日本人初のNBAプレーヤー、田臥勇太(たぶせ ゆうた)

田臥勇太(たぶせ ゆうた)
日本人初のNBAプレーヤーになった田臥勇太(たぶせ ゆうた)。
小学生の頃、NBAのビデオで見たマジック・ジョンソンのプレーに憧れた田臥は、床屋に行くにもボールを持っていくほどバスケットボールに熱中していったという。
バスケ選手としては小柄ながらも、卓越したセンスとスピード、相手の意表を突くパステクニックで中学生時代には全国3位。大会ベスト5に選出された。
天才バスケ少年・田臥勇太の活躍は話題を呼び、15歳でテレビCMに出演することになった。
CMの共演相手はNBAのスーパースター、パトリック・ユーイング
1995年、当時15歳だった田臥勇太が出演したベネッセコーポレーション『進研ゼミ 中学講座』のテレビCM。
共演相手はなんとNBAのスーパースター、パトリック・ユーイング(当時ニューヨーク・ニックス所属)であった。

パトリック・ユーイング(Patrick Aloysius Ewing)
当初、テレビに出るのを恥ずかしがっていた田臥であったが、撮影がニューヨークでしかも、パトリック・ユーイングと一緒に出演できると聞いて、コロッと態度が変わったという。
動画で振り返る!田臥勇太(当時15歳)の出演CM
バスケに詳しい人以外は、一般的な知名度が低かった田臥だったが、『巨大な外人に挑むバスケ少年』というコンセプトは視聴者に大きなインパクトを残し、いまだに「CMに出ていたあの子だよね」って言われることもあるとのこと。
このCMで初めてバスケの本場アメリカに行き、NBAの試合を直接観戦し、憧れのユーイングと共演を果たした田臥は、「いずれNBAでプレーしたい!」という想いをより強くした。
だが、CMの視聴者も、撮影に関わったスタッフすらも、この時の少年がいずれ日本初のNBAプレーヤーになるとは想像できなかったに違いない。
CMソングは、B'zの「MOVE」
B'zらしい疾走感あふれるロック。
CMにも使われた「がむしゃらな日々は報われる」のフレーズは、夢を追いかけ懸命に努力する中学生・田臥勇太に対する応援歌のようだった。
高校時代には史上初の「9冠」を達成。憧れのNBAへ
高校へ進学した田臥は名門・能代工業高校の3年間ですべてのタイトルを取り、史上初の高校9冠を達成した。
高校卒業後、英語を学ぶためブリガムヤング大ハワイ校に進んだ田臥は3年で中退し日本に戻る。
2002年にスーパーリーグ・トヨタ自動車アルバルクに入団した田臥はいきなり活躍、チームの準優勝に大きく貢献し、新人王を受賞、オールスターにもファン投票1位で選出された。
しかし、2003年にはトヨタ自動車アルバルクを退団し、夢であったNBAに挑戦。
数チームで挫折を味わいながらも、2004年9月にフェニックス・サンズと契約、開幕メンバーに登録されて日本人初のNBAプレーヤーが誕生した。
日本人初のNBAプレーヤーは努力の天才。
小さい頃から卓越したボールさばきで活躍し、それからも常に「バスケの天才」と言われ続けていた田臥。
NBAプレーヤーになるという夢を実現できたのもその才能故で、他の日本人では無理だという声もある。
しかし、田臥本人の様々なインタビューで語られるのは常に「バスケへの愛情」と「努力の大切さ」である。
それを最も現わしているのが、次の言葉である。
NBAに憧れていた一人の少年が、NBAのスーパースターとテレビCMで共演。
努力を続けて遂に9年後、その大きな大きな夢を実現した。
「がむしゃらな日々は報われる」
身長173cmと日本人の中でも長身ではない田臥勇太が挑戦し実現した快挙は、今も多くのバスケ少年たちを勇気づけている。