強竜打線(中日)‐1984年
今でも中日スポーツをはじめとしたスポーツ新聞の紙面などでたびたび見かける「強竜」という造語。「ドラゴンズ」という見出しにするには少々長いチーム名を、「ドラゴン=竜」との英和変換から「強竜軍団」としたのは、なかなかセンスを感じさせるというものです。
|打順|名前|打率|本塁打|打点|盗塁|
|:--:|:--:|:--:|:--:|:--:|:--:|:--:|
|1|田尾安志(右)|.310|20|49|3|
|2|平野謙(中)|.291|3|31|30|
|3|谷沢健一(一)|.329|34|99|3|
|4|大島康徳(左)|.280|30|87|7|
|5|ケン・モッカ(三)|.316|31|93|1|
|6|宇野勝(遊)|.253|37|87|13|
|7|上川誠二(二)|.309|7|39|17|
|8|金山卓嗣(捕)|.207|4|10|0|
この山内一弘監督就任一年目の時に組まれたオーダーは、「強竜」という大業なネーミングがピッタリな強力な陣容。中日の応援歌として有名な『燃えよドラゴンズ!』の歌詞にある「一番○○が塁に出て~♪ 二番○○が送りバント♪ 三番○○タイムリー♪ 四番○○ホームラン♪」の通りに、面白いほど次々と打線がつながりそうな成績ではありませんか。
なお、この『燃えドラ』の歌詞が選手名を入れ替えて代々受け継がれているのと同様に、「強竜打線」の看板も、1999年のリーグ優勝時、福留、タイロン・ウッズの3・4番コンビで打点を量産した2006年シーズン時など、ことあるごとに流用されているのはご存じの通り。最近ではちょっと調子が良いだけで「強竜打線爆発!」「強竜打線復活!」などと乱発されている感がありますが、そこはご愛嬌ということで。

ケン・モッカ
ニューダイナマイト打線(阪神)‐1985年
「新」と銘打っているならば、元祖はいつの頃の話なのかと言えば、1940年代後半にさかのぼります。プロ野球がまだ「職業野球」と言われていた時代に精強を誇った “初代・ミスタータイガース”こと藤村富美男が4番をつとめた打線を指して「ダイナマイト打線」というようになったのだとか。時を隔てて約40年後。草創期につけられし雷名を引き継ぐに相応しい伝説的打線が登場しました。
|打順|名前|打率|本塁打|打点|盗塁|
|:--:|:--:|:--:|:--:|:--:|:--:|:--:|
|1|真弓明信(右)|.322|34|84|8|
|2|北村照文(中)|.262|3|19|21|
|3|R.バース(一)|.350|54|134|1|
|4|掛布雅之(三)|.300|40|108|3|
|5|岡田彰布(ニ)|.342|35|101|7|
|6|佐野仙好(左)|.288|13|60|1|
|7|平田勝男(遊)|.261|7|53|6|
|8|木戸克彦(捕)|.241|13|32|0|
セ・リーグ優勝&日本一を達成したこともさることながら、バース・掛布・岡田の「バックスクリーン3連発」に代表される名場面を多数生み出したこともあり、今でも古参の虎党の間で語り草なこの打線。これだけの好成績と鮮烈な印象を残したからこそ、熱狂的ファンたちは未だにバースを神以上の存在と崇め、掛布が引退後、仇敵・巨人の放送権を持つ日テレの解説者へと天下ったことを未だに赦していないのです。しかし、それにしても、1番の真弓でさえ、3割・30本超えというのは、対戦ピッチャーにとってあまりに酷過ぎてはないでしょうか…。
ブルーサンダー打線(オリックス)‐1989年
親会社が阪急ブレーブスからオリエントリースに移り、球団名も阪急ブレーブスからオリックス・ブレーブスと改めて最初の一年目に組まれたオーダーがこの『ブルーサンダー打線』です。
|打順|名前|打率|本塁打|打点|盗塁|
|:--:|:--:|:--:|:--:|:--:|:--:|:--:|
|1|松永浩美(三)|.309|17|60|14|
|2|福良淳一(ニ)|.259|8|47|8|
|3|ブーマー(一)|.322|40|124|2|
|4|門田博光(DH)|.305|33|93|0|
|5|石嶺和彦(左)|.277|20|77|1|
|6|藤井康雄(右)|.292|30|90|3|
|7|本西厚博(中)|.302|5|33|8|
|8|中嶋聡(捕)|.234|5|26|2|
|9|小川博文(遊)|.247|5|32|7|
打線の要は、1984年に外国人選手初となる三冠王を達成したブーマーと、通算567本塁打で40歳を超えても年間本塁打数30~40本打った不惑の大砲・門田博光。球団史上屈指の破壊力を搭載した打線は打ちに打ちまくり勝ち星を積み重ねましたが、優勝した近鉄とゲーム差0で、惜しくもリーグ制覇を逃してしまいました。
なお、この「ブルーサンダー打線」という名称は、イチローと田口壮が活躍した1995年・1996年シーズンにも用いられました。
いてまえ打線(近鉄)‐1992年
大阪弁で「やってしまえ!」を意味するこの愛称。おそらく若い人は、2001年にリーグ優勝を果たした3番タフィ・ローズ、4番中村紀洋、5番礒部公一の強力打線を想起するかと思いますが、元祖いてまえ打線といえば、1992年シーズンにブライアント、石井浩郎、金村義明がクリーンナップを張っていた頃のオーダーを指します。
|打順|名前|打率|本塁打|打点|盗塁|
|:--:|:--:|:--:|:--:|:--:|:--:|:--:|
|1|大石大二郎(ニ)|.269|6|47|39|
|2|新井宏昌(右)|.220|3|25|3|
|3|R.ブライアント(DH)|.243|38|96|6|
|4|石井浩郎(一)|.290|29|89|4|
|5|金村義明(三)|.277|20|77|1|
|6|J.リード(左)|.232|10|37|0|
|7|村上嵩幸(中)|.250|20|59|15|
|8|古久保健二(捕)|.207|4|17|0|
|9|吉田剛(遊)|.257|3|30|27|
いてまえ打線の基本スタンスは、長打力重視。その攻撃性あふれるネーミングを体現すべく、小技の効いたアベレージヒッターよりも一発のある長距離砲を伝統的に重用する傾向にあり、この3割バッターが一人もいない1992年の打線は、まさにその典型といえるでしょう。

