黒澤浩樹  圧倒的な空手家  驚異の下段回し蹴り 格闘マシン  ニホンオオカミ 反骨の戦士

黒澤浩樹 圧倒的な空手家 驚異の下段回し蹴り 格闘マシン ニホンオオカミ 反骨の戦士

他の一切を拒否し「最強」を目指すことのみに生きた男。 敵の脚と心をへし折る下段回し蹴り(ローキック)。 ルール化された極真空手の試合においても、ポイント稼ぎや体重判定、試割判定で無視し、倒すこと、大きなダメージを与えることを目指す姿は、まさに孤高のニホンオオカミ。 また指が脱臼し,皮だけでぶら下がっている状態になったり、膝の靱帯が断裂しグラグラになっても、絶対に自ら戦いをやめない格闘マシン。 総合格闘技やキックボクシング(K-1)への挑戦し戦い続けた反骨の戦士。 黒澤浩紀は、最期まで退くことを知らず死んでいった。


4月1日、入社式が東条会館で行われた。
式後、辞令が渡され、そのまま現場へ直行した。
1度バスで本社へ、そこから歩いて電車に乗り栃木県の最寄り駅、そしてタクシーはどんどん山奥へ入っていき、ゴルフ場の建設現場のプレハブに着いた。
1階には事務所とトイレと風呂と食堂、ミーティングルーム。
2階は2人1部屋の住居スペース。
黒澤浩樹は6時に起きて走った。
自然の中を走っているのに爽快感はなく戦闘モードにもなれなかった。
そして1日中、測量をした。
夜はみんなタバコを吸いながらマージャンをしていたが、黒澤浩樹は1人部屋にいた。
悪い人は1人もいなかったが、黒澤浩樹はずっと思っていた。
「何かが違う」
山田雅稔に電話した。
「先生、もし俺が会社辞めたら道場出せますか?」
「そりゃ出せるよ」
しかしまだ入社2日目。
まだ辞めるわけにはいかない。
3日目の夜、東京の本社から部長が迎えに来て、荷物を取りに家へ帰った。
そして翌朝、自分の車で栃木へ戻った。
「ちょっとお話があるんですけどよろしいですか」
その日の仕事が終わった後、現場監督の部屋に入った。
「何だい」
「自分は6月に試合を目指しています。
ここにいると練習もできないんで辞めたいんですけど」
「それは全然構わないよ」
「あっ、そうですか。
ありがとうございました」
黒澤浩樹は頭を下げ、荷物をまとめ車で出た。
1度家に帰り、道場へ直行した。
道場の近くに車を停め道場へ行くと後輩に会った。
「あれっ、先輩、どうされたんです?」
「辞めたよ」
「じゃあまた俺たちの脚蹴るんですね」
2人で大笑いした。
久しぶりの稽古を終え家に帰ると父親に怒鳴られた。
黒澤浩樹は耐えきれず1週間家出した。

自分を信用しろ

6月の第4回全日本ウエイト制まで2ヵ月間、黒澤浩樹は稽古とトレーニングに取り組んだ。
ウエイト制大会は2日にわたって行われ、土曜日が予選、日曜日に本戦が行われるが、黒澤浩樹が出る重量級は出場選手が少ないため2日目のみだった。
金曜日、黒澤浩樹は京都の玉木哲郎の実家に泊まった。
土曜日、玉木哲郎がいった
「よし走るぞ」
調整のために走るのかと思ったが凄い距離を走らされた。
その後も神社で階段ダッシュをやり、実家まで走って帰った。
翌日、試合だというのに黒澤浩樹は疲れ果ててしまった。
「いいんだ、いいんだ」
玉木哲郎はいった。
夕方、電車で大阪へ。
空いているシートに座ろうとすると玉木哲郎が止めた。
「座るな。
お前立っとけ」
大阪に着いて早くホテルで休みたかったが
「1回、試合場みにいくで」
と会場へ行った。
食事を終えホテルに入ると
「なんだチャンプやってるじゃないか。
観るぞ」
と2人で土曜洋画劇場をみた。
黒澤浩樹が寝ころぼうとすると
「横になんじゃねえよ。
集中しろ」
と座らされた。
試合当日の朝、疲労感があった。
玉木哲郎は
「大丈夫、大丈夫」
というだけだった。
結局、黒澤浩樹は決勝まで上がったが、七戸康博に本戦で判定負けした。
2位という結果には満足できなかったが、世界大会への出場権を得ることができた。
「今回は調整もしなかったし試合の前日にも結構、練習しただろ。
疲れていてもここまで出来るんだ。
お前は自分を信用しろ」
玉木哲郎は、前年の全日本大会で屈辱的な負け方をした黒澤浩樹に自信を蘇らせるため、あえて調整をしなかったのである。

