永遠の憧れはカール・ルイス!1995年、日本人で初めて100m9秒台を体感した男「伊藤喜剛」!!

永遠の憧れはカール・ルイス!1995年、日本人で初めて100m9秒台を体感した男「伊藤喜剛」!!

2017年、日本国内で男子100mは空前の盛り上がりを見せています。夢の9秒台はもうすぐそこ!この日本人9秒台、かつてまだ計測が手動計だった時代に追い風参考ながらも体感した男がいます。「伊藤喜剛」現代とはトレーニング法も異なった20年以上前に、100m9秒台の風を感じた男の半生に迫ります。


2016年のリオデジャネイロ五輪、男子4×100MRの興奮を憶えている方は多いことでしょう。ついに日本人も100m9秒台に迫っている昨今、国内の男子100mは空前の盛り上がりをみせています。
そんな日本人初の100m9秒台‐‐‐。

まだ大きな大会以外では計測が手動計だった1995年、追い風参考ながらも100m9秒台を叩き出した男がいたことを憶えているでしょうか。

伊藤喜剛。

日本人で初めて100m9秒台の風を体感した男は、かつて世界陸上で男子4×100MRのアンカーとして日の丸を背負って戦いました。

平坦ではなかった競技人生、それを志した背景。競技人生で得たもの、それを活かしたその後の人生。永遠の憧れはカール・ルイスと語る、伊藤喜剛さんにお話を伺うことが出来ました。

陸上競技100m元日本代表
100m最高記録10秒22追風参考記録10秒12(電)/9秒8(手)
100m日本ランキング2位(10秒25/1994年、10秒22/1995年)

伊藤喜剛さん

陸上の世界を志した理由はカール・ルイス!

-陸上を志したのは何歳ぐらいの頃でしたか?

現役を引退するまで、カール・ルイスは憧れであり続けたと話す伊藤さん。

練習の時もカール・ルイスのビデオを擦り切れるまで見てから練習に向かい、終わるとまたビデオを見て、という感じだったそうです。

「そういえばカール君の後半の伸びも尋常じゃなかったですよね!」
と思わず、力強く頷いてしまいました(笑)

スプリンターとしては遅咲きだった学生時代

-カール・ルイスに憧れた少年が、自身の「速さ」を体感したのはいつ頃でしたか?

-まさに思春期といった感じですね。

陸上一筋に過ごした高校時代

-野球にサッカーにバスケ。様々な球技が盛り上がりを見せる時代に、陸上一筋の青春時代でした。

-現在はこれまでの歴史から見ても空前の短距離ブームですよね。

そう、伊藤さんは「日本人ではじめて9秒台を体感した男」なんです!

1995年の4月に追い風9.3メートルの中、9秒8で走りましたけど、その時はゴールしてからも気付いたら一瞬で壁にぶつかりそうなガーンとした勢いがあって、そこまで速いスピードは初めての感覚でした。

伊藤さんが体感した「9秒台」の世界!

大学進学…まさかのボブスレー日本代表??

-大学入学後はトップアスリートとしての道を歩まれましたか?

好不調の波、怪我にも苦しんだ大学時代

-アスリートにはどうしても怪我はつきものなんでしょうね。

-現代では「良い準備をする」という言葉が浸透しています。

メディアの洗礼を浴びたトップアスリート時代

「PHYSICAL LIFE」伊藤喜剛オフィシャルブログより。

現役時代の伊藤喜剛選手

-1995年、イェーテボリ(スウェーデン)世界陸上では男子4×100MRでアンカーを務められました。結果は当時の最高位だった5位入賞でした!

-でも史上最高の成績でしたよね!?

史上最高位の勲章、にも関わらず受けたバッシング。
まさにトップアスリートならではの苦悩だったのではないでしょうか。

怪我との戦いだったアスリート時代に出会った「加圧トレーニング」

-伊藤さんは加圧トレーニングのトレーナーとしても有名でいらっしゃいます。「加圧」とはどのようにして出会ったのでしょうか?

