野球・サッカー・テニス・ゴルフなどスポーツに関する懐かしの選手、画像、動画などを集めてみました。特にプロレス・格闘技には力を入れてます!
そんなに大きくない体。 あまり太くない筋肉。 哲学者的風貌。 そしてシンプルすぎる戦い方。 これで世界最強の男なんてありえない。 でも (カビラジェイ風に)あるんです。
松岡修造!!! 反骨の御曹司、リアルエースを狙え、ラケットを握ったサムライ
独特のキャラクターと熱血ぶりで「太陽神」と恐れ崇められる男。 その現役時代は世界の頂点に挑んだが、決して天才タイプではなく力んでしまう不器用なタイプの選手。 ボールを思い切り打って、ひたすらボールを追いかけるというスタイルは、決してスマートでなくケガも多かった。 しかしその感情を込めたパワーは圧倒的だった。
【箱根駅伝の名門は今いずこ】1996年の優勝校【中央大学駅伝】
今や正月のテレビには欠かせない「箱根駅伝」。直接の大学OBはもちろん、それ以外の人々にも興奮と感動を与えてくれています。今までの最多優勝校は中央大学ですが、1996年以降優勝しておらず、2017年はついに連続出場も途切れました。2018年には再出場のようですが、かつての名門を振り返ってみます。
あの偉大なスポーツ選手達が引退した時って何歳だったんだろう?もう”あの頃”の彼らの年齢を超えてしまった
ボクシングや相撲、野球、サッカー、テニスなど、数多くのスポーツや格闘技で輝いた選手達。絶頂期で引退を決めた選手、怪我と戦いながら40歳を超えても第一線で活躍した選手。”あの頃”憧れた選手たちの引退年齢と成績をまとめた。
思い出の「昭和芸能人伝記マンガ劇場」:第6回、ローラーゲームの女王!「佐々木ヨーコ物語」
ローラーゲームの中心となってブームを牽引していたのが、日本が誇るプロチーム「東京ボンバーズ」その中でも女子選手としてアイドル的人気を博したのが「佐々木ヨーコ」。そんなローラーゲームのアイドルも伝記マンガになっていた!ローラーゲームの女王のコミカライズ版です!
バスケの天才・田臥勇太が15歳でユーイングと共演!進研ゼミのCM
身長をカバーする驚異的なスピードと正確なパステクニックで日本人初のNBAプレーヤーになった田臥勇太(たぶせ ゆうた)。 幼い頃から頭角を現していた田臥が15歳の時にNBAのスーパースター、パトリック・ユーイングと共演した歴史的な進研ゼミのテレビCMを紹介。
大山倍達といえば“牛殺し”で有名。しかし、そんな伝説の空手家をも凌ぐ“熊殺し”の快挙を成し遂げた男が、大山が設立した極真会館からかつて誕生したのをご存知でしょうか?今回は、そんな“熊殺し”の男・ウィリー・ウィリアムスについて紹介していきます。
【1970年代前半】女子プロボウラーの人気は今の女子プロゴルファーのより熱かった!!
私が中学・高校に通っていた1970年前半と言えば、何と言っても日本中でボウリング熱がハンパなく熱かったのが印象に残っている。そのボウリング熱の一翼を担っていたのは、何を隠そう女子プロボウラーたちであった。特に女子プロボウラー1期生の須田開代子と中山律子は、当時超人気アイドル以上の存在で、テレビに出ない日はないと言っても過言ではなかった。そんな彼女たちを中心に当時のボウリング人気について追ってみることにしよう!!
ナディア・コマネチ Nadia Comaneci ルーマニアの白い妖精 完璧な演技で史上初の10点満点を連発 体操に革命を起こしたヒロイン
1976年のモントリオールオリンピックの女子体操で、14歳の少女が世界をアッといわせた。 団体戦規定の段違い平行棒でオリンピック史上初の10点満点。 さらに団体戦自由、個人総合、種目別でも完璧な演技をみせ、計7回の10点満点記録。 奪ったメダルは金3個、銀1個、銅1個。 153㎝、39㎏、白い肌、白いレオタード。 「白い妖精」といわれた。 1984年、22歳で現役引退。 1989年、チャウシェスク独裁政権が崩壊する直前、自由を求めてアメリカに亡命。 オクラホマ州で体操教室を開いた。 モントリオールオリンピックで初めて10点満点を出したとき、演技終了後、審判団は10点という点数を想定していなかったため「1.00」というスコアボードを掲げた。 現在はルールが変更されたので、10点満点は存在しない。
カール・ルイス「以外」で100m走で輝いた選手、90年代の世界記録上位5選+日本人最速!
