中日ドラゴンズに関する記事


日本のプロ野球史で5人しかいなかった!助っ人外国人なのに捕手だった選手!

日本のプロ野球史で5人しかいなかった!助っ人外国人なのに捕手だった選手!

日本プロ野球80年の歴史において、これまで数えきれないほど多くの助っ人外国人が活躍してきました。しかし、しかし、捕手として選手登録された外国人選手は、これまでにわずか5名しかいません。そんな世にも珍しい外国人捕手の歴史を振り返っていきたいと思います。


マジック点灯は「キタ――(゚∀゚)――!!」の瞬間!プロ野球史に残る、速攻でマジック点灯させた球団5選!!

マジック点灯は「キタ――(゚∀゚)――!!」の瞬間!プロ野球史に残る、速攻でマジック点灯させた球団5選!!

プロ野球における山場のひとつ「マジック点灯」。贔屓の集団に点灯すれば歓喜、ライバル集団に転倒すれば背水の陣。そんなファンの気持ちを一喜一憂させるマジックナンバーのなかでも球史に残る「速攻」点灯年次5選を紹介してみます。


ビックバン打線?いてまえ打線?80~90年代にニックネームで呼ばれたプロ野球の打線

ビックバン打線?いてまえ打線?80~90年代にニックネームで呼ばれたプロ野球の打線

プロ野球の歴史の中で記憶に残る選手、記憶に残る試合があるように、記憶に残る打線もあるものです。とにかく強力なクリーンナップがいたり、下位打線に強打者が控えていたり、アベレージヒッターをズラリと並べていたり…。そんな個性豊な打線は時として愛称で呼ばれていたりもしました。ということで今回、80~90年代にニックネームで呼ばれたプロ野球の打線を振り返っていきたいと思います!


珍プレー・好プレー誕生のきっかけ!「宇野ヘディング事件」

珍プレー・好プレー誕生のきっかけ!「宇野ヘディング事件」

30年以上続く名物番組『プロ野球 珍プレー好プレー』。同番組といえば、みのもんたのナレーションでお馴染みですが、この小気味よいアテレコは『宇野ヘディング事件』によって誕生しました。今回はそんな歴史に名高い、球界屈指の名場面について振り返っていきたいと思います。


2000本安打の立浪和義氏がテレ東ドラマ『居酒屋ふじ』に出演!実在の店舗の常連だった!

2000本安打の立浪和義氏がテレ東ドラマ『居酒屋ふじ』に出演!実在の店舗の常連だった!

プロ野球・中日ドラゴンズで、2000本安打を達成するなど活躍した立浪和義氏が、テレビ東京系ドラマ『居酒屋ふじ』に本人役でゲスト出演することが分かった。


元中日ドラゴンズの山本昌が趣味のラジコンで初の冠番組! 盟友・山崎武司も登場!!

元中日ドラゴンズの山本昌が趣味のラジコンで初の冠番組! 盟友・山崎武司も登場!!

元プロ野球投手で、現役時代は中日ドラゴンズ一筋だった山本昌氏が、得意のラジコンをテーマにしたバラエティ番組『山本昌のラジ魂道場』(CSフジテレビONE)で、自身初の冠番組を担当する事が明らかになった。


あなたが選ぶ中日ドラゴンズの歴代ベストナインを受付中!「ドラゴンズぴあ」の発売を記念した企画!

あなたが選ぶ中日ドラゴンズの歴代ベストナインを受付中!「ドラゴンズぴあ」の発売を記念した企画!

ぴあは、中日ドラゴンズ承認ブック「ドラゴンズぴあ2017」(仮)の発売を記念して、ベストナイン投票企画を特設ウェブサイトにて開始した。ファン’(ユーザー)がアンケートフォームに入力し、選ばれたベストナインが自動的に画像化される。


山本昌がナムコスターズで”現役復帰”!ファミスタ30周年記念の企画で実際に始球式にも登板!!

山本昌がナムコスターズで”現役復帰”!ファミスタ30周年記念の企画で実際に始球式にも登板!!

今年はファミスタ30周年記念の企画が目白押しだ。ニンテンドー3DS用ソフト「プロ野球 ファミスタ クライマックス」が4月20日に発売される。また、元中日ドラゴンズの山本昌がナムコスターズで”現役復帰”も発表された。


【リーグ優勝の瞬間】中日ドラゴンズ編

【リーグ優勝の瞬間】中日ドラゴンズ編

まだクライマックスシリーズ制度が導入されていない頃、ペナントレースが今よりもずっと価値があった頃、各球団のリーグ優勝決定の瞬間、その年の戦いぶりをご紹介しています。今回は中日ドラゴンズのリーグ優勝決定の瞬間(1974、1982、1988年)を集めてみました。


【プロ野球珍プレー職人】元中日の宇野勝といえば伝説のヘディング事件!みのもんたのナレーションもお約束でしたね!!

【プロ野球珍プレー職人】元中日の宇野勝といえば伝説のヘディング事件!みのもんたのナレーションもお約束でしたね!!

「プロ野球珍プレー・好プレー集」で何度もお茶の間を釘付けにした宇野勝。彼は遊撃手(ショート)として初めて40本塁打を記録した大打者であり、抜群の守備センスを持った類い希なる名遊撃手。にもかかわらず、ついにあだ名はヘディング男。「宇野ヘディング事件」きっかけで「プロ野球珍プレー・好プレー集」番組が生まれてしまったことが、宇野勝選手の悲劇だったのかもしれません。


1982年は中日ドラゴンズが優勝した黄金時代、ナゴヤ球場には龍の叫びが轟いた!アナタにも龍の咆哮が聞こえましたか?

