2014年6月 元メジャーリーガーのマック鈴木と小原正子が結婚を発表
マック鈴木と小原正子が結婚
バラエティ番組でもお見かけしますね。
実は日本プロ野球界を経由しない初の日本人メジャーリーガー
マック鈴木(本名:鈴木 誠、1975年5月31日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(投手)、監督。
日本プロ野球を経験せずにメジャーリーグ入りを果たした初の日本人選手として知られています。
そして、なかなかヤンチャな人だったことはあまり知られていないかもしれません。
渡米~メジャーデビュー
学生~メジャー時代
1992年に野村が経営に関与する1Aアドバンスのサリナス・スパーズに球団職員兼任練習生として参加。
1993年には1Aアドバンスのサンバーナディーノ・スピリッツに移籍して4勝12Sを記録。
1994年にシアトル・マリナーズとマイナー契約し、2Aジャクソンビル・サンズに昇格、当時ホワイトソックスとマイナー契約をしていたマイケル・ジョーダンと乱闘を経験。
1995年に3Aを飛び越えてシアトル・マリナーズに昇格するが、登板の無いまま3Aタコマ・レイニアーズに降格。
1996年7月7日にメジャーデビューを果たし、村上雅則、野茂英雄に次ぐ日本人3人目のメジャーリーガーとなった。日本プロ野球界を経由しない初の日本人メジャーリーガーであり、アメリカンリーグ初の日本人メジャーリーガーでもあった。
1998年にメジャー再昇格し、初勝利。翌年の四月に、飲酒運転で逮捕された。
1999年6月にニューヨーク・メッツに移籍した後、すぐにカンザスシティ・ロイヤルズに移籍。
2000年には先発投手として8勝を挙げ、完封勝利も記録。
2001年6月にコロラド・ロッキーズに移籍し、7月にミルウォーキー・ブルワーズに移籍。
2002年にロイヤルズに復帰するが、この年メジャーでは勝利を挙げられずに解雇され、日本のプロ野球チーム入団の意向を表明。
帰国、日本球界へ
首脳陣の期待は大きかったが、2003年は4勝9敗1セーブ、防御率7.06と通用しなかった。特に対福岡ダイエーホークス戦では6試合で計21.2イニング登板し、1勝4敗、被安打36、失点32と相性が悪かった。8月1日の対戦で先発した際は、1死も奪えないほどの大乱調で、その後チームが1-29という記録的な大敗で敗れるきっかけを生んだ。この年は飲酒運転で警察沙汰を起こし、球団がしばらく公表しなかったことも問題になった。
2004年、オープン戦では防御率1.19という好成績を残しオープン戦最優秀防御率投手に輝くも、公式戦に入ると一軍のレベルでは通用せず、1勝6敗0セーブ、防御率8.57に終わった。同年末の分配ドラフトを経て、2005年はオリックス・バファローズと契約。しかし2005年シーズンは一軍登板無しに終わり、二軍でも防御率7点台と結果を残せなかった。同年オフに戦力外通告を受けてオリックスを退団。
新天地を求めて世界へ
再渡米~中南米~帰国
2006年4月、メキシカンリーグのティファナ・ポトロスに入団。オールスターにも選出され、活躍。
2007年はメキシカンリーグのタバスコ・キャトルマンに所属。先発として活躍した。
同年8月のシーズン終了後、台湾プロ野球のLa Newベアーズに移籍。主にクローザーとして、チームの後期優勝に貢献。
その後、東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストを受けるも不合格。
2008年、ベネズエラのウィンターリーグで調整後、La Newに残留するもの、5月に台湾を離れ、5月11日にメキシカンリーグのチワワ・ドラドスと契約。
2009年、ドミニカウィンターリーグのアスカレーロス・デル・エステと契約。4月、カルガリー・ヴァイパーズと再び契約。同年はチームがリーグ優勝。主にクローザーとして、防御率も2.44と、好調な成績でシーズン終了。
2010年は、メキシカンリーグのチワワ・ゴールデンズでプレーし先発として9勝4敗、リーグ1位の防御率2.89と活躍。メキシコでのシーズン終了後、ゴールデンベースボールリーグのカルガリー・ヴァイパーズに3度目の入団をして2勝2敗の成績を残した。ゴールデンベースボールリーグ終了後は再びメキシコに戻り、ウィンターリーグに参加する予定だった。
どことなく似てる気が・・・
日本ハム:大谷翔平