諸刃の剣
シーキングザパールのデビューは2歳の夏、大物外国産馬として
堂々とデビュー戦を飾ると、続く新潟2歳Sではまっすぐ走らないという
気性の荒さを露呈してしまい、3着敗退
気を取り直し、デイリー杯では、後の天皇賞馬メジロブライトを5馬身差で下し
重賞初制覇。2歳女王決定戦も圧倒的1番人気だったが、伸びあぐねて4着敗退。
勝つ時は強く、負ける時はもろい、シーキングザパールはまさにその典型だった。
マイルの頂点へ
年が明けて、当時は外国産馬のためクラシックレースの出走資格が無かった
シーキングザパールは重賞連勝を重ねて、2歳の頃のうっぷんを晴らしていく
大本命で迎えたNHKマイルカップも牡馬を従えての圧勝。同期のメジロドーベルや
キョウエイマーチとどちらが強いのか、秋の対決が非常に楽しみであった。
しかし、秋初戦のローズSは距離の壁なのか、キョウエイマーチの3着に敗れ
またもや脆さを見せてしまう。この後、休養に入り、結果、秋のG1レースに
顔を見せることは無かった。
復活とタイキシャトル
シーキングザパールの休み明け初戦は高松宮記念のトライアルレース、シルクロードS
人気はイマイチだったが、チカラの違いを見せつけ勝利。続く高松宮記念は1番人気に支持されるも、4着敗退、安田記念は道悪という悪条件もあってか、二桁着順の10着に敗れてしまう。このレースを先頭でかけるのはタイキシャトル、同世代の短距離戦線の最強馬であり、これからともに世界を駆けるライバルでもあった。

史上初の快挙
シーキングザパールは夏は休養せず、海外遠征を行う。タイキシャトルとともにフランスのG1レースに挑戦することとなった。日本の期待は無敵の王者タイキシャトルに向けられ、正直、シーキングザパールにはあまり期待がされていなかったと思う。
シーキングザパールはタイキシャトルと同じレースではなく、一週前のモーリスドギース賞に出走する。人気はイマイチだったが、武豊騎手を背にレコードタイムで快勝、史上初、日本馬による海外G1制覇を果たしたのであった。


タイキシャトルに勝つために
シーキングザパールはその後、ムーランドロンシャン賞に出走するが、相手強化もあって、5着敗退、帰国初戦のマイルチャンピオンシップは8着、そのはるか前にタイキシャトルはいた。史上初の海外G1勝利もタイキシャトルが翌週に勝ってしまうなど、シーキングザパールにとってタイキシャトルはどうやっても敵わない相手だった。そんなタイキシャトルのラストランとなるスプリンターズステークス、シーキングザパールにとっても一矢報いるラストチャンス、タイキシャトルの圧倒的な勝利を期待したが、思うように伸びない。そんなタイキシャトルを大外からシーキングザパールが襲いかかる。そして差し切る。タイキシャトルには勝った。しかし、その前には同じシーキングザゴールド産駒のマイネルラヴがいた。こうして、タイキシャトルには勝利をしたものの2着敗退というなんとも煮え切らない結果となった。

日本でのラストラン
翌年もシーキングザパールは現役を続ける。
今度はアメリカに矛先を向ける。しかもダート戦、人気は無かったが、4着とまずまず好走する。帰国初戦の高松宮記念は1番人気に支持されるも、2着惜敗、続く安田記念もグラスワンダーとエアジハードの死闘の前に3着敗退となり、これが日本でのラストランとなった。


アメリカ遠征、引退へ
シーキングザパールは今度は遠征ではなく、アメリカへトレードという形で海を渡る。この後、2戦するも勝ちきれず、引退、そのまま、アメリカで繁殖牝馬となった。牡馬と互角に戦い、日本馬として海外G1レースを制したシーキングザパール。しかしながら、彼女が最も強いと思えたのは、連勝街道を突き進んだ3歳の春だったと思っている。
アメリカでの繁殖生活
アメリカで繁殖生活に入ったシーキングザパールは日本に逆輸入という形で一番仔
シーキングザダイヤを送り込む。シーキングザダイヤはG1レースで2着が9回という
かなり個性的な成績を残した馬となった。
しかし、繁殖牝馬としての生活を送っていたシーキングザパールに悲劇が襲う
おそらく落雷と思われるのだが、非業の死を遂げてしまう。11歳であった。

シーキングザパールのベストレース
シーキングザパールのベストレースを1つ挙げろと言われれば、このレース
マイネルラヴには負けたもののタイキシャトルには先着したスプリンターズステークス
意を決して外から追い込んだシーキングザパール、武豊とシーキングザパールの執念が感じとれる一戦である。