
デビュー戦の圧勝とゲート難
サイレンススズカのデビューは年が明けて3歳になってからだった。鞍上に上村洋行をむかえて、圧勝。デビューしたばかりの馬だったが、クラシック候補の声が上がる。
しかし、2戦目に迎えた弥生賞でサイレンススズカはゲートをくぐってしまい、外枠発走、挙句の果てに出遅れ、皐月賞の切符を逃してしまうが、ある意味サイレンススズカを有名にした一戦と言っても良いだろう
日本ダービーを目指す
仕切り直しの条件戦はまたも圧勝。まともに走れば強いのだ。続く日本ダービーの切符をかけたトライアルのプリンシパルステークスはさすがに相手が強化されたか、最後詰め寄られながらも勝利をし、ダービーへと駒を進める。ダービーでは同型逃げ馬サニーブライアンがいたため、控える競馬を試みるも、掲示板にものれず敗退。大物と騒がれながらも結果を出せなかった春だった。

新たなパートナーとの出会い
秋になり、神戸新聞杯を2着、古馬に挑んだ天皇賞秋は逃げて見せ場たっぷりの6着、続くマイルチャンピオンシップはマイルとハイペースの二重苦で15着敗退。暮れの香港国際カップは逃げてあわやと思わせるが、5着敗退。結果、秋は1勝もできなかったが、香港でタッグを組んだ武豊騎手との出会いがこの馬の翌年からの快進撃につながることとなる。

快進撃
古馬になったサイレンススズカはオープン特別のバレンタインステークスから始動し、中山記念、小倉大賞典と重賞レースを連勝。完全に本格化をする。
さらに次走の金鯱賞はミッドナイトベットやマチカネフクキタルを相手に大差のレコード勝ち、G1宝塚記念も勝利し、半年で負けなしの5連勝。一気に頂点に駆け抜けたサイレンススズカだった。
史上最高のG2
サイレンススズカは秋の天皇賞を目指し、毎日王冠から始動する。
このレースには無敗の3歳馬、エルコンドルパサーとグラスワンダーも出走しており
G2レースながらも入場者数は13万人を超え、G1以上の盛り上がりを見せた一戦は
サイレンススズカが後続に影も踏ませない逃げ切り勝ち。
史上最高のG2を制したサイレンススズカは、最高の状態で秋の天皇賞へ
駒を進めるのであった。
運命の天皇賞秋
11月1日に行われた1998年の天皇賞秋。サイレンススズカは1枠1番と逃げ馬にとって
最高の枠を手に入れ、当然のごとく単勝オッズは1.2倍の一番人気、天皇賞秋は
不思議と一番人気が勝てないレースで、府中には魔物が住んでいると言われていたが
さすがに今年はそのジンクスも破られるだろうと思われていた。
ゲートを勢いよく飛び出したサイレンススズカは1000メートルを
56秒台で駆け抜ける。誰もが楽勝、そう思った後続を大きく離して迎えた3コーナー過ぎで悲劇が起こる。
左前脚手根骨粉砕骨折
サイレンススズカはゴール板を駆け抜けることなく、その生涯を閉じた。
その後の評価
毎日王冠で負かした二頭、エルコンドルパサーがジャパンカップを勝利し、翌年の凱旋門賞でも2着。グラスワンダーはグランプリ三連覇を成し遂げ、これらの活躍がサイレンススズカの評価をさらに高めることとなった。
また、鞍上の武豊騎手もディープインパクト騎乗後、もしディープインパクトが負けるとしたらこの馬として、サイレンススズカの名前を挙げている。


また2011年にはJRAのCMにも起用されている。
逃げ馬と武豊騎手
武豊騎手は実は中央のG1レースで逃げ切り勝ちが無い。宝塚記念は南井騎手による勝利のため、2015年の天皇賞秋も逃げ馬のエイシンヒカリに騎乗したが、勝つことはできなかった。もし、サイレンススズカが無事天皇賞を駆けていたらと思うジンクスである。

サイレンススズカの涙が出る話
優駿たちの蹄跡13巻はサイレンススズカの幻のゴールが描かれている。加茂厩務員とのやりとりは涙無しでは語れない。ファンであっても無くてもぜひ見てほしい話しである。