1997年、中田英寿が現れた
1997年5月に行われた「W杯日韓共催記念試合」で、フル代表デビューを飾った中田英寿。
以降攻撃の中心を担い、同年11月に日本サッカー界にとって悲願であったワールドカップ初出場を決める原動力となっていった。
「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれた歴史的な試合で、中田は日本の全3得点に絡む活躍で日本をワールドカップへと導いた。
試合直後にインタビューされた中田は「どうですか?ワールドカップ行きを決めて」と聞かれてこう答えている。「もう練習したくないんで良かったです」。
この試合は日曜日の夜遅くに放送されていたが、平均視聴率は47.9%と驚異的な視聴率を叩き出した。この日多くの方が中田英寿という選手を初めて知った、知っていたけどどんな人物か分からないという状況だったと回想する。そんな中、終始上記のような素っ気ない受け答えでインタビューをこなした中田。
中田=クールという図式が成り立つには充分な受け答えであった。

NAKATA 1998-2005 ~ 中田英寿 イタリア セリエAの7年間 ~ 大型本
時の人となった中田英寿
マレーシア・ジョホールバルから帰国した日本代表は、成田で記者会見を行った。その際、大車輪の活躍をみせた中田はカメラのフラッシュに包まれた。
そこでも「中田です、どうも」と素っ気ない挨拶で済まそうとする中田に「オイ、何か言えよ」と岡田監督がツッコミを入れている。
帰国後、テレビや雑誌、CMにと多数出演していくが、同時にパパラッチ的なメディアには不愛想で通していく事となる。

中田英寿を表紙に据えた雑誌「uno!」1998.3

雑誌「SWITCH」での中田特集 1998.5
1998年に入るとフランスで行われるワールドカップへ向けて、より一層日本代表に関する報道が過熱していった。そこでも報道の中心となったのはやはり中田であった。
メディアに事実と異なる伝え方をされ、うんざりしていた中田は、後に自身のオフィシャルサイト「nakata.net」で”捻じ曲げられない発言”を発信したり、”編集の効かない”生放送にしか出演しないなど既存のメディアに対して、明らかに懐疑的な態度を取っていく。
そんな中、ワールドカップ直前の5月に発売された本が『中田語録』である。
中田のクールさは、彼に対する周囲の無理解も手伝って固定化されていった。彼自身が人の目を気にせず、我が道を突き進むタイプであった為に、生意気とも言われた。
しかし、『中田語録』では彼の行動すべてに信念がある事が分かる。
以下では『中田語録』からその言葉たちを引用する形でご紹介する。
「俺にはお手本はいらない」
中田はサッカーの上達法を問われて「俺にはお手本はいらない」と答えている。
大概の子供は憧れる選手がいるものだが、中田は一切いなかったという。
また、「サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかがでしょうか?」のフレーズでも知られ、サッカー低迷期にあって貴重な情報を伝えてくれた番組「ダイヤモンド・サッカー」も知らなかったという。
憧れだけではサッカーは出来ない、その旨をこう語っている。

1977年生まれの中田世代の子供たちの憧れと言えば「マラドーナ」だったと思われる。
「メダルより図書券が欲しい」
アトランタオリンピックの直前に「メダルが欲しいか?」と問われて「メダルより図書券が欲しい」と答えている。
読書家でも知られる中田は、アトランタオリンピック前の遠征中も村上春樹の「ノルウェイの森」を読み、日本のフランス行きが崖っぷちとなった最終予選アウェイの韓国戦前夜にも村上龍の「イン・ザ・ミソスープ」を読んだという。
両作品とも人が多数死亡する重い内容だが、小説を面白いと言う中田には、没頭できる小説がオフを充実させてくれるアイテムだったようだ。
また、マンガ好きでも知られる中田は、マンガから多くの知識を吸収している。後にフランスワールドカップでの活躍によりイタリア・セリエA移籍を実現させるが、イタリアでも日本から数冊のマンガ雑誌を定期的に送ってもらっていたという。
サッカーに限らず、個人のスキルで世の中を渡り歩く事を前提としていた中田は、サッカーの試合直前の数分間に英会話や税理士試験の問題集を読み込んでいた。これには理由があった。

図書券(500円)
「ワールドカップに優勝する可能性だって、ゼロじゃない」
フランスワールドカップの年を迎えた感想に対して「ワールドカップに優勝する可能性だって、ゼロじゃない」と答えている。
初出場となる日本は、プロリーグが発足して数年の弱小国である。しかし、サッカーは何が起こるか分からない。中田はそうした状況を踏まえた上で「頑張ります」と当たり前の事を言っていたのでは、当たり前の結果しか残せないと考えていた。
事実、中田はアトランタオリンピックで日本がブラジルを破った「マイアミの奇跡」を経験している。
優勝を口にしたのは強がりではなく、本心であった。試合をする以上、勝ちにこだわる。その意志を端的に表している言葉があった。

サッカーワールドカップのトロフィーのイメージ
その他の名言
・「みんな喜ぶのが早すぎる」
ゴールの時、何で喜ばないの、と不思議がられて。(出典 『中田語録』26ページ)
・「年齢や経験を問題にするなんて、ナンセンス」
チームや代表での先輩・後輩関係について尋ねられて。(出典 『中田語録』50ページ)
・「どうして、何にでも意味を見つけたがるんでしょうね」
髪型について問われて。(出典 『中田語録』54ページ)
・「自分の足元を固めないで、どうするつもり?」
「Jリーグをよろしくお願いします」と言った理由。(出典 『中田語録』110ページ)

文庫「nakata.net 1998」 (新潮文庫)
1998年から2006年の引退まで、常に日本代表の中心に君臨した中田。しかし、その実績におごる事もなく、甘える事もなく、いい意味で生意気さを維持し続けた。
2006年のドイツワールドカップ。現役最後の試合となったブラジル戦後に、ピッチで涙する中田の胸には、それまで他者に隠してきたサッカーを愛する想いが心の底から溢れ出てきたという。
クールに燃える。そんな言葉がぴったりの選手であった。