高速スライダーの元祖、伊藤智仁のあまりに短い野球人生

高速スライダーの元祖、伊藤智仁のあまりに短い野球人生

伊藤智仁投手は、1992年ドラフトでヤクルトスワローズに1位入団をした選手。入団後すぐから大活躍を見せ、ヤクルトにはなくてはならない選手になっていきます。右打者の背中にぶつかりそうなところから、外角にいっぱいに決まる。そんな高速スライダーを武器に、打者をバタバタと切って取っていったのです。


伝説の「高速スライダー」見参

1992年に開催されたバルセロナオリンピック、その野球日本代表にも選出された伊藤智仁は、1大会27奪三振のギネス記録を作ります。アメリカとの3位決定戦でも先発し、日本の銅メダル獲得に貢献しました。その年のドラフト会議では、1位指名で3球団競合の末にヤクルトスワローズが獲得します。

伊藤智仁のルーキーイヤーとなる1993年、アリゾナのユマキャンプでのこと。実際に伊藤を見た野村克也監督は、その驚きによる喜びと興奮を隠すことができなかったそうです。ヤクルトスワローズの監督に就任して4年目。これほどの新人投手を見たことがありませんでした。と言うか、長いプロ野球人生において、ここまで完成された投手に出会ったことがなかったのです。キャンプ開始後の数日で、野村監督は、屈指の名投手が入団したと確信していました。

すぐにプロで通用する

後に、セ・リーグの強打者連中をきりきり舞いさせることになる高速スライダー。その魔球を見事に操る使い手こそが、新人右腕伊藤智仁だったのです。その実力は野村監督の想像以上でした。長いプロ野球人生において、一、二を争うスライダーの持ち主と感嘆するほどの逸材に、興奮しないはずがなかったことでしょう。

野村監督が初めてキャンプで伊藤のボールを見た際、普通なら投手の魅力はストレートの威力ということで、ストレートに惚れるものですが、この伊藤の場合は違いました。スライダーの素晴らしさに驚愕したのです。初めて見てすぐに、すごいスライダーを投げると驚き、同時に、すぐにプロで通用するなとも思ったそうです。

いきなりの大活躍が

指揮官が見立てた通り、伊藤智仁は見事な活躍を披露します。イースタン・リーグ開幕戦では、同年のドラフト1位で巨人の入団した松井秀喜にホームランを打たれて敗戦投手になりますが、一軍昇格後の4月20日には初登板の先発で、7回を10奪三振2失点で勝利投手に。150km/hを超えるストレートと打者の手元で真横に滑るように曲る高速スライダーを武器に、投球回を上回る三振を奪います。その結果、前半戦だけで7勝2敗・防御率0.91という素晴らしい成績を挙げたのです。

6月9日の対巨人戦では8回まで無失点で、その上にセ・リーグタイ記録となる16奪三振を奪っていました。しかし0-0で迎えた9回裏二死から、篠塚和典にソロ本塁打を打たれサヨナラ負けに。負け試合における1試合16奪三振は、このケースが初めてでした。そして運命の7月4日の登板を最後にして戦線を離脱することになります。捕手をしていた古田敦也は、9回の先頭打者を討ち取った際に異変を感じていました。後に、伊藤を交替させるべきだったと語っています。

そしてその年のシーズン終了まで、伊藤の1軍復帰は叶いませんでしたが、前半だけの記録で新人王を受賞。それほどまでに、強烈な印象意を与えていたのでしょう。特に、6月だけで5試合に先発して投球回数は49回2/3、実に694球も投じられていたのです。規定投球回には届きませんでしたが、防御率0点台の新人王は伊藤と2021年の栗林良吏のみの2人だけなんですよ。

マウンド上で仁王立ち

伊藤智仁の高速スライダーは、本当によく曲がった、女房役を務めた古田敦也は語ります。他の投手とは明らかに腕の振りが違うとか。佐々木主浩や野茂英雄の場合、頭の上で手首を返してからひじが落ちてきます。しかし伊藤の場合は、打者の手元に近づいてきてもまだ投げないとか。球持ちの良い投手は打ちにくいと言われますが、伊藤の場合は更なる球持ちがあったそうです。

古田が、直角に曲がると称した高速スライダー、瞬く間に日本球界の注目の的となりました。各チームの名だたる主力打者が手も足も出ないんです。まさに鬼神、圧倒的存在感を漂わせる伊藤智仁が、マウンド上で仁王立ちしていました。

登板過多の代償

しかし、登板過多の代償が伊藤を襲います。7月4日の巨人戦で137球を投げ続けた伊藤は、試合中に右ひじを負傷していたのです。そして、残りのシーズンを棒に振ることに。その時は伊藤自身も、アマチュア時代にひじを故障などなかったので不安はありましたがすぐに治ると思い込んでいて、シーズン後半の復帰を目標にリハビリに励んでいました。

結局、この年の復帰はできませんでしたが、シーズン序盤における大切な時期の活躍で、伊藤はチームの日本一にも貢献したのです。更に、この驚異的な記録が評価され、あの松井秀喜を抑えて新人王にも輝きました。実働は僅か3カ月弱しかなかったのですが、前半戦に見せた鮮烈な閃光は、ファンの胸に強烈に焼きついていたのでした。

さらなる試練

野球の神様というのは残酷なもので、伊藤に更なる試練を与えます。右ひじの回復の兆しが見えていた2年目の春キャンプ、ここで新たに右肩を故障したのです。結局、復帰できたのが2シーズンを棒に振った後の1996年。翌1997年には、リリーフ役でチームの日本一にも貢献、カムバック賞も獲得したのですが、その後の伊藤智仁のプロ野球人生は苦難の連続でした。1999年には血行障害で右肩にメスを入れます。右腕は常に冷たい状態で、血圧測定の際には、なんと「0」が記録されていたのでした。

