「サッカーワールドカップに出場するまで43年 チームのエースナンバー「10」を背負ってきた日本の名選手たち」
スポーツにおいて選手の代名詞となりうる存在の背番号。野球のエースナンバーは「18」番ですが、サッカーは「10」番がエースナンバーとされています。1954年スイス大会の予選初参加から1997年にフランス大会で初出場が決まるまで実に43年の長い年月がかかりました。今回はワールドカップに最も近づいたと言われる1980年代半ばから本大会出場が決まるまで背番号10番をつけた日本のエースの中から数人紹介したいと思います。
赤いユニフォーム!?サッカー日本代表が「全日本」と呼ばれていた頃、短期間だけ着用された!その頃の成績は?
「サムライブルー」の愛称で呼ばれ、青色が印象的なサッカー日本代表のユニフォーム。Jリーグ開幕前にサッカー日本代表のカラーが青でなく、「赤い」時代がありました。その頃の成績や着用した選手などにスポットを当てます。
レヴァンドフスキはラトーを超えられるか?2度ワールドカップで3位になったポーランド代表の歴史!得点王も輩出!
2018年ロシアワールドカップに出場したレヴァンドフスキ擁するポーランド代表。70~80年代のワールドカップで3位に輝き黄金期を迎えていました。当時はラトーら得点源となるFWがいました。ワールドカップでの成績とレヴァンドフスキをも凌駕する選手を特集。
サッカー『サウジアラビア代表』5人抜きをした砂漠のマラドーナや砂漠のペレなど実は名選手が多いW杯常連国!
アジアのサッカー強豪国・サウジアラビア。1994年のワールドカップ。アメリカ大会では5人抜きのゴールをした「砂漠のマラドーナ」ことサイード・アル=オワイランなど突出した選手がいました。サウジアラビアのワールドカップ挑戦の歴史や勝敗を記事にします。
サッカーワールドカップに初出場するまで43年 チームをまとめてきた日本の主将たち
今でこそ定着しているサッカー日本代表のワールドカップ出場ですが、1997年に初めて出場権を得るまで実に43年の長い年月がかかりました。今回は日本がワールドカップに出るなんて夢のまた夢と言われていた時代に日本代表の主将を務めチームを牽引しながらも涙を呑んできた闘将たちを数人ピックアップして紹介したいと思います。
著者ディエゴ・マラドーナ。自伝で語った「神の手」「五人抜き」ゴールの真実。ハンドを疑う同僚には『口をつぐめ』!
株式会社東洋館出版社から、6月15日にサッカー界のスーパースター、ディエゴ・マラドーナが、1986年のメキシコW杯について語った『マラドーナ独白 ―1986年のメキシコW杯―』が刊行されます。自ら語った「神の手」「五人抜き」ゴールの真実とは。
「外れるのはカズ、三浦カズ」から20年。カズの当日の様子と合宿地から金髪で帰国するまでの空白の足取りを追う
1998年6月。サッカー日本代表初のワールドカップ出場となるフランス大会直前。エース・カズ(三浦知良)の代表落ちが話題をさらった。スイス「ニヨンの屈辱」とも言われるカズの落選から、成田空港に金髪で現れるまでの空白の足取りを振り返ってみる。
消えた純国産サッカースパイク『YASUDA』が復活!?現在資金を募集中!発起人は元ヤスダ愛用者の佐藤さんです!
日本初の純国産サッカースパイクメーカーだったYASUDA。2002年の日韓ワールドカップ直前に姿を消した老舗メーカー。少年時代に愛用していたという佐藤さんが発起人となり、クラウドファンディング「ルートエフ!」でYASUDAスパイクの復刻企画が行われている。
「オウンゴールをありがとう」と言われ射殺されたコロンビア代表DF『エスコバルの悲劇』
1994年のワールドカップ・アメリカ大会。コロンビア代表DF・エスコバルがオウンゴールを献上してしまい、優勝候補でもあったコロンビア代表の敗退へと繋がってしまいます。その後、帰国したエスコバルが射殺された事件『エスコバルの悲劇』を取り上げます。
1998年、日本が初出場したフランスワールドカップの興奮を憶えていますか!?
