1970年代に起こった第一次競馬ブームと1980年代に起こった第二次競馬ブームの立役者となった競走馬たちを集めてみました。
競馬界のレジェンド・武豊に初めてのGI勝利をもたらした馬、スーパークリーク
通算勝利数は4100を超え、GI勝利も地方・海外含め100勝以上挙げている競馬界の生ける伝説・武豊。そんな彼に初めてのGI勝利をもたらした馬がスーパークリークです。天才・武豊が初めて惚れ込み、誰にも渡したくないとまで言った馬。今回は1980年代後半に巻き起こった第二次競馬ブームを牽引した馬・スーパークリークをご紹介します。
颯爽と風のようにターフを駆け抜けたマイルの女王!ノースフライト
みなさんは「ノースフライト」という牝馬をご存知だろうか?彼女の競争生活はわずか1年半。クラシック戦線の真っ只中にひっそりとデビューし、颯爽とターフを駆け抜けたマイルの女王。今回はそんなマイルの女王・ノースフライトをご紹介したいと思います。
現在も、有馬記念やに日本ダービーなどビックレースでは、10万人以上の観客を集め、人気が高い競馬。ただ、1990年代は今と比べ物にならないほどブームとなっていました。そのブームを牽引していたのが天才ジョッキーと言われている武豊だ。
GI6勝の武幸四郎騎手が引退。兄・豊とは史上初の「最多勝利新人騎手」を兄弟で受賞!
日本中央競馬会(JRA)は、調教師4人、騎手2人が引退すると発表した。その中には武豊騎手(47歳)の弟でGI6勝を挙げた武幸四郎騎手(38)=栗東・フリー=もおり、武は今月末で引退する。
20世紀最後の大スター「オグリキャップ」地方でも中央でも燦燦と輝いた芦毛の怪物!!
地方での圧倒的強さをもって中央へ飛躍。ハイセイコー以来の超人気馬として競馬界に君臨し、熱狂的な競馬ブームを巻き起こしたサラブレッド、「オグリキャップ」を振り返る
長い下積みから大輪の華を咲かせた、屈強のサラブレッド「イナリワン」
大井競馬場でデビュー後、4歳まで地方で競走馬生活を送り、5歳になってやっと中央入り、その後GⅠ制覇を果たし、オグリキャップ・スーパークリークとともに「平成3強」と呼ばれるまでになった「イナリワン」を振り返る。
小川はいつしか大河になった!スタミナとスピード兼備のスーパークリーク
武豊と共に菊花賞で初G1を勝ち取った。「東京競馬場でG1を勝ちたい」と言っていてた武に、天皇賞・秋でその願いを叶えたのもスーパークリークだ。名手のキャリアの出発点で、スーパークリークは今も輝き続けている。
1990年、中央競馬を賑わせたオグリキャップが引退した。しかし、その年の菊花賞で新たな芦毛のスターが誕生した。 それがメジロマックイーンである。親子三代天皇賞馬という偉業も達成した彼の軌跡を追いたい。
アドマイヤベガは二冠牝馬ベガの初年度産駒であり、日本ダービーを制した名馬である。 しかしながら、その道のりは決して平坦ではなかった。 そんなアドマイヤベガの生涯を追っていきたい。
ウオッカ、ブエナビスタ、ジェンティルドンナと近年牡馬と互角に渡り合う牝馬の 活躍が目立つ。これらの女傑も偉大だが、その扉を開いた馬がいる。それがエアグルーヴだ。牝馬が牡馬に混じってG1を勝つことができるのはせめてマイルまで、そんな時代に天皇賞を制し、牡馬と互角のレースを繰り広げたエアグルーヴの軌跡を追っていきたい。
1998年11月1日の天皇賞秋、圧倒的一番人気だったサイレンススズカに悲劇が 訪れた。レース中の骨折、安楽死、サイレンススズカの一生はそこ終わりを迎えてしまった。まだまだどこまで強くなるかわからなかったサイレンススズカの一生を振り返りたい。
日本馬として最初に海外のG1レースを制覇したのは タイキシャトルでもエルコンドルパサーでも無く、シーキングザパールである。 日本の海外遠征の先駆けとして結果を出したシーキングザパール そんな彼女の魅力に迫っていきたい。
「武豊」・・・。当時、最年少最速でJRA1000勝を達成、日本人騎手として初海外G1制覇等々、多くの栄冠と「天才」の名を手にしていた。しかし、そんな彼にも唯一届かないタイトルと言われていたのが、「日本ダービー」だった。そんな天才が日本ダービー制覇を強く意識した馬、それが「ダンスインザダーク」。ここでは天才武豊と社台の優等生ダンスインザダークのクラシックへの挑戦を追う。
武豊が騎乗した馬といえば?誰もがディープインパクトと答えてしまいそうだが 武豊に初めてダービーの栄冠をもたらしたのは、スペシャルウィークである。 ディープに勝るとも劣らない彼の実力を戦歴とともに振り返っていきたい