そんな訳で、2001年にも改めて右肩の手術に挑みました。実際は、手術をしても完治の保証はありません。それでも、何もしないよりはましと僅かな望みに賭けなければならないほど深刻だったのです。他の人にはない可動域を誇っていた右肩だからこそ誕生した高速スライダー、その半面で故障を誘発しやすい諸刃の剣でもあったのです。

たび重なる故障から引退に

そして2002年オフ、球団から戦力外通告が出されました。それでも現役続行にこだわる伊藤の気持ちを知った、古田敦也や宮本慎也などのチームメイトも支えてくれて、一転球団は伊藤と再契約に。年俸も世間が驚くほどの大幅減額、それでも現役続行が叶うならと、復帰に向けての意欲を見せたのです。

しかし、懸命のリハビリも効果がなく、右肩は手の施しようがなくなっていました。そしてシーズンオフのコスモスリーグが、伊藤の最後のマウンドに。すでに引退を決意してのラスト登板、その時の球速はわずか109kmだったそうです。もはや150kmを超える豪速球も、打者をきりきり舞いさせる高速スライダーも、伊藤からは離れしまっていました。

引退の決意をファンの前で

毎年恒例になっているファン感謝デーにおいて、伊藤智仁は最後のあいさつをしました。「みなさんこんにちは。私は今シーズンで引退します」と、引退の決意を発表したのです。途中言葉を詰まらせ涙ぐみながらのあいさつでした。そして最後に、伊藤を支えてくれたチームメイト・球団関係者・スタッフ・家族、大勢のファンのみなさんに感謝の言葉を述べて、伊藤の短い野球人生が終わったのです。

手にした花束を笑顔とともに高く掲げた時、球場を揺るがすほどの大きな拍手とありがとうというねぎらいの言葉が、神宮球場を包み込みました。現役通算37勝27敗25セーブで防御率は2・31。これが伊藤智仁の全ての成績です。まさに。記録より記憶に残る男・伊藤智仁のプロ野球人生でした。

最新の投稿


祝!放送55周年『サザエさん』が初のアーケードゲーム化!KONAMIから「まちがいさがし」が2026年春登場

祝!放送55周年『サザエさん』が初のアーケードゲーム化!KONAMIから「まちがいさがし」が2026年春登場

放送開始から55周年を迎えた国民的アニメ『サザエさん』が、コナミアーケードゲームスより初のアーケードゲーム化!タッチパネルで楽しむ「まちがいさがし」が2026年春に稼働予定です。アニメ本編の画像を使った問題や、2人対戦モードなど充実の内容で、小さなお子様からシニア層まで幅広い世代が楽しめる期待の新作です。


【懸賞金10万円】クレーンゲームの原点!国産初「クラウン602」全国大捜索プロジェクト始動

【懸賞金10万円】クレーンゲームの原点!国産初「クラウン602」全国大捜索プロジェクト始動

今年で誕生60周年を迎える国産初のクレーンゲーム機「クラウン602」の実機と情報を、タイトーが全国で大募集する「#クラウン602を探せ!」プロジェクトを開始。高度経済成長期に夢を与えた幻の筐体を次世代に継承するため、実機情報提供者には賞金10万円、思い出エピソードの提供者には抽選で最新ゲームソフトが贈呈されます。募集期間は2025年10月24日から2026年1月16日までです。


特撮愛あふれる「永遠のスケッチ」金谷裕~特撮画展が台場で開催!初代ウルトラマン・古谷敏氏も来場

特撮愛あふれる「永遠のスケッチ」金谷裕~特撮画展が台場で開催!初代ウルトラマン・古谷敏氏も来場

漫画家・金谷裕氏のイラスト画集『オール・ウルトラマン・スケッチ・ギャラリー』の刊行を記念し、「特撮画展~Hiroshi Kanatani TOKUSATSU SKETCH GALLERY~」がグランドニッコー東京 台場にて開催されます。円谷プロのウルトラマン・怪獣に加え、東宝など5社の特撮キャラクターのイラスト全235枚を展示。会期中の11月29日には初代ウルトラマンスーツアクターの古谷敏氏のサイン会も実施されます。


赤塚不二夫が生誕90周年!RIP SLYME、氣志團ら豪華出演陣が渋谷に集結する記念音楽フェス詳細発表

赤塚不二夫が生誕90周年!RIP SLYME、氣志團ら豪華出演陣が渋谷に集結する記念音楽フェス詳細発表

漫画家・赤塚不二夫の生誕90周年を記念したミュージックフェスティバル「コニャニャチハのコンバンハ!」の詳細が解禁されました。2025年12月5日・6日にLINE CUBE SHIBUYAで開催。RIP SLYME、氣志團、小泉今日子らが赤塚スピリッツ溢れるステージを披露します。チケット先行抽選は10月20日(月)からスタート!


世界が熱狂!葛飾商店街×『キャプテン翼』コラボ「シーズン2」開催!新エリア&限定メニューで街を駆け抜けろ!

世界が熱狂!葛飾商店街×『キャプテン翼』コラボ「シーズン2」開催!新エリア&限定メニューで街を駆け抜けろ!

葛飾区商店街連合会は、2025年10月10日より『キャプテン翼』とのコラボイベント「シーズン2」を亀有・金町・柴又エリアで開催。キャラクターをイメージした限定メニューやスタンプラリーを展開し、聖地巡礼と地域活性化を促進します。