黒澤浩樹  圧倒的な空手家  驚異の下段回し蹴り 格闘マシン  ニホンオオカミ 反骨の戦士

黒澤浩樹 圧倒的な空手家 驚異の下段回し蹴り 格闘マシン ニホンオオカミ 反骨の戦士

他の一切を拒否し「最強」を目指すことのみに生きた男。 敵の脚と心をへし折る下段回し蹴り(ローキック)。 ルール化された極真空手の試合においても、ポイント稼ぎや体重判定、試割判定で無視し、倒すこと、大きなダメージを与えることを目指す姿は、まさに孤高のニホンオオカミ。 また指が脱臼し,皮だけでぶら下がっている状態になったり、膝の靱帯が断裂しグラグラになっても、絶対に自ら戦いをやめない格闘マシン。 総合格闘技やキックボクシング(K-1)への挑戦し戦い続けた反骨の戦士。 黒澤浩紀は、最期まで退くことを知らず死んでいった。


「黒澤、お前、品川に道場出せ。
品川はお前の実家だろ」
極真が松井派と大山派に分裂後、山田雅稔は黒澤浩樹に新しく道場を出すことをすすめた。
分裂により空いた地域が増えたためである。
「いいんですか」
「もう関係ないから道場出せ。
いいよな、館長」
極真の新館長である松井章圭も請け負った。
「いや、もうどんどん出したらいいんですよ」
黒澤浩樹は、実家の駐車場を道場にすることを考えた。
第6回世界大会が終わったら品川に道場を出して、それを大きく育てていこうと思っていた。
黒澤浩樹の話を両親は快諾。
その土地は、道路建設のために東京都に売却する予定だったが、数千万円という多額の税金を払って土地をキープした。
その後も道路が通るはずだった土地を売却しなかったことによるトラブルで数千万のお金を支払った。
ところが第6回世界大会後、大山派だった広重毅師範が松井派に戻ってきたことで
「もう道場は出せない」
といわれた。
第6回世界大会で優勝した八巻建志と2位の数見肇は共に広重毅の弟子である。
その功績が評価され、何のペナルティもなく本部長の役職つきで復帰した。
納得できない黒澤浩樹に、山田雅稔は
「黒澤、品川もいいけど名古屋で道場やらないか」
といい
松井章圭は
「ぼくは知らない」
といった。
黒澤浩樹は両親に申し訳がなく「極真」とか「松井」と聞くと拒否反応が出て眠れなくなり鬱病のような状態になった。

PRIDE1

それでも黒澤浩樹は稽古とトレーニングだけは続けた。
しかし試合に出たいという気持ちは失せていた。
大山倍達がいなくなって極真は変わってしまったと感じていた。
1997年7月、試合のオファーが入った。
3ヵ月後、東京ドームでヒクソン・グレイシーと高田延彦の試合が行われ、その格闘技イベントへの参戦を求められた。
完全燃焼できなかった1995年の世界大会のこと。
変わっていく極真空手。
そして何より自分の力を信じて前進する、未知の領域に果敢に飛び込むという自分のスタイル。
様々な想いから、黒澤浩樹はそれを受けた。
8月にはKRS(格闘技レボリューション・スピリット、PRIDEの主催団体)代表幹事に就任。
「PRIDE1」は、格闘技を志す後輩にとって非常に有益なものに思えた。
しかし「PRIDE1」へ参戦すること、またKRSと関りを持つことに松井章圭館長は反対した。
2人は激しく口論した。

試合まで1ヵ月を切っても対戦相手もルールも決まっていなかった。
黒澤浩樹は焦った。
総合格闘技対策として、東海大学のレスリング部へ出稽古。
しかし具体的な相手もルールもわからないため、にわか仕込みの感が否めなかった。
やがて対戦相手は決まった。
イゴール・メインダート。
しかしその容姿や格闘技歴は不明だった。
「こんなんじゃできない」
黒澤浩樹は、試合が決まれば、それに向けてトレーニングを積み、様々な場面を想定した稽古を行う。
アバウトな形で試合に出ていくことはなかった。
焦って、夜中、1人道場にいき受け身の練習をし、逆に首を痛めた。
試合2日前、ルールミーティングで初めてイゴール・メインダートと会った。
203cm、130㎏の巨体を見上げたとき、首が痛くて仕方なかった。
ルールミーティングを終え、帰ろうとしたときKRSのスタッフがいった。
「黒澤さん。
リングのRの文字のところで戦えば倒されてもすぐにロープへ逃げられるから、常にRの上で戦ってください」
ロープブレイクありのルールのため、立ち技主体の黒澤浩樹はリングの端のほうで戦えば、倒されても、すぐにロープにふれることができる。
そしてレフリーのブレイクがかかり、苦手な寝技は止められ、再度立ち上がって戦い直すことができる。
そういうアドバイスだった。
しかし純粋な極真空手家には、この言葉はそう思えなかった。
(この人は何をいっているんだ。
俺はそんなレベルの戦いに出ていかなければならないのか)
同日、松井章圭館長から電話があった。
「黒澤君、どうなってるの?」
「どうもこうも2日後に試合をします」

