黒澤浩樹  圧倒的な空手家  驚異の下段回し蹴り 格闘マシン  ニホンオオカミ 反骨の戦士

黒澤浩樹 圧倒的な空手家 驚異の下段回し蹴り 格闘マシン ニホンオオカミ 反骨の戦士

他の一切を拒否し「最強」を目指すことのみに生きた男。 敵の脚と心をへし折る下段回し蹴り(ローキック)。 ルール化された極真空手の試合においても、ポイント稼ぎや体重判定、試割判定で無視し、倒すこと、大きなダメージを与えることを目指す姿は、まさに孤高のニホンオオカミ。 また指が脱臼し,皮だけでぶら下がっている状態になったり、膝の靱帯が断裂しグラグラになっても、絶対に自ら戦いをやめない格闘マシン。 総合格闘技やキックボクシング(K-1)への挑戦し戦い続けた反骨の戦士。 黒澤浩紀は、最期まで退くことを知らず死んでいった。


しかし本部指導員だった中村誠にはボコボコに痛めつけられた。
中村誠は、世界大会で2度も優勝し、「King of Kyokushin」と称される最強の極真空手家。
その組手スタイルは、試合でトーナメントを勝ち上がるためのものではなく、相手を叩きのめし破壊するものだった。
黒澤浩樹は中村誠に強くあこがれた。
そしてその破壊の空手の継承者となった。
組手稽古が始めると黒澤浩樹は進んで中村誠の前に出た。
そしてすぐに倒された。
中村誠の強烈な攻撃を喰らうたびに、ボディの強さの重要性がわかり、1日2000回、腹筋運動をした。
やがて中村誠の攻撃に吹っ飛ばされるものの、倒れず耐えられるようになっていった。

ホームジム

やがて黒澤浩樹にも高校受験が近づいてきた。
親は家庭教師を雇った。
稽古は、週3回、1回2~3時間。
家と道場の往復の移動時間が2時間。
やはり道場は休まなければならなかった。
しかし稽古だけは続けたい黒澤浩樹は、自宅の庭に練習小屋を建ててもらい、サンドバッグやバーベルを設置した。
そして家庭教師が帰った後、23時から、その小屋でトレーニングした。

玉木哲郎との出会い

玉木哲郎

4ヵ月間、道場を休み、黒澤浩樹は東海大浦安高校に合格した。
高校には様々な部活があり一生懸命練習していたが、極真の稽古に比べると遊びにみえ、相変わらず道場へ通った。
ある日、五反田のボディビルジムで雑誌「ボディビルディング」を読んでいるとフィットネスジムの広告が目にとまった。
原宿の「トリム」には最新のウエイトトレーニング機器が揃えられているという。
入会金10万円。
月会費1万円。
1回の使用料金が500円。
黒澤浩樹は見学に行き、2日後には入会。
以後、週3回の池袋の極真空手の本部道場に加え、週3回、原宿のトリムに通った。
本来、フィットネスゾーンは21時まで、その後、22時まではサウナやシャワーが使えるシステムだったが、黒澤浩樹はサウナやシャワーを使用しないという条件で18時から22時まで4時間、トレーニングした。
またトリムでは、玉木哲郎トレーナーと出会った。
玉木哲郎は、黒澤浩樹より5歳上。
アメリカンフットボール出身。
172cm82㎏の体で200㎏のベンチプレスを挙げ、黒澤浩樹と出会った頃は大学生であったが、大学院に進み研究を続け、筋肥大や筋再生に関わる研究の第一人者となる人物で、現在は東海大医学部教授。

タクシー通学

品川の自宅から浦安の高校まで通うためには、6時50分に起きて家を出て7時過ぎの電車に乗らなくてはいけなかった。
その後、道場やトリムに行き、帰宅するのは23時を過ぎた。
食事をし風呂に入り寝るのは1時過ぎ。
やがて黒澤浩樹は朝起きるのが辛くなり
「(学校を)休む」
といい出した。
すると両親は家にタクシーを呼んだ。
それに乗って黒澤浩樹は片道5000円かけて通学した。
はじめは週1回だったが、やがてタクシー通学の頻度は増えていき、卒業前にはほとんどタクシーで学校に通った。
もともと黒澤浩樹は変形させた学ランを着たり、太いズボンを履いたりせず、番を張るというようなこともしなかった。
しかし東海大浦安高校だけでなく、周辺の高校の番長や、それらしい人たちは、みんな黒澤浩樹にやられた。
修学旅行は教師に
「お前が来ると絶対に一悶着起こす」
といわれ行かせてもらえず代わりに宿題を出された。
黒澤浩樹は、宿題は家庭教師にやってもらい、自分は家族でハワイ にいった。