1982年は中日ドラゴンズが優勝した黄金時代、ナゴヤ球場には龍の叫びが轟いた!アナタにも龍の咆哮が聞こえましたか?

1982年、セリーグ覇者となった中日ドラゴンズ(日本シリーズでは西武ライオンズに惜しくも敗退!)。この年、たしかにナゴヤ球場はアツかった。連日のようにドラキチが集まり、猛烈に声援を浴びせまくった年だった。「燃えよドラゴンズ!82」のテーマソングにあわせて、アナタにも遠い夜空から龍の叫びが聞こえたのではないだろうか。


中日の大砲!【大島康徳】は野球人としても熱血漢丸出しだった!

中日の大砲!【大島康徳】は野球人としても熱血漢丸出しだった!

39歳の最年長で2000本安打を達成した漢。大島康徳は、瞬間湯沸かし器と異名を持つほどの熱血感まるだしの野球人でした。野球のスタイルも豪快そのもので、本塁打も量産するスラッガーでした。 そんな、大島イズムをご紹介しましょう。


17年間も中日の主軸で活躍した男!【谷沢健一】の凄さとは・・・。

17年間も中日の主軸で活躍した男!【谷沢健一】の凄さとは・・・。

1970年代から80年代まで、中日ドラゴンズの中心選手として活躍し続けた男、谷沢健一は中距離打者としてチャンスに強い打撃とバットコントロールが生み出す安打で、走者をどんどん本塁に返していくバッティングで活躍した男です。 そんな、谷沢健一のプロに入る前から今までの軌跡をご紹介いたします。


ジェントルマンといった言葉が似合う男、【田尾安志】は真摯な野球選手だった。

ジェントルマンといった言葉が似合う男、【田尾安志】は真摯な野球選手だった。

中日ドラゴンズ時代から、甘いマスクと華麗なプレー。真直ぐな仕草に若い人から年配の方まで様々な人から愛される選手だった田尾安志は、円月打法を引っ提げて、左へ右へと打ち分けて、安打を量産する安打製造機だった。そんな田尾の現役時代から引退後までの軌跡をご紹介します。


ヤクルト・ギャオス内藤!ピッチ外でもお喋りで大活躍!本名をご存知ですか?内藤尚行と言います!

ヤクルト・ギャオス内藤!ピッチ外でもお喋りで大活躍!本名をご存知ですか?内藤尚行と言います!

90年代の強いヤクルトを「投」から支えたギャオス内藤。人気者だった彼ですが、投手としても多くの名場面を演出しています。


【野口茂樹】ドラゴンズ投手陣を支えたノーヒッターは「天敵」に移籍して・・・

【野口茂樹】ドラゴンズ投手陣を支えたノーヒッターは「天敵」に移籍して・・・

ドラゴンズのエースとしてリーグ優勝に貢献し、最優秀防御率賞など数々の賞を受賞した野口投手。1996年にノーヒットノーランを達成するなど、特に巨人戦に強く「天敵」とも呼ばれた存在でした。その後、2005年にFAを宣言し、野口投手はその巨人に移籍するのですが・・・。


世界の王に続く一本足打法の名手【大豊泰昭】に迫る!

世界の王に続く一本足打法の名手【大豊泰昭】に迫る!

世界の王貞治に憧れ、王と同じ一歩足打法を武器に中日で本塁打を量産したスラッガー。プロ野球ファンの記憶に残る大豊泰昭の波乱万丈だった現役時代と今に迫る。


【宇野勝】元祖!「記録よりも記憶に残る」名選手

【宇野勝】元祖!「記録よりも記憶に残る」名選手

プロ野球ファンで「記録はイチロー君にまかせて、僕は記憶に残る選手」という名言を残した新庄剛選手の事を知らない方はいないでしょう。ところが「記憶に残る選手」にも大先輩がいたんですね。その一人が宇野選手です。1984年の掛布との熾烈なホームラン王争いを繰り広げたり、ベストナインに3回も選出されていながらみんなの「記憶」には全く別な宇野選手が焼き付いています。プロ野球の面白さを120%教えてくれた、名選手。


【中日一筋】2015年引退・球界のレジェンド山本昌の80年代はどうだったのか?

【中日一筋】2015年引退・球界のレジェンド山本昌の80年代はどうだったのか?

2015年についに引退を表明したレジェンド、山本昌投手。現役通算219勝、32年間のプロ生活、実働29年という長きに渡って活躍した名投手、今回はプロ入り直後の80年代を振り返ってみたいと思います。


【木田勇】2013年の田中将大投手まで33年間現れなかった1シーズン22勝をルーキーイヤーにやってのけた投手。

【木田勇】2013年の田中将大投手まで33年間現れなかった1シーズン22勝をルーキーイヤーにやってのけた投手。

1980年の日本プロ野球を大いに沸かせた驚異の新人投手、木田勇。日本ハムに入団した彼はルーキーイヤーの1980年に22勝を挙げて史上初のルーキーイヤーに新人王&MVPに輝きました。22勝という勝利数は、その後2013年の田中将大投手まで33年間抜かれることがありませんでした。