「外れるのはカズ、三浦カズ」から20年。落選の報告を受けた6月のスイス・ニヨン
1998年に日本が悲願のサッカーワールドカップ初出場を果たしてから20年。
ハリル氏が日本代表監督が解任され、アトランタ五輪で「マイアミの奇跡」を起こした西野氏が、6月のロシアワールドカップで指揮を執る事となった。
日本サッカー界に激震が走ったが、今回の監督交代劇よりもインパクトのあった出来事と言えば、フランスワールドカップ直前の「カズ(三浦知良)の代表落ち」ではないだろうか。

カズ(三浦知良)
「Jカード 97 日本代表 インサート ダイカット版 三浦知良」

最終予選 第1節・対ウズベキスタン戦のスターティングメンバ―
《ニヨンの屈辱》
1998年6月、日本代表の合宿地のスイス・ニヨンのホテル。
フランスワールドカップに出場する選手登録は22人。その登録締め切り直前、岡田監督は選手選考に頭を悩ませていた。
マリオGKコーチが、GKは3人必要と強く訴えていた。初戦のアルゼンチンとの試合を考えると、屈強な相手チームとの実力差からもGKの怪我があり得るとの判断であった。
岡田監督は小野コーチらと発表前日の夜から深夜まで、あらゆるシチュエーション、選手の組み合わせを考えたという。

岡田武史監督
そして、最後は自分で熟考するとした岡田監督が、翌昼前に自分の部屋に呼び出したのはカズだった。落選を伝えると、岡田監督が驚くほどにカズは大きく落胆したという。
しかし、FWの柱を城彰二に据えており、カズが代表入りする道は残されていなかったのだ。
その後、チームと帯同する選択もあったが、カズという精神的支柱が代表落ちし、その選手が残る事は他の選手に対して得策ではないと判断が下された。
また、他に落選した北澤豪、市川大祐の内、北澤もカズと同様の判断がなされている。
《外れるのはカズ、三浦カズ》

岡田監督が記者たちの前で、代表落ちしたメンバーを伝えるあまりにも有名なシーン。
岡田監督から電話で落選を知らされた北澤は、相談しようとカズの部屋に向かった。するとカズが荷物をまとめている姿が目に入った。カズの落選を知らなかった北澤は「カズさんが外れたのか」と驚いたという。
その場には中山雅史と井原正巳もいたが、誰も何も言えない雰囲気だった。
そんな状況にあっても、カズは落選報告を受けた後に、同じFWとしてしのぎを削ってきた中山の部屋を訪れ、中山を鼓舞する言葉を掛けたという。
そして、カズと北澤が部屋を出ると、カズの背番号「11」を受け継ぐ事になった小野伸二が「おれ、頑張ります」と声を掛けてきたという。
そして、ホテルを出た二人はそのまま日本へは帰らずに、イタリア・ミラノへと向かった。

高校生ながら日本代表へと招集された市川大祐

日本サッカー界に現れた若き天才・小野伸二
スイスからイタリア、そして日本へ帰国
イタリア行きを決める前にはドイツ、フランスという選択肢もあったが、1994年にカズがイタリアのジェノアCFCでプレーしていた事もあり、イタリアが目的地となった。そして、ここから空白の時間が始まった。
記者たちからの質問攻めを避ける為に、移動手段は飛行機ではなく、自動車を選んだ。イタリアへと向かう車内は静まり返り、カズも北澤も個々に心の整理をしていた。
《カズが北澤に掛けた言葉》
ミラノに入るとカズの道案内でホテルへと到着した一行。カズがプライベートでも使うホテルのスイートルームで身体と心を休めた。
その時、カズは北澤に対して「キー、俺たち、ヴェルディがあってよかったな。ずっと代表でやってきて、代表の自分たちっていうふうに思っていたけど、代表はダメだった。でも、俺たちにはサッカーをやれる場所がある。そういう意味で、クラブは大事だし、ヴェルディに感謝しないとな」とポジティブな言葉を掛けたという。
(※webSportiva「北澤豪が「これだけは許せなかった」という岡田監督の裏切り采配」より引用)

「中盤のダイナモ」と称され、豊富な運動量を誇った北澤豪
落選を知らされてから一日が過ぎても、ドーハの悲劇の事も含め、色々と考えてしまったという北澤だったが、それでも久しぶりにゆったりとした時間を過ごす事が出来た。カズはその間に美容室で髪を金色に染め上げた。
その後、人目に付かないようほぼホテルにいた二人は、3日間を過ごしたミラノを後にし、日本へと向けて機上の人となった。
空白の時間を経て、成田空港での会見
成田空港に到着した二人を待っていたのは、大勢の記者たちだった。キャスケットを被り、サングラスを掛けるカズに対して、「カズさん、お帰りなさい」と優しく声を掛けたその気遣いとは裏腹に、「失意のカズ」の肉声をカメラに収めようと集まった取材陣が大挙していた。
カズは、会見場に用意された椅子に座り、取材陣から現在の心境を聞かれ、涙も見せずにある種の清々しさを持ってこう答えた。
「こういう形で帰ってきましたけど、日本代表としての誇り、魂みたいなものはむこうに置いてきたと思ってるんで、頑張ってもらいたいです。」
カズは、帰国してからも日本代表のチームメイトを気に掛けていた。
本大会、2連敗で最終戦のジャマイカ戦を迎えた日本代表。その前夜、中山に激励の電話をしている。その翌日、中山は同大会で日本代表唯一の得点を奪った。
そして、日本代表チームが帰国した際に、カズからエースの座を奪った城が、心無いファンから水を掛けられると、カズはすぐさま城に電話を掛けた。
帰宅途中に電話を受けた城は「水を掛けられた位で、クヨクヨしてたら日本のエースは務まらないぞ」と喝を入れられている。
さらに「俺なんて(最終予選中に)パイプ椅子を投げられて、生卵をぶつけられたり、色んな事があった。これが日本のエースなんだ。こんなんで絶対負けるなよ。絶対見返してやれ。」と温かい言葉をもらったという。

日本に帰国する前に金髪に染めたカズ
当時の登録メンバー数は現在より1人少ない22人。「たられば」は禁止だが、もう1枠あればとどうしても思ってしまう。
2018年2月で51歳となったカズ。彼を語る際に「現役最年長」が付加されて久しいが、20年前までエースとして日本サッカーを支えた彼の功績は決して揺らぐ事は無い。

長年、日本代表のエースに君臨し続けたカズ

カズの背番号「11」