一本足打法の王貞治の再来として本塁打王を獲った大豊泰昭

大豊泰昭(たいほう やすあき)
大豊泰昭の獲得タイトルと主な表彰と記録
本塁打王:1回 (1994年)
打点王:1回 (1994年)
ベストナイン:1回 (一塁手:1994年)
月間MVP:3回 (1994年6月、1994年9月、1996年5月)
IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:1回 (1994年)
優秀JCB・MEP賞:1回 (1994年)
大豊泰昭のプレースタイル

こだわりの一本足打法
大豊泰昭のプロに入るまでの活躍
台湾での活躍は、華興中学では国の中で一番になり、華興高では世界で優勝させるなど、台湾を代表する選手として目立った存在でした。
台湾の英雄。王貞治に憧れていた大豊は、日本で野球することを強く希望し、名古屋の大学へ入学、愛知大学リーグで素晴らしい成績を打ち出し、日本代表選手へも選出されるほどであった。
もちろん、大豊の思いは、日本のプロ野球に入り活躍することなので、外国人枠で入団するのではなく、日本人枠で入団するように、大学卒業後は中日ドラゴンズの職員として1年間在籍するほどだった。そして、1年後晴れて、ドラフト2位で中日ドラゴンズへ入団することとなるのです。
日本プロ野球に入ってからの活躍振りは素晴らしかった。

引退後も野球人として活躍し続けた大豊泰昭
引退後、名古屋市中区に「大豊飯店」という中華料理屋を開業し、料理人の道を歩み始める傍ら、野球教室に参加し、指導したり、講演活動を行うなど、野球人としての活動も続けた。
台湾と日本の橋かけ的存在にもなり、陳偉殷(チェン・ウェイン)を中日球団に入団までの道しるべとなる。
マスターズリーグへも参加し、中日ドラゴンズ80年代の選手として2シーズン活躍し、野球からかけ離れることのない生活を送ったのです。

しかし、災いが・・・・大豊泰昭に降りかかる。
2009年の3月に、病気を患い、入院へ。その病名は「急性骨髄性白血病」いわゆる血液のガンである。
闘病生活を闘い抜き、2009年の8月に退院したのですが、1年後の2010年3月に再発。
次は、実の妹から骨髄移植を受けて、2010年9月に退院しました。
病気のせいで、長時間は働けなくなり、店も思うように回せないことから、金銭的にも苦しくなる一方です。
そんな、不条理の中、再婚女性と頑張ってきましたが、2015年1月18日 急性骨髄性白血病のために名古屋市の病院でお亡くなりになりました。

今も生きる大豊泰昭の存在。
夢を追いかけて、プロ野球の選手になり、あこがれの王貞治に近づいた大豊泰昭。自らを野球人と語る大豊のこだわりは目を見張るものがありました。
6年にもわたる闘病生活は、相当、苦しかったものでしょう。そんな、大豊のこだわりを感じることが出来るサイトをご紹介します。