレント業の傍ら、少年野球チーム・枚方リトルの監督に就任した。
枚方リトルを1999年に少年野球世界大会優勝に導き、野球の育成世代に対して貢献した。
2001年からは、プロ野球マスターズリーグ・大阪ロマンズに参加し、巨人対阪神OB戦で活躍した。
また、大阪でのラジオDJも好評である。