2002年日韓ワールドカップの直前に消えた、サッカースパイクの老舗メーカー『YASUDA』
日本初の純国産サッカースパイクメーカーだったYASUDA(後にクリックスヤスダと社名変更)を覚えていますでしょうか。
「サッカーの安田」と呼ばれ、サッカーがマイナースポーツだった時代に、サッカー少年の足元をがっちりと支えてくれたメーカーでした。
Jリーグ開幕、フランスワールドカップ出場を経て、日本にサッカーが完全に定着し迎えた2002年の日韓ワールドカップ。
その熱狂をよそに、開幕直前にまるで役目を終えたかのように、YASUDAはひっそりと姿を消しました。

YASUDAのサッカースパイク!

ヤスダ ガウチョ!
『YASUDA』のサッカースパイクがクラウドファンディングで復活か!?
今回、スポーツ・健康に特化したクラウドファンディング&インキュベーション「ルートエフ!」にて、そのYASUDAに関する動きがあったのでお伝えします。
同ウェブサイトでは、「YASUDAの純国産サッカースパイクが復刻」と題されたクラウドファンディングが現在行われています。「あのYASUDAが遂に帰ってくる。」とのキャッチコピーも見られ、何やらこちらの期待感を煽ってくれます。
「YASUDA」の文字はスパイクにとてもよく映えます。また、90年代まではスパイク=黒色でしたよね。上記ツイートのオールカンガルーレザーでの黒色スパイク画像(左)を見ると、今ではその無骨さが新鮮に感じてしまいます。
かつてのサッカー少年たちが大人になり、支援側としてYASUDA復活に力を還元できる。時代を超えた素敵な関係だと思います。
”YASUDAのスパイク出身”の佐藤さんが企画を立ち上げた!
中学2年の時にYASUDAのスパイクを履いて以来、その履き易さに惹かれたという佐藤和博さんが、今回クラウドファンディングを利用してYASUDAのサッカースパイクを復刻させようと、仲間2人と力を合わせ企画を立ち上げました。
元々、佐藤さんはYASUDAの社員だった訳でもなく、さらには最後にYASUDAのスパイクを履いてから約20年、その存在すら完全に忘れていたと言います。
佐藤さんの回想を引用させて頂くと、
”2017年8月、フットサル仲間で昔のサッカーシューズ談話になり、同年代が多いチームメイトから「YASUDAのカンガルーレザー、蹴りやすかったし、懐かしいよね。」と言われた瞬間に、YASUDAのスパイクとのいろいろな思い出が蘇ってきたのです。”
との事です。
そこでYASUDAが既に存在していない事を知り、”自分でYASUDAを作れないだろうか。作りたい。”と。そこから復活の為に動き出したそうです。そして、元YASUDA社員の齋藤さんに辿り着き、今回のクラウドファンディングが動き始めました。凄い行動力ですね。
「YASUDAの純国産サッカースパイクが復刻」のクラウドファンディングは、2018年5月5日の募集期間が終了した時点で、7,500,000円以上集まった場合のみ、決済が行われます。
皆さんも興味がございましたら是非ご協力ください。
復刻版スパイク 概要
YASUDAの純国産サッカースパイクが復刻の詳細 - スポーツと健康に特化したクラウドファンディング「ROUTEF」
YASUDAの純国産サッカースパイクが復刻の詳細 - スポーツと健康に特化したクラウドファンディング「ROUTEF」
クラウドファンディングを行っている「ルートエフ!」へはコチラから!
YASUDAの純国産サッカースパイクが復刻の詳細 - スポーツと健康に特化したクラウドファンディング「ROUTEF」
『YASUDA』を履いていたサッカー選手達
YASUDAはかつてプロ選手とのアドバイザリー契約で、柱谷幸一やドゥンガ、ブラジル代表不動のGKであったタファレルなど、大物選手達を抱え、PR活動を行っていました。
ちなみにドゥンガ使用モデルであり、彼自身が名付け親となったガウチョシリーズは、その後人気を獲得しています。
また、元日本代表の本田泰人は、帝京高校時代にYASUDAの帝京モデル(ユニフォームと同色)に憧れていたそうですが、諸事情から他メーカーを履いていたそうです。
現在のJリーガーの多くは知らないであろうYASUDA。いつの日か日本代表の中心を担う選手が、YASUDAのスパイクを履き、ワールドカップの舞台に立つ姿を見てみたいと切に願っています!

元ブラジル代表でジュビロ磐田で活躍したドゥンガ

元日本代表FWの柱谷幸一