プロ野球に関する記事の一覧です。 あなたの記憶をくすぐる懐かしいセリーグ&パリーグの球団・選手・試合・記録・エピソードなどを記事を紹介します。
【プロ野球】負け越しても防御率1位!? 最優秀防御率への様々な道のり
負け越しで "最優秀防御率" のタイトルを獲得するのはどんなケースでしょうか?先発投手が好投するも打線が不調なケース、勝敗よりセーブが優先の抑え投手がギリギリ規定投球回数をクリアするケース、その混在など様々です。今回は、12球団になった1958年以降を対象に、勝敗で負け越して "最優秀防御率" を獲得した7投手をご紹介します。
【プロ野球】最多勝!最多敗!同時に達成したタフな6人の投手たち
最多勝のタイトルを獲得しつつ、最多敗も記録するには、とにかく登板数をこなす必要があります。中でも、勝敗の主導権を握る "先発" での登板が重要で、今回ご紹介する投手は皆、先発の最多登板も記録しています。つまり、チームの大黒柱だったタフな投手ばかり。12球団になった1958年以降で、達成した全6名の投手をご紹介します。
【1976年プロ野球】史上最も僅差の首位打者!中日・谷沢 vs. 巨人・張本
1976年、セ・リーグの首位打者争いは、張本勲が日本ハムから巨人に移籍したことで、例年になく混戦を極めました。シーズン後半は張本がトップをひた走り、中日・谷沢健一やヤクルト・若松勉らが追う展開。そして、ペナントレースの最後の最後でドラマが起きます。今回は、当時の首位打者争いの様子を振り返ります。
【野村収】史上初全12球団から勝利したピッチャー!1978年には最多勝も記録
セ・パ交流戦が始まる以前、公式戦でセ・パ全12球団から勝利を挙げた投手はわずか3人です。その一人が、今回ご紹介する野村収。しかも、最多勝のタイトルも獲得したことのある実力派です。あの江夏豊でさえも達成できなかった驚異的な記録。そんな野村投手の各球団初勝利の軌跡を振り返ります。
【プロ野球】全球団からホームラン!交流戦以前に達成したたった3人の選手
セ・パ交流戦が始まる以前、公式戦でセ・パ全12球団からホームランを記録するには、セ・パ各2球団以上に所属し、ホームランを複数本打てるだけの長打力を維持する必要がありました。あの落合博満も達成できなかった大記録。記録した選手はわずか3人です。その強者3人とは誰でしょうか?
福留孝介、内川聖一、糸井嘉男…野球殿堂博物館で「2022年 プロ野球引退選手 特集展示」が開催!!
野球殿堂博物館にて「2022年 プロ野球引退選手 特集展示」が開催されます。博物館のコレクションから、2022年シーズンをもって引退を発表した選手の用具等を展示するとのこと。
【訃報】「まさかり投法」で知られる元プロ野球選手の村田兆治さんが火災で死去。
元プロ野球選手の村田兆治さんが11日未明、東京・世田谷区内の自宅での火災に巻き込まれ、病院に運ばれたものの死亡が確認されました。72歳でした。
1リーグ時代から2リーグ分立後早々までは、ハワイ生まれの日系選手が監督を務めたこともありましたが、本格的な外国人監督時代の到来は1970年代以降になります。これまで、中日の与那嶺要監督からDeNAのラミレス監督まで、9人の外国人が監督となりました。今回は、2000年までに活躍した外国人監督に関するご案内です。
【プロ野球】え?あの選手の息子なの?息子が有名人になった元プロ野球選手8選
日本のプロ野球で、親子でプロ野球選手になった例は少ないものの、子供が別の形で活躍しているケースは多くあります。特に、息子の場合、意外なことに俳優になるケースが多いようです。今回は、プロ野球選手の息子で有名人になった8選をご紹介します。
【プロ野球】え?あの選手の娘なの?娘が有名人になった元プロ野球選手8選
日本のプロ野球で、親子でプロ野球選手になった例は少ないものの、子供が別の形で活躍しているケースは多くあります。特に、娘は、アイドル、グラビア、女優、女子アナ、宝塚、スポーツ選手など形は様々。今回は、プロ野球選手の娘で有名人になった8選をご紹介します。
【古賀正明】セ・パ全球団から勝利!9シーズン38勝で達成したスゴい投手!
