世は平成に、携帯電話やインターネットなど21世紀の私たちの生活で必需品 となった様々なモノが登場した1990年代。自動車やコンポなど、自分のお金でゲット出来るモノが増えてきた時代でもあるでしょう。そんな1990年代の懐かしい記憶にスポットを当てた記事一覧です。
1984年という、国産RPGの黎明期に発売されたパソコン用ゲームソフト「夢幻の心臓」。ファンタジーとSFを融合させた斬新なシナリオと、ドラクエシリーズにも影響を与えたゲームシステムがすごかった!
劇場版「家なき子」 クリスマスなのに不幸の幕開け!これまた同情するなら金をあげたくなる内容でした!
1994年のクリスマス直前に公開された劇場版「家なき子」。安達祐実の人気を不動のものとしたドラマシリーズの劇場版でした。ドラマ同様、物凄い波乱万丈なすずの人生が展開されます!こんな悲惨な目に合う少女っています!?
研究本「磯野家の謎」 磯野家の暗い過去を暴く等、謎本シリーズ爆発的ヒットのきっかけにもなりました
「謎本」ブームの火付け役として、180万部を超える大ヒットとなった「磯野家の謎」。東京サザエさん学会により検証され、飛鳥新社から発売されました。磯野家が福岡から東京へ転居した際の隠された秘密など、69個もの謎をQ&A形式で読み解いていきます。あの笑顔に隠された彼らの秘密が暴かれる!?そんな一冊でした。
荒木伸吾がキャラデザインをした大作RPG「ブライ八玉の勇士伝説」
1986年にパソコン用ゲームソフトで発売、荒木伸吾キャラデザイン、SHOW-YAが音楽を担当した大作RPG「ブライ八玉の勇士」。話題性抜群で、多機種へ移植もされました。
【河野博文投手】ミスターに「ゲンちゃん」と愛された中継ぎエースの現在地。
1988年に最優秀防御率賞を獲得した河野投手はその後、FAで日本ハムから巨人に移籍する。1996年シーズン、首位に最大11.5ゲーム差をつけられてからの大逆転優勝(メークドラマ)に大きく貢献した。長島監督から「ゲンちゃん」と呼ばれた中継ぎエースは引退後波乱の人生を送ることになる・・・。
【野口茂樹】ドラゴンズ投手陣を支えたノーヒッターは「天敵」に移籍して・・・
ドラゴンズのエースとしてリーグ優勝に貢献し、最優秀防御率賞など数々の賞を受賞した野口投手。1996年にノーヒットノーランを達成するなど、特に巨人戦に強く「天敵」とも呼ばれた存在でした。その後、2005年にFAを宣言し、野口投手はその巨人に移籍するのですが・・・。
トラウマ級の怖いCM「覚醒剤やめますか?それとも人間やめますか?」ほか、年代別に懐かしいCMのキャッチフレーズを振り返ってみましょう。私は『100円でカルビーポテトチップスは買えますが、カルビーポテトチップスで100円は買えません!あしからず。』の藤谷美和子のかわいさと変な内容に当時衝撃を受けました。
作詞家としてヒット曲を生み出した音楽評論家の湯川れい子。「爆報!THEフライデー」でC型肝炎を告白。
12日に放送されたTBS系バラエティ「爆報!THEフライデー」で音楽評論家・作詞家の湯川れい子が長くC型肝炎を患い闘病していたことを告白。番組では湯川の軌跡や闘病の様子、そして夫の借金による家族崩壊を本人のインタビューや再現VTRを交え紹介した。
157km/hの「剛球投手」・与田剛 そのスピードゆえに肩や肘の故障と闘った野球人生でした
「剛球投手」・与田剛。剛速球を投げる新人として、異例のオールスター先発を果たすなど華々しいデビューを果たしました。しかし、その後は怪我に苦しみます。そんな波乱万丈な投手与田剛の野球人生を追います。
火曜日の「サザエさん」 私もあなたもサザエさんと何故か同じを強調した主題歌が印象的でしたね♪
懐かしの火曜日のサザエさん。「まんが名作劇場」として毎週火曜日に放送されていましたね。「窓を開けましょう~♪」から始まるあのテンポの良いテーマ曲が大好きでした!そのテーマ曲も含めて特集してみます。
『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!』100万円欲しかったあ~!
ウッチャンナンチャン司会の視聴者参加番組で、100万円目指して出演者が切磋琢磨して一生懸命取り組む姿にお茶の間で手に汗握ったものです。お題に関することができればとにかく100万円もらえるという、夢のある番組でした。
最近またロー・リスクハイ・リターンな映画が流行っているようですね?低予算で大ヒットと言えばこの映画!「ブレアビッチプロジェクト」
殺戮のペンションへようこそ・・・雪山を舞台にした背筋が凍えるゲーム「かまいたちの夜」が恐ろしかった
1994年に発売されたスーパーファミコンのゲーム「かまいたちの夜」。売上本数も125万本以上の大ヒットとなり、サウンドノベルとゆうジャンルを確立させました。閉ざされた雪山のペンションで、次々と宿泊客が殺されていくホラー仕立てのストーリーも非常に引き付けられました。
90年代 一番おしゃれな雑誌だった!?「CUTiE」 普通のおしゃれじゃ物足りない、クラブキッズたちが参考にしていた雑誌です♪
アジアの大砲として恐れられた高木琢也 センタリングを上げればヘディングで決めてくれました!
Jリーグ初期に、日本代表としてもサンフレッチェ広島の選手としても活躍した高木琢也。恵まれた身体で、打点の高いヘッドが持ち味でした。また、ヘディングだけでなく、足元の技術もありました。そんな彼を特集します。
4年に一度のオリンピック、歴代の夏季冬季大会の開催年と開催都市をまとめて確認します。
数々の記憶に残る選手や感動のプレーは憶えているのに「あれ、いつのオリンピックだったっけ?」なんて経験、ありませんか。そんなときのために夏季及び冬季オリンピックの開催年と都市、そして主な日本人メダリストをまとめてみました。大会ごとの印象的な画像と共に振り返っていきます。
歌わないバンド「叫ぶ詩人の会」。中心人物ドリアン助川はTV番組金髪先生やラジオでは深夜の顔として活躍していましたね!
ドリアン助川がボーカルを務めた「叫ぶ詩人の会」。圧倒的な詩と音のパフォーマンス。歌わないロックバンドとして有名でした。また、グループとしての活動以外にも、ドリアン助川はラジオやテレビ等のメディアでパーソナリティを務め、様々な意見を発信していました。そんなドリアン助川とグループの歴史を振り返ります。
僕らの世代はミランの10番と言えば、本田圭佑ではなく「マヌエル・ルイ・コスタ」だ!!
「マヌエル・ルイ・コスタ」。 ポルトガル黄金世代の中心人物の一人。また、アイデア豊かなパスで状況を打開したパサーでもありました。セリエAのフィオレンティーナやACミランでも活躍した名選手であり、誠実な人柄も愛される偉大な選手でした。
巨人・西本聖。天下一品のシュートを武器に打者を打ち取りまくった負けず嫌いな大投手でした!
西本聖。長嶋監督も天下一品と認めるシュートを用いて、打者を内野ゴロに仕留めていました。巨人時代には江川とWエースの座として活躍。3冠王落合との名勝負もありました。
【90年代の長者番付】バブルに愛されたオトコ達 ~バブル後期~
アツかった時代「バブル景気」も、1991年を機に景気が後退していく…。地価の下落が続く中、景気とは逆走し稼ぎまくるオトコ達を振り返ってみよう!