まだJリーグのなかったころ、日本のプロスポーツといえばプロ野球一択でした。「人気のセ」「実力のパ」なんて呼ばれた時代、無数のスター選手が登場しました。往年の懐かしい名選手たちが集います。
【巨人・篠塚和典】華麗な守備、芸術的な流し打ち!憧れのプロ野球選手でした!!
篠塚和典の華麗なプレーはよく憶えています。憧れのプロ野球選手と言えば、私の場合は間違いなく篠塚を挙げました。美しい広角打法は後に続く野球選手にも慕われるほどのものでした。イチローはいまでも篠塚モデルのバットを使っているといわれています。
板東英二は中日のピッチャーなのかタレントなのか事業家なのか?
板東英二、所得隠し問題で芸能活動を一時休止しましたが、タレントとして精力的に活動を続ける人物ですね。でも彼ってたしか元々中日のピッチャーだったはず、、、いまとなっては過去の話かもしれませんが板東英二のプロ野球選手時代から振り返ってみましょう。
【木田勇】2013年の田中将大投手まで33年間現れなかった1シーズン22勝をルーキーイヤーにやってのけた投手。
1980年の日本プロ野球を大いに沸かせた驚異の新人投手、木田勇。日本ハムに入団した彼はルーキーイヤーの1980年に22勝を挙げて史上初のルーキーイヤーに新人王&MVPに輝きました。22勝という勝利数は、その後2013年の田中将大投手まで33年間抜かれることがありませんでした。
「赤ヘル炎のストッパー」津田恒実を憶えていますか?絶頂期のランディ・バース相手に150km/h超のストレートで3球三振に斬って取るなど、津田の速球は子供ながらに美しく見えていたものです。惜しくも若くして亡くなった津田について振り返りたいと思います。
小学生には衝撃的すぎた「さらば桑田真澄、さらばプロ野球」著作・中牧昭二
PL学園が甲子園を盛り上げていた時代。小学生だった私にはKKコンビが憧れの存在でした。 そんなKKコンビのプロ野球入団の裏側を知らされた衝撃作をプレイバック!
日本プロ野球界を経由しない初の日本人メジャーリーガー「マック鈴木」、クワバタオハラ小原との結婚でも話題となりました。
マック鈴木さん、2014年にご結婚されました。お相手はクワバタオハラの小原さん。そんなマック鈴木、実は日本人初の「いきなりメジャーリーガー」なんですよね。世界中を転々としたその流浪の野球人生を振り返ります。
1974年夏の甲子園。鹿児島実のエースとして出場した、元巨人投手の定岡正二氏(58)は、準々決勝で原辰徳氏(巨人監督)東海大相模(神奈川)を倒して人気爆発!甘いルックスで、女子学生たちに大フィーバーを巻き起こした。あれから40年、定岡選手の様なイケメンはなかなかいない。当時の人気ぶりを検証して、まとめてみました。
V9戦士・南海、巨人、日本ハムなどで内野手として活躍した【富田勝】が死去
南海(現ソフトバンク)や巨人などで内野手として活躍した富田勝(とみた・まさる)氏が死去。全球団本塁打を達成するという偉大な記録を作っています。
【ゼッコーチョー!】目下首位独走中!!いまこそDeNA指揮官、”男”中畑清を語ろう
中畑清、2015年シーズン5月時点でセ・リーグ首位独走中のDeNA指揮官。でも私たち世代にはいまもジャイアンツ時代の絶好調男のイメージが強いですね。決して明るいだけじゃない、”男”中畑清をいまこそ再確認しましょう。
【谷沢健一の軌跡】中日不動の四番、谷沢健一。その栄光の軌跡を辿ってみよう!
谷沢健一、不動にして最強の中日四番打者。1982年、涙のドラゴンズ優勝シーズンの四番打者でもある。その輝かしいキャリアの裏には奇跡のカムバックもあり、決して平坦な道のりではなかった。そんな谷沢のキャリアをともに振り返ろう。
カズに引退勧告で炎上!張本さんってどんな人?現役時代の実績を追う
球界のご意見番、張本勲。カズに引退勧告をして大炎上しています。ところでこの張本さんはどんな人なのでしょうか?
【モヒカンを反省!】巨人・澤村がモヒカン頭を反省!球団内外から大不評
巨人澤村がなんとモヒカンに!しかしたちまちクレームが入ってしまったとか。ソフトモヒカンではダメだったのかしら?そういえばモヒカン頭ってどんな人がやってましたかね?
みんな大好きだったプロ野球は、外国人選手が面白かった、すごかったからではないでしょうか。そんな時代に活躍した懐かし選手をピックアップ。