サウジアラビア王国
中東・西アジアの国家・サウジアラビア王国。通称でサウジアラビアと呼ばれていますね。首都はリヤド。サウード家を国王に戴く絶対君主制国家です。

国旗
サウジアラビア - Wikipedia
人口は2900万人(2012年時点)で、面積は2,149,690km2(13位)です。
宗教はイスラム教が国教で、西部にイスラム教の聖地であるメッカがあるため、世界各地から巡礼者が訪れることもあってイスラム世界においての影響力は最も大きいとされています。
アジアのサッカー強豪国・サウジアラビア
近隣の中東諸国同様サッカー熱が熱い国。中東、アジア内では強豪とされ、アジアカップの上位争いの常連であり、FIFAワールドカップの常連国のひとつでもあります。
しかし、国内では気象環境の影響で、外でのスポーツに馴染みが少ないそうです。その影響か成人の肥満率が高く、政府がスポーツの振興に尽力しているとの事です。

白黒のボールのイラスト
サウジアラビア、ワールドカップへの道
サウジアラビアサッカー連盟によって編成されるサッカーサウジアラビア代表。初めて国際試合へ参加したのは1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会の予選から。
しかし、日本同様にワールドカップへの道は遠く、なかなか出場権が得られませんでした。

ワールドカップのトロフィーのイラスト
その中でも「砂漠のペレ」と称されたマジェド・アブドゥラーらが活躍し、1984年と1988年のアジアカップで連続優勝を果たします。さらに1984年に行なわれたロサンゼルスオリンピックにも出場しています。

L.A.オリンピック公式アルバム
そして、1994年のワールドカップ・アメリカ大会で初出場の目標を達成します。前年のアジア最終予選では、クエートやマレーシア、マカオを抑えて4勝2分けの負けなしで、1位通過を果たしました。
6試合で失点1と守備が機能し、カウンター重視のサッカーながら、20得点も奪い、堂々たる結果となりました。

Jドリーム (1)
日本代表は「ドーハの悲劇」でワールドカップ出場を逃しましたが、サウジアラビアは着実に実力を付けてきた時期でした。筆者の記憶では、1993年から連載が開始された塀内夏子によるサッカー漫画「Jドリーム」でも、サウジアラビアは強豪と描かれていたと思います。
サウジアラビアの名選手
【マジェド・アブドゥラー】
サウジアラビア史上最高のストライカーの呼び声も高い、得点感覚抜群のFWです。
変幻自在の高速ドリブル、爆発的な跳躍力など黒人選手らしい身体能力の高さが特徴で、「砂漠のペレ」と称されました。
1994年6月26日のアメリカW杯1次リーグベルギー戦を最後に代表を退くまで、139試合67得点の記録を残しています(非公式にはそれ以上に得点しているとも言われています)。

マジェド・アブドゥラー
【サイード・アル=オワイラン】
フォワードや攻撃的MFを務めた左利きの選手。
1994年のワールドカップ・アメリカ大会で、強烈なインパクトを残した選手で、「砂漠のマラドーナ」と聞けばあの”5人抜きゴール”を思い出される方もいらっしゃるのではないでしょうか。
グループリーグのベルギー戦では、自陣からゴールまでの約60メートルの距離を1人で駆け上がり、最終的に5人をかわしてゴールを決めるという本家・マラドーナもびっくりのドリブルからのゴールを生み出しました。
ただ、厳格なイスラム教のサウジアラビアにおいて、飲酒、愛人スキャンダルの戒律違反を犯してしまい、同大会以降は出場停止処分などを受けてしまいます。
その間に「砂漠の英雄」の異名を持つサーミー・アル=ジャービルが台頭し、さらには自身の選手としてのピークが過ぎるなどして、スターの座から降りる羽目なってしまいました。

サーミー・アル=ジャービル
サウジアラビアのワールドカップ成績
1994年:ベスト16
1998年:グループリーグ敗退
2002年:グループリーグ敗退
2006年:グループリーグ敗退
2010年:予選敗退
2014年:予選敗退

2018 サウジアラビア代表 HOME白 優勝圏用ワールドカップ WC 2腕章付
本稿執筆中の2018年6月15日、ワールドカップ・ロシア大会が開幕しました。
そして、サウジアラビアは開催国のロシアにまさかの0-5での大敗を喫しました。大会の初戦、ホームの大観衆を前に勝利するのはやはり難しかったようです。
サウジアラビアは2002年のワールドカップ・日韓大会でもドイツと対戦して0-8で敗北するなど、不本意なインパクトを残しています。
今後拡大される予定のワールドカップの出場国数ですが、アジア枠数の維持もあるので、同じアジア勢には奮起して欲しい所です。