黒澤浩樹  圧倒的な空手家  驚異の下段回し蹴り 格闘マシン  ニホンオオカミ 反骨の戦士

黒澤浩樹 圧倒的な空手家 驚異の下段回し蹴り 格闘マシン ニホンオオカミ 反骨の戦士

他の一切を拒否し「最強」を目指すことのみに生きた男。 敵の脚と心をへし折る下段回し蹴り(ローキック)。 ルール化された極真空手の試合においても、ポイント稼ぎや体重判定、試割判定で無視し、倒すこと、大きなダメージを与えることを目指す姿は、まさに孤高のニホンオオカミ。 また指が脱臼し,皮だけでぶら下がっている状態になったり、膝の靱帯が断裂しグラグラになっても、絶対に自ら戦いをやめない格闘マシン。 総合格闘技やキックボクシング(K-1)への挑戦し戦い続けた反骨の戦士。 黒澤浩紀は、最期まで退くことを知らず死んでいった。


下宿していた神奈川県伊勢原市から同県座間市は車で30分。
座間市の中村辰夫の道場は、幼稚園を借りて稽古を行っていた。
その中に小笠原和彦がいた。
小笠原和彦は、東海大学の4年生で学校でも道場でも黒澤浩樹の先輩となった。
高校生のとき、通信教育で空手を始めた。
高校3年間、国語、古文、英語の3教科がオール10。
東海大学文学部史学科に推薦入学。
以後、1日8時間、空手の自主トレに費やした。
武道専攻の学生に他流試合を申し込み、連戦連勝。
木刀を持った相手はスライディングキック一撃。
空手部の主将はハイキックでKOした。
1980年、極真空手の第12回全日本大会に緑帯で出場。
1回戦、6秒でKO勝ちし、最終的にベスト16に入った
第15回全日本大会、準優勝。
第16回全日本大会、5位。
第18回全日本大会で7位。
第3回世界大会、ベスト16。
100人組手にも挑み、43人で失敗。
上段回し蹴り、後回し蹴り、飛び後回し蹴りなど華麗な蹴り技で「足技の魔術師」と呼ばれた。
2002年、43歳の小笠原和彦は、橋本真也のプロレス団体「ZERO-1」のリングに上がり戦った。

座間の道場は、本部道場と違い、組手を行わなかった。
ひたすら基本稽古と移動稽古を行った。
中村辰夫は、地味な稽古の積み重ねこそ、強くなるために必要な稽古だと考え、ウエイトトレーニングに対しても否定的だった。
しかし小笠原和彦と黒澤浩樹はウエイトトレーニングを行い、中村辰夫が練習に来ない日は、勝手に組手を行った。
増田章と水口敏夫の2段の昇段審査が本部道場で行われたとき、20人組手の相手として黒澤浩樹も呼ばれた。
黒澤浩樹は、このときに初段となり、黒帯になった。
大学4年生の小笠原和彦は就職を控え、出稽古、走り込み、ウエイトトレーニングと必死に稽古を積んだ。
目標は全日本大会。
ところが大会の2週間前、支部間の縄張り争いが起こり、試合に出られなくなった。
やがて小笠原和彦は座間の道場から消えた。

暴走族を全員土下座させ、キーを川に投げ捨てる

ある日、黒澤浩樹は、浦安から東京へ向け、湾岸道路を買ったばかりの白いセリカXXで飛ばしていた。  
やがて前方に赤いテールランプがみえたため減速した。
時間は14時。
渋滞する時間ではなかった。
みると前方に数台の車とバイクが、エンジンを空ぶかしし、クラクションを鳴らし、周囲を挑発し威嚇しながら、3車線いっぱいに蛇行して、ゆっくりと走ってい た。
「 チッ」
黒澤浩樹は、渋滞をジグザグに切り抜けた。
一気に左の路肩ギリギリを突き抜けた。
すると後方から数台の車とバイクが追いかけてきた。
セリカXXの右に黒いクラウンと2台のバイクがクラクションを鳴らして並走してきた。
クラウンからは吸いかけの煙草が投げつけられた。
黒澤浩樹はハンドルを右に切った。
クラウンは弾かれるようスピン。
2台のバイクは宙を舞った。
黒澤浩樹は、車を一番左の車線に移し、高速道路の出口に向かった。  
後方から2台の車と数台のバイクが狂ったように追ってきた。
2台の車がセリカXXを追い越し高速道路を下りたところで行く手を塞いだ。
さらに5台のバイクが左右にへばりついた。
黒澤浩樹は、アクセルを踏み込みブルーバードに追突。
ブルーバードが一瞬、宙に浮いた。
黒澤浩樹は、そのままセリカXXをもう1台に突っ込ませた。
そして素早く外に出ると、まっすぐ突進し、車の男たちに蹴りと突きを炸裂させた。
ヤンキー達は血を噴いて倒れていった。
わずか数秒の出来事だった。
ゆっくりと振り返った黒澤浩樹は、バイクの5人に歩いていった。
結局、 黒澤浩樹は全員を伸ばした。
全員を並べて土下座させ、キーを奪い、川に投げ捨てた。
そして深夜、こっそりと家に帰り、次の朝、エンジン かけようとしたがダメだった。
セリカXXは1週間でスクラップとなった。