トイレに追い込んで連打

黒澤浩樹は、東海大学工学部土木科に進学。
校舎は神奈川県の伊勢原だった。
車通学だったが、16時30分に授業が終わって、稽古が始まる19時に池袋の道場まで行くのは厳しかった。
時間に間に合うこともあったが間に合わないこともあった。
そんなとき、すでに茶帯だった黒澤浩樹は駐車場で自問自答した。
「道場に遅れて入っていいものか・・・」
「折角ここまで来たのだから・・・」
「失礼ではないか・・」
「考えすぎか・・・」
「やはりダメだ・・・」
こうしてやはり道場に入ることができずむなしく帰った。

大学と本部道場の両立は物理的に無理とわかり、神奈川県の極真空手の道場を探し見学に行ったが、本部道場の稽古に慣れた黒澤浩樹にとってはレベルが低く感じた。
次に大学で格闘技のクラブを探すと、和道流の空手部、キックボクシング部、日本拳法部があった。
「お前、日本拳法やれば?
防具を着けるけど思い切りド突き合えるから順応しやすいんじゃないか。
投げも入るけどいいんじゃないか」
トリムで玉木哲郎トレーナーのすすめられたこともあり、黒澤浩樹は日本拳法部に入った。
日本拳法は、打、投、極のすべてがある総合格闘技で、高い実戦性から自衛隊で正式に採用されて いる。
またボクシングの元世界チャンピオン、渡辺二郎や、キックボクシングの元全日本チャンピオン、猪狩元秀、長江国政なども日本拳法出身である。
しかしこのときの東海大学の日本拳法部は弱かった。
指導者も、大きな大会で実績を残した選手もいなかった。
全員が喫煙し、まったく体を鍛えていなかった。
そのくせ上下関係に厳しく、校内で先輩をみたら後輩はダッシュしていき大声で挨拶しなければならなかった。
挨拶がなかったという理由でリンチが行われることもあった。
大して強くない先輩が後輩をいじめているだけの部だった。
練習は校舎の廊下に畳を敷いて行った。
黒澤浩樹からみれば突きも蹴りも、無茶苦茶だった。
スパーリングは先輩が立ち、名前が呼ばれた後輩が順にかかっていったが、極真の本部道場の色帯同士の組手よりはるかにレベルが低かった。
いつまでたっても自分の名前が呼ばれないので黒澤浩樹はいった。
「自分はよろしいのでしょうか」
そしてやっと畳の上に立てた。
相手は4年生。
「下段蹴りは禁止。
顔面はいいから」
という。
体重82㎏でベンチプレス100㎏、スクワット150㎏を挙げる1年生の黒澤浩樹は、いきなり中段回し蹴りを連射。
その後、顔面を蹴った。
先輩は何もできず退がっていった。
黒澤浩樹は廊下に追い込むとトイレの扉があった。
防具を着けたまま一方的に殴りつけられる先輩はトイレの中に退がっていった。
黒澤浩樹はそこに追い込んで蹴り続けた。
数人の先輩が止めに入って、やっと攻撃をやめた。
翌日から主将と多くの先輩が稽古に来なくなった。
強くなろうなんて思っていない。
大学生活の中で居心地の良さを追求するのは自然なことなのかもしれない。
しかし黒澤浩樹には許せなかった。
結局、日本拳法部の練習に出たのは4回だった。
こんなところにいたら弱くなってしまうのが怖かった。

小笠原和彦先輩

日本拳法部を辞め、黒澤浩樹はますます極真空手の本部道場の稽古が恋しくなった。
その本部で指導していた中村誠は、第2回世界大会で優勝した後、大山倍達から兵庫県支部長の認可を受け、神戸で道場を開いていた。
黒澤浩樹は中村誠に電話をかけ、本部道場に通えなくなったことを説明した。
「もう大学を辞めて内弟子として中村先輩のところに行きたいんです」
「来たらいいよ」
「じゃあ、行きますから!」
黒澤浩樹はすっかり神戸に行くつもりで、
「学校を辞めて神戸に行く」
と友人や両親に話した。
母親は泣きわめいた。
中学、高校と街でケンカして何度も学校や警察から呼び出され、それでもやっと入った大学を1ヵ月で辞めるという。
数日後、黒澤浩樹が家に帰ると、中村誠からの伝言があった。
「1度、電話してこい」
(いよいよ神戸か!)
嬉々として電話すると
「お前、中村辰夫、知っているだろ?」
「押忍、知っています」
「おう
あの人が座間で道場やっているから
そこだったら指導の仕方も違うから
まずそこに行け」
母親はこっそり中村誠に相談していた。

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