1997年10月11日、突然、黒澤浩樹が、総合格闘技「PRIDE」のリングに上がった。
まだフランシスコ・フィリョがK-1のリングに上がる少し前のことである。
東京ドームで行われた「PRIDE1」は、高田延彦とヒクソン・グレイシー戦がメインだったが、ほんものの格闘技ファンなら、黒澤浩樹が総合格闘技のリングに上がったことが1番の関心事だったはずである。
はたしてあのローキックは通用するのか?
かつて大山倍達はいった。
「世界で1番強い格闘技は空手。
その空手の中で1番強いのは極真だ」
極真最強説を証明するために黒澤浩樹は適任だった。
試合に強いだけではない。
ケンカにも強い
そして一撃で相手を破壊することができる技と力。
死んでも戦うスピリットを持つ、ほんものの極真空手家である。
リングに向かう黒澤浩樹の道着には「極真」の文字があった。
しかし松井章圭も山田雅稔も観に来ていなかった。
試合は、3分×5R。
基本的には総合格闘技ルールだが、顔面パンチなし、ロープブレイクありという変則ルール。
1R、黒澤浩樹は、イゴール・メインダートの投げ技をこらえようと踏ん張ったときに
「ブチッ」
という音がして右膝十字靱帯を断裂。
前十字靱帯は、膝の過伸展を抑制する靱帯。
このとき黒澤浩樹の膝は180°以上の伸びて靱帯が切れたと思われる。
黒澤浩樹は戦い続けたが、右膝が壊れたことで本来のアグレッシブでパワフルな攻撃が出ない。
それでも戦い続けていると
「ブチッ」
という音がした。
このままでは右膝の靱帯がすべて切れてしまうかもしれない。
しかし黒澤浩樹が思ったことは、ただ
「やめない」
3R1分26秒にレフリーが試合を止めたのは妥当だった。
並みのファイターならとても戦えなかっただろう。
負けたとはいえ、黒澤浩樹の恐ろしさを垣間みた試合だった。
TKO負けとなった黒澤浩樹は、自力で一歩も歩けず、両肩を抱えられ花道から控室へ移動。
「これが現実だったのか」
やり切れぬ思いと激痛だけがあった。
全試合終了後、代表幹事として松葉杖をついてリングに上がって挨拶。
それが済むとすぐに自衛隊病院へ直行した。
レントゲン撮影して膝を固定してから帰宅。
松葉杖をつきながらトイレに行ったとき、油断した黒澤浩樹は誤って右足を床につけてしまう。
「グチャッ」
固定したばかりの膝が崩れ、倒れそうになった。
それだけで気持ちが悪くなり貧血を起こした。
気がつくとトイレの床に倒れていた。
寝たら最後動けなかった。
少しでも動こうとすると膝に激痛が走った。
不完全燃焼のまま敗れ大ケガを負った。
「何だったのか」
一晩中自問自答した。

極真を辞めても「俺は極真」

その後、黒澤浩樹は右膝靱帯断裂の手術を受け2ヵ月間、入院した。
松井章圭が見舞いに訪れたとき、2人は再び激しく口論した。
黒澤浩樹は病院のベッドの上で極真会館を辞めることを決めた。
1998年1月、帝国ホテルで松井章圭と会い話し合った。
言いたいことをすべて吐き出し、周囲の客が振り返るほど大喧嘩になった。
話は平行線で終わったが互いに気持ちをぶつけ合うことはできた。
黒澤浩樹は翌日、退会届を書いて送った。
その後、中野区に新道場「黒澤道場(現:聖心館)」を開いた。
極真を離れるというのに多くの弟子が黒澤浩樹についていった。
極真は黒澤浩樹にとって青春のすべてだった。
自分のすべてを賭けた。
黒澤浩樹は、極真を辞めてもその気持ちは変わっていなかった。
「俺は極真」
だった。

角田信朗とフルコンタクト空手ルールで対戦

1999年7月4日、黒澤浩樹は「PRIDE6」で正道会館の角田信朗とフルコンタクト空手ルールで対戦。
2年前に膝を痛めて以来の復帰戦を勝利で飾った。

K-1参戦 そんなものは世間が勝手に決めてる定説でしかないんです

2000年1月25日、黒澤浩樹は「K-1 RISING 2000」でマーカス・ルイスを1R56秒でKOした。
37歳。
プロのリングで初めての顔面ありルール。
チャレンジ魂全開だった。
「僕の年齢を考えれば、例のないことかもしれないですよ。
でもそんなものは世間が勝手に決めてる定説でしかないんです」

角田信朗とK-1ルールで対戦

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