チャンピオンメーカー 城西支部

1982年秋、黒澤浩樹は、三瓶啓二が3連覇を果たした第14回極真空手全日本大会を2階席から観た。
そして大会終了後、公衆電話で話す小笠原和彦を見つけた。
「小笠原先輩!」
「おう!
お前、まだあんなとこでやってるのかよ」
「やってます」
「俺さ、来年優勝するからよぉ」
小笠原和彦は、座間を去った後、東京の城西支部で稽古をしていた。
みるからにその肉体はパワーアップしていた。
それに比べ黒澤浩樹は、組手をまったくせずに基本稽古と移動稽古を繰り返していた。
そして数ヵ月後、黒澤浩樹は埼玉県の戸田市スポーツセンターで開かれた春季首都圏交流試合に出場。
1回戦、2回戦はノックアウト勝ちしたが、3回戦で城南支部の親泊寿郎に判定負けした。
ショックを受けた黒澤浩樹は、家で寝込んでしまい、稽古も休んだ。
中村辰夫から電話がかかってきたが、人と話せる状況ではなかったため居留守を使った。
もう空手を辞めようと思ったが、家の中で考えるのは空手のことばかりだった。
数日間、閉じこもった末、黒澤浩樹は城西支部の番号を調べ電話した。
そして城西支部へ行きたいと伝えた。
支部長の山田雅稔はいった。
「来いよー。
辰夫は黒澤はウエイトトレーニングのし過ぎだとかういけど、俺はそんなことはないといっといたよ。
やんなきゃだめだよ。
黒澤の練習の仕方、間違ってねえよ」

城西支部に移った後の黒澤浩樹のスケジュールは以下の通り。
朝6時に起きて走り、サンドバッグを打ち、腹筋運動。
そして車で大学へ行く。
授業が終わったらすぐに原宿に向かいトリムで2時間ほどウエイトトレーニング。
その後、代田橋の道場で稽古。
再びトリムに戻りウエイトトレーニングを21時半までやる。
それが終わるとまた道場に戻り、サンドバッグや砂袋を蹴り続ける。
家に帰るのは24時くらいだった。

山田雅稔の指導する技術は新鮮なものばかりで、黒澤浩樹は1つ漏らさず自分のものにしようと必死に教わった。
例えば、相手の前蹴りの捌き方にもいろいろなパターンがあって、それを細かく教えてもらったら、稽古の後で車に戻りノートにメモ。
翌日、大学で、昨夜、山田雅稔から教わったことをすべて机に鉛筆で書き出す。
「前蹴りの受け方」と書いた下にAタイプ、Bタイプ、Cタイプという風に分けて書いていく。
すべて書き終え、脳に書き込めたことを確認出来たらすべて消しゴムで消した。
そうしていると授業終了のチャイムが鳴る。
ウエイトトレーニングも、
「今日は・・・㎏を・・回挙げる」
と目標を持って行った。
目標の重さや回数をクリアできなかったら、
「アミノ酸が足りないのか?」
「ビタミンが不足しているのかも・・」
と原因を考えた。
これらを含め、トレーニングと食事はすべて書き出した。

黒澤浩樹が城西支部に来て3ヵ月後、支部内で試合が行われ、黒澤浩樹は準決勝で小笠原和彦に負け、3位決定戦で勝った。
そしてその年の第15回全日本大会の決勝戦は、大西靖人 vs 小笠原和彦。
城西支部の選手同士の対決だった。
城塞支部は、「チャンピオン製造工場」といわれた。


極真空手では4年に1度、世界大会が行われるが、1984年1月、第3回世界大会が行われた。
黒澤浩樹は、その3ヵ月後、1年前に敗れ城西支部へ移るきっかけとなった首都圏交流試合に再び出場。
そして優勝し、全日本大会の出場権を得た。

全日本大会初出場初優勝 伝説のはじまり

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