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ビッグバン打線(日ハム)‐1998年
1998年、横浜ベイスターズ38年ぶりのリーグ優勝時に付けられた打線名といえば、『マシンガン打線』です。打線全体のホームラン数こそ少なかったものの、途切れることなく次々と打者がヒットで出塁する当時の横浜打線にとり、これ以上ないほどにピタリとハマるネーミングでした。
そんなマシンガン打線と対を成すように誕生したのが、この日本ハムファイターズにおける『ビッグバン打線』です。公募によって決定したこの打線名は、アベレージヒッター揃いのベイスターズに対して、ホームラン20本以上のバッターが5人もいる長距離砲主体の打線に、これまた良く似合っていました。
|打順|名前|打率|本塁打|打点|盗塁|
|:--:|:--:|:--:|:--:|:--:|:--:|:--:|
|1|田中幸雄(一)|.274|24|63|2|
|2|金子誠(ニ)|.263|4|26|11|
|3|片岡篤史(三)|.300|17|83|2|
|4|J.ブルックス(右)|.244|25|73|1|
|5|N.ウィルソン(DH)|.255|33|124|1|
|6|西浦克拓(左)|.245|20|62|18|
|7|井出竜也(中)|.216|6|28|10|
|8|野口寿浩(捕)|.235|10|34|6|
|9|奈良原浩(遊)|.280|1|25|30|
この豪打の打線の活躍もあり、1998年の日ハムはオールスター前まで2位西武ライオンズに10ゲーム差以上をつけての首位独走状態でした。しかし、後半戦に入ると打線が沈黙。特に4番を任され、前半戦だけで17本塁打を放った西浦は絶不調に陥り、トータルでは20本しかHRを打てなくなるという惨状に。
結局、シーズン終了間際で西武に優勝をさらわれるという散々なシーズンで終わってしまいますが、このビッグバン打線の名は、以降も2000年代中ごろくらいまで受け継がれていきます。

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(こじへい)