黒澤浩樹  圧倒的な空手家  驚異の下段回し蹴り 格闘マシン  ニホンオオカミ 反骨の戦士

黒澤浩樹 圧倒的な空手家 驚異の下段回し蹴り 格闘マシン ニホンオオカミ 反骨の戦士

他の一切を拒否し「最強」を目指すことのみに生きた男。 敵の脚と心をへし折る下段回し蹴り(ローキック)。 ルール化された極真空手の試合においても、ポイント稼ぎや体重判定、試割判定で無視し、倒すこと、大きなダメージを与えることを目指す姿は、まさに孤高のニホンオオカミ。 また指が脱臼し,皮だけでぶら下がっている状態になったり、膝の靱帯が断裂しグラグラになっても、絶対に自ら戦いをやめない格闘マシン。 総合格闘技やキックボクシング(K-1)への挑戦し戦い続けた反骨の戦士。 黒澤浩紀は、最期まで退くことを知らず死んでいった。


第16回全日本大会に向けて、稽古時間は1日8時間を超えた。
血尿が出ないと納得できないほど稽古とトレーニングに没頭した。
そして黒澤浩樹は、全日本大会に初出場し初優勝した。
その攻撃力は相手を粉砕し、受けたダメージはまったくなかった。
圧倒的な強さだった。
本来、格闘技は、体重無差別、時間無制限で、白黒つくまで行われるべきものである。
しかしスポーツ化していくと、必ず体重別、ポイント制などが導入されていく。
極真空手も長い歴史を経て、試合では一本勝ちにこだわず、試合に勝つため組手スタイルが確立されていった。
しかし黒澤浩樹はひたすら相手を倒そうとした。
結果、一本勝ちを量産し、たとえ一本勝ちにならなくても、相手にダメージを負わせ、圧倒的な判定で勝利した。
相手が誰であろうと打ち合って倒す。
そんな理想に共感できる選手は多数いるが、実行することは非常に困難である。
猛者が集う極真空手で、後には総合格闘技やK-1のリングでさえ、黒澤浩樹はそれを体現し続けることができた。

アスリートトレーニング

ある日、突然、玉木哲郎から電話があった。
玉木哲郎はトリムを辞め、東海大学医学部の研修生として東海大の病院に勤めていた。
「お前、1日俺のところへ来い」
全日本大会で優勝した黒澤浩樹は有頂天になり、学校へも行かなくなり、留年を決めていた。
心配した黒澤浩樹の母親が玉木哲郎に相談をしていた。
それ以降、黒澤浩樹は、毎週火曜日、木曜日は玉木哲郎と一緒にジムに行き、食事をし、玉木哲郎の家に泊まるようなった。
すると翌朝、ソファーベッドに寝て起きようとしない黒澤浩樹に、玉木哲郎は蹴りを入れた。
そして学校に行かされた。
玉木哲郎は黒澤浩樹に人としてあるべき姿、文武両道を説いた。
「寝たら許さん」
と授業で寝ることを禁止し、1番前に座りノートをとることを義務づけた。
ノートは後で玉木哲郎に提出しチェックされた。
「お前、なんでノートを書いてないんだ」
「教師が黒板に何も書かなかったから・・」
「だったらどういう内容だったか思い起こして考えて、その日の夜に書いてこい」
「そんなことやっていたら練習できないじゃないですか」
「それじゃお前は今年優勝できない」

夏になると玉木哲郎と黒澤浩樹は、房総半島の三日月ホテルに泊まって3泊4日の合宿を行った。
そして徹底的に跳ばされ走らされた。
ただ走るのではなく、縦に、横に、斜めに、後ろにいろいろな走り方や、ジャンプの基本動作を繰り返した。
黒澤浩樹は座れなくなるほどの筋肉痛になった。
玉木哲郎が教えたのは、総合的な運動能力を高める方法だった。
優れた運動選手は1つの競技だけに秀でているだけではダメ。
あらゆる競技に適応できるトータルな能力を有していなければならない。
つまりアスリートを目指すトレーニングだった。
「バーベルは100㎏以上挙がるくせに懸垂はでき ない。
それは本来おかしいことなんです。
スポーツは一般的にそうですけど、 特に格闘技では自分の体を自由にコントロールできなけりゃ世界一にはなれ ないんです。
そうやってマルチフルにトレーニングしている中で、専門は空手ですっていう のが 本当の運動選手であってね。
それが本当に強くなるための秘訣だよっていったんです」
合宿から帰っても黒澤浩樹はアスリートトレーニングを続けた。
玉木哲郎は週3日やればいいといったが、毎日やった。
徐々に体型が変化し、スピードが増し、筋力が動きに有効に活かされ始め、ウエイトトレーニングもベンチプレス180㎏、スクワット270㎏が挙がるようになり、第17回全日本大会の前には、1年前とは全く違う自分になっていた。
「鉈を振り降ろすよう な、スパーンという、 力のグラフを描けば鋭く先にとんがるピークがあような、そういう鋭さが身に付いてきたんです。
もともとドーッと出していくブルドーザー みたいな力はあったんですがシャープなものは全然なかったですから。
それを身につけた結果が、17回でああいうKOの連続ということになったんでしょうね」

