2000年3月19日、黒澤浩樹は「K-1 BURNING 2000」で、角田信朗の右フックをもらって、1R1分53秒でKO負け。
Heart of Champion
2000年5月28日、K-1 JAPAN GP 1回戦で黒澤浩樹はグレート草津と対戦。
ガードを上げて押し込みながらローを入れる黒澤浩樹。
組んで膝を入れていくグレート草津。
黒澤浩樹は組んでからのボディーブローと離れ際にローを入れ続け、グレート草津の左腿にダメージをためていく。
本戦、延長引き分けの後、再延長ラウンドとなる。
黒澤浩樹の押し込んでからの右ローをグレート草津はガードできず迎え撃つ膝蹴りも出なくなる。
終始ローでダメージを与えた続けた黒澤浩樹が判定勝ちし、K-1 JAPAN GP 1回戦突破。
2000年7月7日、世界散打王者:滕軍に判定負けし、K-1 JAPAN GP 2回戦敗退。
2000年10月9日、「K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKA」で子安慎悟に1R1分22秒、KO負け。
2001年1月30日、「K-1 RISING 2001 〜四国初上陸〜」で村上竜司とドロー。
2001年8月19日、「K-1 ANDY MEMORIAL 2001」で平直行と対戦。
1R、平直行はバックハンドブローで黒澤浩樹からダウンを奪い、2Rには胴回し回転蹴りもみせた。
2R終了時、黒澤浩樹の額からの出血が激しいためドクターストップがかかり黒澤浩樹のTKO負け。
2002年9月22日、「K-1 ANDY SPIRITS 2002」で、黒澤浩樹は須田渉と対戦。
須田渉は、全国高等学校空手道選手権大会団体組手優勝、個人組手優勝、第23回東北高等学校総合体育大会団体組手優勝、個人組手優勝という数少ない伝統派空手出身のK-1ファイターで体重が130㎏もあったが、黒澤浩樹は須田渉を3度ダウンさせ勝利した。
聖心館
2011年、黒澤浩樹は「黒澤道場」を「聖心館」に改称。
2017年3月25日、膝の手術を受け、まだリハビリテーション中に指導を行い急性心不全により死去。
54歳だった。
本当に最後の最後まで戦いを、前進をやめない男だった。
2017年7月7日、山田雅稔、松井章奎、増田章、岩崎達也、長嶋一茂、玉木哲朗らによって「黒澤浩樹を偲ぶ会」が行われた。