僕がはじめたのは1998年で、その頃は肉離れが治らない時でした。「トレーニングジャーナル」という雑誌を読んでたら、加圧トレーニングをして肉離れが改善したという記事が載ってたんですよ。 「トレーニングをして肉離れが治るか!」と思いましたけど、気になって直接電話して聞いてみることにしました。そしたら佐藤先生(加圧トレーニングの創始者)が電話に出て、「大丈夫です。すぐ治りますからいつでも来てください」と言うので、水戸から訪れたんです。 最初はベルトを巻かれて座ってたんですよ。そのうち佐藤先生から「はい、ジョギングしてみましょうか」と言われて。僕は水戸から足を引きずりながら来てるわけですよ。「座ってただけで、いきなりジョギング出来るわけないじゃないですか!痛いのに先生は何を言ってるんですか!」って僕は言いましたよ。 「じゃあ、ゆっくり歩いてみようか」と佐藤先生が言うので、言う通りに歩いてたら段々と痛みが取れてきて「あれ!?痛くない」と先生に伝えたら「そうなんですよ、血流が良くなりますから」なんて当たり前みたいに言ってくるわけです。 それで佐藤先生が「そろそろ腿上げ出来るんじゃないですか?」て言ってきて、「何言ってるんですか?水戸から足を引きずって来たヤツが腿上げ出来るわけないじゃないですか!」って反論すると「じゃあ、軽くその場で足踏みとかしてみたらいいんじゃない?」って言われてまたその通りにしてると段々腿上げも出来てきて・・・痛くないわけですよ。 そしたら佐藤先生に「ダッシュできるんじゃない?」と言われて、僕は「さすがにダッシュは無理でしょ」と思いつつ、やってみたらダッシュ出来るわけです。「えー!?なんですか!?コレ」ってなりますよね。

-まさにご自身の実体験を通して加圧トレーニングの理論を学ばれたのですね。

30歳で現役を引退、加圧トレーニングの道へ

引退後、激しい運動をしていた人が急に体を動かさなくなると体に良くないというので、スポーツクラブには通ってたんですよね。
その時「伊藤じゃないか!お前今何やってるんだ?」と声をかけられて「お前みたいなヤツがこういうスポーツクラブで教えないと後輩達が育たないだろ。俺が社長に言ってやるから」と言って、スポーツクラブの社長に言いに行ってしまったんですよね。

現役引退後も欠かさなかったトレーニング

この時の人の縁が、伊藤さんを加圧トレーニングの道へと導くことになりました。

後日スポーツクラブへ行ったら「伊藤さんですよね?社長が呼んでます」と社長に呼ばれ、社長から「トレーナーとして働きませんか?」と誘って頂き、僕の経歴を考慮して副支配人の待遇で入れてくれました。その時、社長が加圧トレーニングに興味を持っていて、「僕知ってます」ってプレゼンじゃないですけど説明をしたら、社長から「免許取って来て」と言われて免許を取得することになりました。 そして、加圧トレーニングを水戸ではじめたんですが、最初は批判だらけでした。 「血をとめる!?」「いや、止まらないです、制限してるだけです」なんてやり取りからはじまり、外した時には「ダムみたいにドーンと流れだす」と説明すると「心臓が悪いから止まっちゃうよ」「いや、止まらないですよ」みたいな感じでなかなかすんなりとは話を聞いてくれなかったです。おじいさんおばあさんばっかりでしたし。 でも勇気ある人が少しずつ来て、“肩こりが治った”とか“むくみが取れた”とか女性は“美肌になった”とか次第にサウナやお風呂で噂になっていって。どんどん忙しくなって朝から晩まで休む暇のない生活が続きました。 やがて世間でも加圧トレーニングの認知度が高まり始めました。そんななか、人のご縁があって「あなたは陸上の実績もあるし、茨城でやる人じゃない。東京で勝負した方が良い」と説得され「出資してあげる。後で返してくれればいいから」となって自由が丘に出店することになりました。 お陰様で1年も経たないうちにすぐに予約がいっぱいになって、これ以上はさばけないとなった頃、それまで共に働いていたスタッフが自由が丘へ来てくれるといった流れにもなりました。ちなみに4年ほど前にお店を買い取って今は自分がオーナーの立場で運営させていただいてます。

伊藤さんは現在、東京・自由が丘で「加圧トレーニングジム DEUX」を経営。
アスリートやスポーツ愛好家をはじめ、幅広い目的で様々なお客様が当店を訪れています。

加圧トレーニングジム DEUX(東京・自由が丘)

そして現在、フィジークチャンピオンを目指すストイックな日々!

※フィジーク…形が良くバランスの良い筋肉に加え、ステージ上での立ち振る舞い、肌の色艶、髪型に顔などトータルで評価される競技

「PHYSICAL LIFE」伊藤喜剛オフィシャルブログより。

フィジーク大会を直前に控える伊藤さんの引き締まった肉体

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