80年代から90年代前半にかけて、”史上最速の男”はアメリカの「カール・ルイス」であった。そのルイス「以外」にどんなスプリンターが居たかを振り返ってみたい。”20世紀最速の男”は誰だったか思い出して欲しい。
永遠の憧れはカール・ルイス!1995年、日本人で初めて100m9秒台を体感した男「伊藤喜剛」!!
2017年、日本国内で男子100mは空前の盛り上がりを見せています。夢の9秒台はもうすぐそこ!この日本人9秒台、かつてまだ計測が手動計だった時代に追い風参考ながらも体感した男がいます。「伊藤喜剛」現代とはトレーニング法も異なった20年以上前に、100m9秒台の風を感じた男の半生に迫ります。
空手バカ一代とい漫画で、初めて知った実在の男:大山倍達。 日韓併合、朝鮮半島分断、戦後という特殊な事情から彼の素性はすり替えられた部分もあった。 最近になって、それらが明らかにされ、クリアになってきた。 しかしいくらクリアになっても、変わらなかったのは、大山倍達という人の圧倒的な強さと人間的魅力だった。
竜王、名人、王将、王位、棋聖、棋王、王座。 将棋界には七つのタイトルがあり、タイトルをかけた戦いが存在する。 戦いにはそれぞれの起源があり、そして、物語がある。ご紹介しよう。
【中年の星】死線を越えた男が選んだ戦場はキックボクシング、西村清吾(TEAM-KOK)の生き様を見よ!【NKB】
35歳でプロデビューしたキックボクサーがいる。しかも37歳でタイトルマッチ挑戦。その男の名は西村清吾(TEAM-KOK)。「リングに上がるときは命のやり取りを覚悟している」彼は落ち着いた声で話す。"中年の星"と他人は言うが、それは己の人生を彼に投影させたがる同世代の希望、願望の表れか。その背景、その生き様を知りたくて35歳にしてキックの道を選んだ西村清吾(TEAM-KOK)を取材した。
ウルトラマンとVリーグがコラボ!それぞれ50周年の節目を記念した特別企画が目白押し!
東京・池袋のSKY CIRCUS サンシャイン60展望台で、ウルトラマンとVリーグのコラボ企画を2月24日(金)から開催。それぞれ放送開始50年、国内リーグ発足50周年となる事を記念した企画で、ウルトラヒーローの変身アイテムの一部などが展示される。
大森隆男のWILD懺悔室 ~後悔する奴にはアックスボンバー!~第1回
人生には誰でも後悔していることや昔のトラウマを引きづっていることが1つや2つあるはず。しかし、そんな後ろ向きな考えてでは残りの人生を損をしてしまう。後悔している事を大森選手にアックスボンバーをしてもらい人生の荒波を超えていくそんな企画である。
魂の走り『森下広一』マラソン3戦目で五輪銀メダルを獲得した天才ランナー
バルセロナ五輪の男子マラソン銀メダリスト、森下広一。 今も語り継がれる中山竹通とのデッドヒート。 バルセロナ五輪で金を逃したモンジュイックの丘での駆け引き。 気持ちを前面に出したケンカ走法でマラソン3戦目で五輪メダリストとなった天才ランナー森下の功績と現在について紹介。
人間は、予知はできないが、常に予想をしながらl行動をしている。 そして、いま何を考え、何を行い、何と発言し、何を食べ・・・、その1つ1つの選択が自分の未来に反映されていく。 スポーツのトップ選手は、例外なくプラス思考で、楽天的な考え方をして、積極的でチャレンジ的な行動が多く行う傾向が強い。 また達成確率が高いことよりも低いことに、やりがいや情熱を燃やす傾向がある。 アントニオ猪木は、そういったポジティブな行動や考え方が桁違いである。
荒川静香 2006トリノ、逆転の金メダル 「今までのことを振り返らずに、今が1だと思って、毎日そこから進んでいこうと・・・それだけですね。」
5歳からフィギュアスケートをはじめ、10歳で3回転ジャンプを跳び「天才少女」といわれた。 22歳で世界チャンピオンとなった後、採点法が改められ惨敗。 荒川静香は1からやり直し始め、2006年のトリノオリンピックでは、点数にならないイナバウアーを出しながら、見事金メダルを獲得した。 それは受け入れる強さと自分らしさを追い求めてつかんだ逆転の金メダルだった。
プロレスラーと国会議員二足の草鞋を履いて活躍したアントニオ猪木のまとめ。 1989年に当選し、戦時のイラクに乗り込み、あわや都知事かといわれた後、自らの党の元幹事長と元公設秘書から告発され、1995年に落選するまでの事件簿。