超良血馬
アドマイヤベガの父は言わずと知れたサンデーサイレンス。母は二冠牝馬ベガと
日本競馬史上が誇る最高の血統と言っても過言では無かった。しかしながら
母同様生まれながらに脚が曲がっているなど難点も見えた。

父は言わずと知れたサンデーサイレンス
サンデーサイレンス逝去

母は二冠牝馬ベガ
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衝撃のデビュー
アドマイヤベガのデビューは2歳の秋、血統もあってか、圧倒的一番人気
それに応え、快勝するのだが、直線、斜行し、4着降着
しかし、アドマイヤベガは次走を未勝利戦ではなく、条件戦のエリカ賞を選択
ここを快勝すると重賞のラジオたんぱ杯も勝利、実質3戦3勝とし
来年のクラシックの主役の一頭となるのであった。

ライバル登場
アドマイヤベガの3歳初戦は弥生賞、ここでも一番人気に支持されるが
ナリタトップロードを交わすことができず、2着敗退。
初めてゴール板を先に譲ることとなった。
続く皐月賞も一番人気に支持されるが、体調不良も重なり
6着敗退。勝ったテイエムオペラオー、3着のナリタトップロードとともに
この後のクラシック戦線を盛り上げていくのであった。

テイエムオペラオーとナリタトップロード
テイエムオペラオー 人名人物検索
母仔クラシック制覇
続く日本ダービーは人気をナリタトップロードに譲る形となり
アドマイヤベガは2番人気での出走となる。
レースは先に抜け出すテイエムオペラオー、それを捕らえるナリタトップロードを
さらに差し切る形でアドマイヤベガはゴール板を先頭で駆け抜ける。
母ベガがオークスを制してから6年、同じ府中の舞台で息子のアドマイヤベガが
栄冠を手にした瞬間であった。

三強が凌ぎを削った日本ダービー
1999 日本ダービー 2番人気 : 「1番人気以外で」武豊が勝ったG1まとめ - NAVER まとめ
早すぎる引退
ダービーを制したアドマイヤベガは夏は休養にあて、秋は京都新聞杯から始動する。
人気はナリタトップロードに譲ったものの、勝ったのはアドマイヤベガ
クラシック最後の菊花賞制覇に向け、最高のスタートを切った。
菊花賞では一番人気に支持をされる。しかし、ここでは6着敗退と結果を出せなかった。
この後、休養に入るが、結局、故障し、引退。約1年の競走成績となり
早すぎる引退をファンは惜しんだ。

種牡馬入り
アドマイヤベガはテイエムドラゴンやメルシーモンサンといった二頭の
障害G1馬を出し、またキストゥヘヴン、ブルーメンブラッドといった
平地のG1馬も出した。しかしながら、8歳の若さで亡くなってしまい
父のようのダービーを制覇する馬は現れなかった。

桜花賞馬キストゥヘヴン
武豊騎手
アドマイヤベガはデビューから引退まで武豊騎手が手綱を取った。
母のベガも武豊騎手が主戦であり、母仔2代に渡り武豊騎手に栄冠をもたらした
のである。ダービー二連覇の傍ら、デビュー戦の降着で秋のG1に乗れないなど
色々と思い出深いことは間違いない。


兄弟
弟のアドマイヤドンはダートを中心にG1レースを7勝、アドマイヤボスも
重賞戦線で活躍し、兄弟揃って活躍をした。母ベガの偉大な血が成せる技である。

弟アドマイヤドンはダートで大活躍
アドマイヤドン・ドバイへ
まとめ
アドマイヤベガはデビュー戦の降着から始まり、弥生、皐月で結果が出せず、このまま終わってしまうのか?と思わせたが、日本ダービーで見事な勝利、結果、G1勝利はこの一つだけだったが、母ベガの思いもあり、非常に重みのあるG1制覇だった。種牡馬としても上々の活躍をしていただけに、急逝が本当に惜しまれる馬だった。