セ・パ交流戦が始まる以前、公式戦でセ・パ全12球団から勝利を挙げた投手はわずか3人です。その一人が、今回ご紹介する古賀正明。しかも、生涯成績38勝、現役生活わずか9シーズンで達成しています。あの江夏豊でさえも達成できなかった驚異的な記録。そんな古賀投手の各球団初勝利の軌跡を振り返ります。
巨人の黄金バッテリー・斎藤雅樹と村田真一がレジェンド投手陣を書き尽くす共著『ジャイアンツ伝統のエースたち』が発売!!
日本文芸社より、元読売ジャイアンツの斎藤雅樹・村田真一の共著『ジャイアンツ伝統のエースたち』の発売が決定しました。
大いに盛り上がりを見せているプロ野球。その熱いファンは昭和・平成から変わりませんが、皆さんが期待を膨らませて通った野球場の多くがドーム球場などに入れ替わっていきました。あの懐かしい球場は、今では解体されてもうその姿は見られませんが、そこで見られた衝撃の瞬間は、今でも記憶に残っています。
【訃報】西鉄ライオンズの元エース・池永正明さん死去。「黒い霧事件」で永久追放処分されるも後に復権
60年代に活躍した西鉄ライオンズのエース・池永正明(いけなが まさあき)さんが25日、がんのため亡くなっていたことが明らかとなりました。76歳でした。
【1975年プロ野球】最下位なのに優勝!?日本シリーズまで制した阪急ブレーブス
かつて前期・後期の2シーズン制で、ペナントレースの優勝チームを決めていたパ・リーグ。制度の短所として、前期優勝を果たしたチームが、後期で勝てなくなったケースが多くありました。その顕著な例が、1975年の阪急ブレーブス。しかし、プレーオフからは覚醒し、最終的には日本一に輝きます。そんな1975年の阪急を振り返ります。
【昔の球団】覚えていますか?2年だけ存在した球団「クラウンライターライオンズ」
ライオンズといえば、昔は西鉄、今は西武。しかし、西鉄ライオンズが身売りされ、西武ライオンズが誕生するまでの6年間、別の名称で球団は存続していました。最初の4年間が、太平洋クラブライオンズ。そして残りの2年間が、今回ご紹介するクラウンライターライオンズです。短いながらも印象深いクラウンライターの2年間をご紹介します。
ど派手なパフォーマンスで日本のプロ野球ファンの心を掴んだアニマル・レスリー
プロ野球の阪急ブレーブス(現オリックス)のクローザーとして人気を博したアニマル・レスリー(ブラッド・レスリー)さん。阪急に入団する前は、メジャーリーグでプレーしていました。派手なアクションで、プロ野球ファンの心をがっちりと掴み、まさに記録より記憶に残る選手でした。引退後はタレントとしても活躍されていましたが、2013年4月28日に54歳の若さで亡くなりました。
猛練習の申し子正田耕三は、首位打者・盗塁王を獲得したスイッチヒッター
正田耕三は、和歌山県和歌山市出身の広島東洋カープで活躍した元プロ野球選手です。現在は、野球指導者や野球解説者として頑張っておられます。アマチュア時代にはロサンゼルスオリンピック日本代表にも選出され、金メダル獲得に大きく貢献をしました。
1968年には23勝した安仁屋宗八、沖縄初のプロ野球選手だった
沖縄県から初めてのプロ野球選手となった安仁屋宗八。1964年に広島カープへ入団します。1年目から活躍を見せた安仁屋は、1968年には23勝を挙げて広島初のAクラス入りに貢献したのでした。
広島東洋カープが誇る孤高の天才バッターといえば、もちろん前田智徳しかいないでしょう。怪我が前田に襲いかかりさえしなければ、当前に日本人野手で初めてのメジャーリーガーは、前田だったとされているほど。3度の三冠王を獲得した落合博満をして、プロ野球で唯一認めるバッターは前田智徳だと言わしめた男なんですよ。