メジロ牧場の至宝
祖父メジロアサマ、父メジロティターンはともに天皇賞馬
メジロマックイーンはメジロの血を受け継ぐ、まさにメジロ牧場の
至宝と言って良い存在であった。

祖父メジロアサマ
メジロアサマ | 競走馬データ - netkeiba.com

父メジロティターン
TURF☆DUST: 2011年8月
菊花賞制覇まで
メジロマックイーンと言えば典型的な上がり馬である。
春は思うような成績を残せず惜敗続き、夏の北海道で勝ち星を重ねると
3000メートルの条件戦嵐山ステークスで2着に入る。
賞金的に出走は微妙となったが、回避馬も出て、菊花賞に出走すると
4番人気ながらも勝利をおさめる。同期のメジロライアンが人気を集めていた
だけに、メジロはメジロでもマックイーンの方だと言われた。

親子三代天皇賞馬の偉業を達成
メジロマックイーンは休み明け、年明け初戦の阪神大賞典を
快勝すると、最大の目標である天皇賞春に出走する。
圧倒的人気に応え、勝利し、親子三代天皇賞馬の偉業を達成した。


同じメジロに屈する
メジロマックイーンの同期と言えば、同じメジロのメジロライアンである。
実力はマックイーン、人気はライアンと言われていた。
次走の宝塚記念では、今まで負かしてきたメジロライアンに敗れ2着。
春をG1連勝で飾ることはできなかった。

史上初の屈辱
秋の京都大賞典を快勝すると天皇賞春秋制覇を目指し
メジロマックイーンは天皇賞秋に出走する。メンバーも小粒で
圧倒的人気に応え、5馬身差の圧勝。春秋連覇を成し遂げた。
しかし、まさかの1コーナーでの斜行により、18着降着。
天皇賞春秋制覇は幻となった。
噛み合わない歯車
メジロマックイーンは次走はジャパンカップに出走。しかし人気に
応えることができず、4着敗退。グランプリの有馬記念は
ブービー人気のダイユウサクに差し切られ2着に敗れる。
結果、秋はG1レースを勝利することができなかった。

世紀の対決
翌1992年、天皇賞春連覇を目指すメジロマックイーンは
阪神大賞典を快勝し、本番に挑む。しかし天皇賞でのメジロマックイーンは
2番人気だった。無敗の二冠馬トウカイテイオーが1番人気に支持されていた
からである。世紀の対決と注目された一戦だったが、結果
メジロマックイーンが勝利し、トウカイテイオーは5着。
どんなもんだいと言った感じのメジロマックイーンの天皇賞春連覇であった。

春の盾三連覇に挑む
この後メジロマックイーンは休養し、復帰初戦は翌年の産経大阪杯
明らかに太め残りだったが、他馬を全く寄せ付けず快勝。
天皇賞春三連覇の偉業にむけて、万全の状態で挑んだ。
しかし、圧倒的な人気を背負うもライスシャワーの前に敗れ、2着。
偉業達成はならなかった。

史上初の10億円ホース
天皇賞では敗れたものの、グランプリの宝塚記念を快勝し
秋初戦の京都大賞典もレコードタイムで快勝。
積み上げた賞金が10億円を超え、史上初の10億円ホースとなる。
秋も主役を期待されたが、京都大賞典後故障発生。
年齢もあり、引退することとなった。

その血を受け継ぐもの
種牡馬としてのメジロマックイーンはホクトスルタンやエイダイクイン
ディアジーナなど、そこそこの活躍馬を輩出する。
それよりも母の父として優秀で、オルフェーヴル、ドリームジャーニー、ゴールドシップと
ステイゴールド産駒の母の父として実績を残す。ステマ配合として話題になったくらいである。

ホクトスルタンには親子4代天皇賞馬の期待がかかったが…
芦毛の逃走劇 - ふと気がついた…時

ゴールドシップ

三冠馬オルフェーヴル
オルフェーヴルがフォワ賞に出走|アストンヨーチャンの日常
評価
全21戦中19戦で3着以内、残るはジャパンカップの4着と降着した秋の天皇賞と
ほぼ完璧な成績だった。単勝人気も古馬になってからは、ほぼ1倍台の人気で
馬券を買っているファンからすれば、これほど頼りになる馬は他にはいなかった
だろう。
また、ステイヤーと思われがちだが、レコード勝ちを何度もおさめており
後続をぶっちぎったレースも多々ある。
メジロマックイーンはスピード面についても文句無しの名馬だった。