ケンカに勝って試合に負けた松井章圭戦

黒澤浩樹は、第17回全日本大会の1回戦、2回戦を一本勝ち。
4回戦では、首都圏交流試合で敗れた親泊寿郎に勝ち、準決勝はジェームズ北村に勝ち決勝に進んだ。
決勝戦の相手は、松井章圭だった。
華麗な蹴り技。
そして強靱な精神力を併せ持つ不世出の天才空手家である。
フルパワーで倒しにくる黒澤浩樹に松井章圭は巧く技を合わせ、黒澤浩樹の攻撃力とプレッシャーにも松井章圭は退くことはなかった。
黒澤浩樹も松井章圭にスピードで崩されることはあったが、ダメージを受けることはなかった。
そして1度目の延長戦を終えた後、判定で黒澤浩樹は敗れた。
実感のない敗北だった。
「下段 vs 上段」
「パワー vs テクニック」
「黒澤はケンカに勝って試合に負けた」
いろいろいわれたが、黒澤浩樹の強さ、殺傷能力を疑うものは皆無だった。
しかしこの純粋で圧倒的な強さが、試合巧者の前に屈する悲劇は、この後も続く。

天狗の鼻を折る膝蹴り

第18回全日本大会は、翌年行われる第4回世界大会の日本代表選抜も兼ねていた。
しかし黒澤浩樹にとって大事なのは「打倒・松井章圭」だった。
また大学の卒業も近づいていた。
就職も決まっていた。
仕事が始まれば今より練習に打ち込めるかどうかはわからない。
最高の力を出すために今まで以上に稽古に打ち込んだ。
周囲は、前々年の優勝と前年の実績から黒澤浩樹を優勝候補の筆頭にあげた。
実際、黒澤浩樹は、1回戦はアップもせずに戦って10数秒でKO勝ちした。
2回戦の相手は、軽量級の豊田宣邦だった。
圧倒的な体格差とパワーの差で黒澤浩樹は圧しまくった。
「待て!」
主審の指示で開始線に戻り、再び
「はじめ」
がコールされた。
その直後、黒澤浩樹は豊田宣邦の2段跳び膝蹴りを顎に食らってダウンした。
油断しガードが甘くなっていたところを見事につかれた結果だった。
黒澤浩樹は蹴られて曲がった前歯を力づくで戻した。
家に帰ると部屋に閉じこもった。
空手着、ランニングシューズ、雑誌、空手に関係するものをすべてゴミ箱に捨てた
何もかもが嫌になった。

1週間で会社を辞める

豊田宣邦に敗れた翌日、つまり大会2日目は、黒澤浩樹は試合場に行く気になれず、ずっと家にいた。
そしてその次の日は、就職先の社長面接日だった
黒澤浩樹は大学を2年間留年した。
みんなが実習をやっているとき、校舎の裏で練習し、就職活動もまったくしなかった。
ついに就職課の部長に呼び出された。
「2回も留年しているのに1度も来ないとはいい根性をしている。
お前はどこを受けるんだ?」
「はい、清水建設」
部長は大笑いした。
「お前の成績では受けることもできない
何を考えているんだ」
清水建設は、鹿島、大成、大林などと並ぶトップ企業。
しかし黒澤浩樹は父親のコネで清水建設を受験した。
試験問題がまったくわからず落ちた。
また就職課に呼び出された。
「あと佐藤工業と西松建設を受けます」
部長はまた大笑いした。
しかし父親のコネで佐藤工業に受かった。
学年トップの成績の学生が、佐藤工業の子会社の佐藤道路という会社に就職が決まると
「すごい」
といわれた。
「黒澤さんはどこですか?」
と聞かれ
「佐藤工業です」
と答えるとみんな目を丸くした。

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