血まみれの世界大会

黒澤浩樹は、第4回世界大会に出場。
170㎝台の黒澤浩樹の下段回し蹴り1発で体の大きな外国人が無力となった。
15名の日本代表選手の中で、やっぱり黒澤浩樹が1番強かった。
しかし2回戦で左足人差し指を骨折。
指の中で骨が動いているのを自覚しながら戦い続けた。

5回戦でヨーロッパ チャンピオンのピーター・スミットと対戦。
試合前、ピーター・スミットは、黒澤浩樹の控室に行った。
「お前が黒澤か?」
黒澤浩樹は、ケンカを売られたと認識した。
そんな因縁もあって試合はヒートアップした。
開始と共に黒澤浩樹は突っ込んでいった。
そしてピーター・スミットを場外まで押し出した。
このとき折れている左足がピーター・スミットの膝に当たり、腰まで痺れが走った。
以後、左脚の膝から下の感覚がなくなった。
結局、延長4回を戦い、判定で勝ったが、その後の試合を棄権した。
左膝に血が溜まり、左足中指は内部で動いてしまっていた。

自分の道場を持ち、指導者に

1988年、ソウルオリンピックが開かれた年、また1週間で会社を辞めた翌年、黒澤浩樹は自分の道場を持った。
JR中野駅から徒歩5分。
その道場は地下で湿気が多いが、思い切り声を出してもかまわない。
道場としては最高だった。
それから7年、黒澤浩樹はここで汗をかき続けた。

誤審?に怒り自滅

1988年11月20日、第20回全日本大会の3回戦で、黒澤浩樹は吉岡肇と対戦。
ガンガン押していた試合中盤に、 吉岡智の上段後ろ回し蹴りが側頭部に巻きついた。
黒澤浩樹は、腕で受けていたが少し体勢を崩した。
しかし攻撃し続け、吉岡智を場外に押しやった。
黒澤浩樹にダメージはなかったので主審は流したが、副審の広重毅師範が笛を吹いて「技あり」をアピール。
10秒ほどたってから主審が試合を止め、4人の副審の確認をとると、全員が旗で「技あり」を示した。
(倒せばいいんだろ!!)
黒澤浩樹は怒り、すぐに吉岡智をダウンさせ「技あり」を取り返した。
その後も暴走は止まらず強引な攻撃を続けた。
吉岡智は、間合いを詰めて攻撃してくる黒澤浩樹に下がりながら左上段回し蹴りを合わせた。
黒澤浩樹はマットに倒れた。
技あり、合わせて一本。
黒澤浩樹は負けた。

試合態度不良?で謹慎処分

1989年の第21回全日本大会の3回戦では、イランから日本の本部道場に稽古に来ていたホセイン・サディカマルと対戦。
ホセイン・サディカマルは、下段回し蹴り対策として徹底的に接近戦を展開。
そして「掴み」の反則を多く犯した。
試合は本戦と2回の延長戦でも決着がつかず、10㎏以上の差がある場合は軽い者を勝ちとする体重判定で黒澤浩樹は敗れた。
あまりに反則が多かったホセイン・サディカマルの勝利に場内からブーイングが起きた。
またおそらく主審は延長戦の回数を間違えていた。
2度目の延長戦で決着がつかなければ、体重判定、試割り判定となるが、この試合で主審は、副審が2-0で黒澤浩樹の勝ちを支持した後、自身は引き分けを宣告し、両者をもう1度戦わせる素振りをした。
主審は延長戦を数え間違えていなければ、黒澤浩樹の勝ちを支持したのではないか?
会場には、ブーイングに加え「再試合」コールまで起こった。
黒澤浩樹は、延長戦が行われるかも知れないと試合場の端で立って待った。
本来、極真空手の試合のルールでは、本戦と2回の延長戦、体重判定、試し割判定で勝敗を決める。
しかし大山倍達が
「もう1度だ」
といえば特別に試合は続行された。
だが結局、この試合はそのまま終わり黒澤浩樹は敗者となった。
以上が12月24日のことである。
そして年が明けて間もなく黒澤浩樹に
「無期限謹慎処分
(稽古はしてもよいが大会には出られない)」
が下された。
理由は「試合場での態度不良」ということだった。
雑誌「パワー空手」には、「黒澤浩樹、総裁に怒られ謹慎」という記事が掲載された。
この記事をみた黒澤浩樹の父親は黙り込み、母親は寝込んでしまった。
兄も
「お前、もう辞めろ。
ここまでいじめられてどうして続けるんだよ」
といった。
しかし黒澤浩樹に辞める気はさらさらなかった。
(絶対にみんなに認めさせてやる)

全日本大会1回戦負け 栃木県大会に出場

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