ビッグバン打線(日ハム)‐1998年
1998年、横浜ベイスターズ38年ぶりのリーグ優勝時に付けられた打線名といえば、『マシンガン打線』です。打線全体のホームラン数こそ少なかったものの、途切れることなく次々と打者がヒットで出塁する当時の横浜打線にとり、これ以上ないほどにピタリとハマるネーミングでした。
そんなマシンガン打線と対を成すように誕生したのが、この日本ハムファイターズにおける『ビッグバン打線』です。公募によって決定したこの打線名は、アベレージヒッター揃いのベイスターズに対して、ホームラン20本以上のバッターが5人もいる長距離砲主体の打線に、これまた良く似合っていました。
|打順|名前|打率|本塁打|打点|盗塁|
|:--:|:--:|:--:|:--:|:--:|:--:|:--:|
|1|田中幸雄(一)|.274|24|63|2|
|2|金子誠(ニ)|.263|4|26|11|
|3|片岡篤史(三)|.300|17|83|2|
|4|J.ブルックス(右)|.244|25|73|1|
|5|N.ウィルソン(DH)|.255|33|124|1|
|6|西浦克拓(左)|.245|20|62|18|
|7|井出竜也(中)|.216|6|28|10|
|8|野口寿浩(捕)|.235|10|34|6|
|9|奈良原浩(遊)|.280|1|25|30|
この豪打の打線の活躍もあり、1998年の日ハムはオールスター前まで2位西武ライオンズに10ゲーム差以上をつけての首位独走状態でした。しかし、後半戦に入ると打線が沈黙。特に4番を任され、前半戦だけで17本塁打を放った西浦は絶不調に陥り、トータルでは20本しかHRを打てなくなるという惨状に。
結局、シーズン終了間際で西武に優勝をさらわれるという散々なシーズンで終わってしまいますが、このビッグバン打線の名は、以降も2000年代中ごろくらいまで受け継がれていきます。
西浦 克拓
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(こじへい)