衝撃的だった1989年のドラフト!野茂英雄への8球団同時指名!!
そして私たちの耳に残った、パンチョ伊東の「第1回選択希望選手!のも!ひでお!!」
野茂英雄への8球団同時指名はもちろん凄いことながら、緊迫感溢れる現場を演出したパンチョ伊東の「野茂!英雄!」は、私たちの心に残る名シーンとして刻まれました。
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同じく衝撃的だった清原・桑田のドラフトも、やはりパンチョ伊東の声が伝えたのでした
「読売、、、桑田真澄!」と読み上げる声が一瞬止まるところが、なんとも言えない現場の緊迫感を伝えてくれます。
パンチョ伊東

パンチョ伊東こと伊東一雄さん
1959年にパ・リーグ入り

15年にもわたるドラフト会議の名司会
1976年から1991年にかけてパ・リーグの広報部長を担当。と同時に、ドラフト会議では1991年まで司会を務めました。
黒い霧事件でパ・リーグの観客動員がセ・リーグの半分以下に落ち込んだ時に「我がリーグは3分の1リーグだ」と嘆いたことでも知られています。
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ドラフト会議でのパンチョ伊東のエピソード
1988年以前のドラフト会議は電光掲示板ではなく、選手名などが記された看板を掲示板に引っかけて表示する方式だったため、パンチョ伊東が選手名を読み上げた後すぐには漢字表記がわからないことがあったようです。

パンチョ伊東が漢字表記を説明
例として、日本ハムファイターズから指名された芝草宇宙(投手、帝京高)の「宇宙」を説明するために、英語に堪能な伊東は「ひろしは宇宙、大宇宙、コスモ」と例えたそうです。
1984年のドラフト会議では、横浜大洋ホエールズに指名された蒲谷和茂に対して「うなぎの蒲焼きの蒲」と発言。
ドラフト会議の場内が爆笑に包まれた漢字表記の説明
伊東一雄 - Wikipedia
思い出に残る、プロ野球ドラフト会議 - Middle Edge(ミドルエッジ)
一方では、メジャーリーグ通としても知られました
パ・リーグの仕事の合間を縫って、メジャーリーグの全球場を巡るのが趣味でした。
アメリカでは、メキシコ人に似た風貌から「Pancho」のニックネームを与えられ、次第に球団関係者のみならず選手にもコネクションを広げていき、「マイナーリーグクラスの選手でも『パンチョ』の名を知らないものはいない」とまで言われました。
2002年に心不全で逝去、パンチョ伊東の残したメッセージ
2000年ごろから内臓に多発性のがんが発見され、入退院を繰り返しました。
がんと戦いながらも2002年7月4日、心不全で死去。
最後にこんなパンチョ伊東らしいメッセージを残されました。
伊東一雄 - Wikipedia