日本中が熱い声援を送った、日本が初出場のワールドカップ!皆さんは誰とどこで応援しましたか?
遡るシリーズ!【1998年・平成10年】のアレコレを振り返る
この年1998年は非常に話題の多い年でした!その中でもスポーツの話題が多く、今回のTOP1~3はスポーツネタで埋まりましたよ~(^^)/ それではご一緒に1998年を遡ってみましょう!
生意気でクール過ぎる名言集『中田語録』彼は言った「メダルより図書券が欲しい」
1998年に中田英寿がサッカー日本代表にデビューし、初のワールドカップ出場へと導いた。その頃の彼はメディアに対して明らかに懐疑的だった。クールな態度が生意気ともされた中田による名言集『中田語録』から中田らしい言葉をいくつかご紹介する。
マレーシアに「ジョホール・バルの歓喜」の20年記念ギャラリーがオープン!カズと城のキックオフを高橋陽一が再現!
1997年の「ジョホール・バルの歓喜」20周年を記念し、ラーキン・スタジアム(マレーシア)に『Johor Japan Football Gallery』が設立されました。カズと城の有名なキックオフシーン(別試合)も高橋陽一がイラストで再現しています。
あれから20年・・・1997年11月16日『ジョホールバルの歓喜』に至る激闘史を時間軸に沿って振り返る
ワールドカップ出場が夢のまた夢だった時代があった。それはついこないだのようだが、1997年11月16日の『ジョホールバルの歓喜』から20年が経つ。サッカー日本代表の1997年アジア最終予選を時間軸に沿って振り返ってみる。
イタリア代表が60年振りにW杯予選敗退!1997年のプレーオフではロシアに勝利するも今回はスウェーデンに屈す!
2018年サッカーワールドカップ・ロシア大会の欧州予選プレーオフが行われ、過去4度の優勝を誇るアズーリことイタリア代表の予選敗退が決定。1997年のプレーオフではロシアに勝利するも、今回は3大会振りの本大会出場を目指すスウェーデンに屈した。
ニュージーランドの先住民族・マオリの舞であり、同国ラグビーナショナルチームが披露することで知られるハカ。今でこそ、国際大会の場で洗練されたパフォーマンスを披露していますが、黎明期から数十年間は、ずっとグダグダな踊りをしていたことはあまり知られていません。
「ジョホールバルの歓喜」から20年!決勝ゴールの岡野氏を迎えたトークイベントが6月1日に開催!
サッカー男子日本代表が、1997年に悲願のワールドカップ出場を決めてから20年という節目に合わせ、トークイベント「朝日新聞紙面でみる『炎の70日』と『ジョホールバルの歓喜』」が6月1日(木)に開催される。ゲストにはイラン代表との試合で、延長戦で決勝ゴールを決めた岡野雅行さんが招かれている。
金髪のライオン丸・バルデラマ!’90年W杯でのスルーパスは”シルクの糸”と称された!
90年代のコロンビア代表を牽引したバルデラマ。独特のヘアスタイルもあって非常に覚えやすかった。また、そのプレイスタイルはど派手な頭とは違って、繊細なパスが持ち味だった。バルデラマのワールドカップでの活躍を中心にまとめる。
日本サッカーが世界への切符を手に入れた年。ワールドカップ初出場決定から20年!記念ユニフォームが限定発売!
サッカー日本代表がFIFAワールドカップ本戦初出場を決めた1997年から今年で20年。アディダス ジャパン株式会社は、5月1日(月)0:00より2万枚限定で“FIFAワールドカップ初出場決定20周年メモリアルユニフォーム”を発売する。
得点するGK・チラベルト!「世界最優秀GK」にも2度選出された!
長らくパラグアイ代表のGKを務めたチラベルト。がっちりとした体格から放たれるFKやPKも魅力だった。また、「世界最優秀GK」や「IFFH選定20世紀世界最優秀GK 」に選出される程の実力者であった。